峠の家
鈴木タロウ
1
大学時代の後輩T君から聞いた話。
T君の実家は関西N県の山奥にあった。
面積のおよそ三分の二を森林地帯が占める土地柄にあって、そのさらに県境の山奥となると、あたりにはほかの民家など一軒も見当たらない。ふもとの小学校までは一時間に一本のバスで三十分ほどかかり、夏にでもなれば、家の中には蛾やカマドウマがしょっちゅう入り込んでくる。
しかし、不思議と猿や鹿などの動物は一度も見たことがないと、T君は言う。
「田舎の山奥というとのどかに聞こえますけど、実際は全然違うんですよ。うち以外には近所に一軒も家がないし、生き物といえば虫しかいない。小学校の友達の家にも簡単に遊びに行けないし、寂しいというか。いや、というよりも不気味ですね。夜なんかほんと不気味で」
そんな環境だから、食料や生活用品の買い出しは一大行事だった。二週間に一度、ふもとの町からさらに車で四十分ほど行ったところにある大型スーパーに行って大量の食料品などを買い込み、台所に置かれた業務用の大型冷蔵庫に詰め込む。不便なかわりに家は広々としていて、余分なものを置くスペースは十分にあった。
T君は、子供心に、二週間に一度の買い出しをちょっとした小旅行のように楽しみにしていたそうだ。周囲は山ばかりで同級生の家も遠く離れているのだから、小学生だったT君がそういった遠出を楽しむのも当然だろう。
「でも、親ふたりはその家に満足していたんです。元々、ふたりとも庭いじりが趣味で、それでわざわざ山奥に引っ越したようなもんですから。家の裏に畑まで耕してトマトやら茄子やら育ててました。でもそこ、うちの家の土地だったのかも怪しいんですけどね」
土地が広いために、どこからどこまでが自分たちのものなのかわからない。まるで自慢のようにも聞こえるが、家屋の周辺以外では木々や雑草が密生しすぎていて、境界がどうなっているのか本当にわからないぐらいだったらしい。
T君の家は、ふもとから続く比較的整備された林道の脇にあって、家の裏手にはまださらに山が続いていた。しかし、T君の家から先の道は林道というよりも獣道に近く、そのため、遊びたい盛りの小学生でも、家からさらに奥へは行く気にならなかったという。それに両親から、危ないから家の裏には絶対に登るなと強く言われていたのもある。
T君の家では、家の裏手に続く山のことを『峠』と言っていた。なにもそこに山の頂上があったわけでも何でもない。家自体がそもそも山の中にあったので、それと区別するために、ただ裏手のほうを『峠』と呼んでいただけのことである。
「親は峠のほうまで登ったことがあるみたいでした。何もない、って当時は言ってましたね」
それが、とT君は言う。
ある年の夏、峠に家が建ったそうなのだ。
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