第12話 メロンパン


 日曜日の朝、腫れもすっかり引いて、ほぼ元に戻った自分の顔を洗面の鏡で確認。

 そこに映った自身の姿を見てホッと一安心し、改めて昨日の出来事を思い出す。


 イヤンの事件だ。

 昨日の僕以上に顔を腫らす事となってしまったイヤン。

 ゆりねーちゃんの折檻を思い出すだけで僕は膝が震える。

 

 ぴかりゃと相談の結果、僕達が彼女の的とならぬよう、黙っている事にした。

 正直イヤンなど、この際どうでもいいと珍しく息の合った二人。

 自分が可愛くて何が悪い?

 

 イヤな思い出は心の奥底へしまっておき、朝食を食べる為にキッチンへ。

 そこでは既に食べ終えた後の母が、僕の為にコーヒーを入れてくれていた。


 「んもう、あとはお姉ちゃんだけね。一緒に食べてくれないと片付かないのよねー。今朝は商店街のパン屋さんで昨日色々なパン手に入れたから、その中から好きなの選んで食べて」


 ナイローブレッドである。

 4組委員長、ないろちゃんの実家である。

 

 「そのパンね、うちの学校でも美味しいって評判だよ。特にこのメロンパン!」


 口の周りに食べカスを一杯つけて自分の顔程もある大きなメロンパンを頬張る妹。

 彼女はカスをテーブルや床にもポロポロとこぼすので母はご立腹。


 「アンタねぇ、もう少し気をつけて食べなさいよ。誰が掃除すると思ってるの?」


 「えっ? いつもおにーちゃんが……」


 「黙りなさい! だいたいみんなで食べようとメロンパンだけは4個にしたのに一人で全部食べちゃって……少しは遠慮しなさいよ? 安成もメロンパン好きだから怒られるわよ」


 「そんな事に一々目くじら立てるかよ? それに片付けだって僕がいつもしてるじゃん」


 メロンパンごときで怒るなどと、僕はお子様か!

 後片付けにしても、シレっと自分が毎日しているかの様な言い方をして。

 最後は結局逆ギレかいっ!

 あ、でもサクサククロワッサンなら話は違っていたかも?


 「あー、確かにここのパン美味しいらしいね」


 つい最近、ナイローブレッドを食べる機会に恵まれた僕は白々しく答える。

 いつもなら好物を独り占めした妹に対して連射速度世界最速を誇るマシンガン、メタルストームのごとく連続するお下劣な言葉で罵るのだが、その事よりもクラスメイトの実家であるパン屋を褒められて、なんだか僕までとても気分が良かった。

 

 そんな訳で猫の額よりかは大きな心の僕は、妹のメロンパン独り占めをスルー。

 こんな日は滅多にないからな!


 「ちょっと! アタシのメロンパンはどこ!」


 いつの間にか起きてきた姉が突然キッチンのドアを開けて叫んだ!

 どうやら部屋に入る前の廊下で僕達の会話を盗み聞きしていたらしい。

 

 サイテーな言葉を機関銃のように浴びせる姉を、僕と母が必至で宥める事態に。

 姉の心は内燃機関におけるシリンダーとピストンのクリアランスより狭いらしい。

 彼女は仕事でもあんな感じなのだろうか?


 暫くのち、落ち着きを取り戻した彼女は渋々他のパンを食べ始めたのだが……

 その形相は怒りと悔しさが滲み出ていて超絶不細工。

 ”美しいバラでもゴミになる”瞬間を目撃した僕だった。


 「確かにうちの会社でも話題になってたんだよねー、ここのパン。他のパンでこれ程美味しいのなら、メロンパンは一体全体どんな感じなんだ?」


 改めて怒りが再燃したのか、再点火した怒りの矛先は何故か僕に向けられた。

 理不尽にもほどがあるのでは?


 「安成っ! お金だすから昼までにメロンパン買ってこいっ!」


 「ハッ、ハヒィッ!」


 ビビりまくりの上ずった声がつるっと口からこぼれ落ちた舎弟アンジョー。

 姉御は自分の財布から一万円を出して丸めると、こちらに投げつけてきた。


 「私はもうメロンパンいらないからサンドイッチ買ってきてよおにーちゃん! 牛カツが挟んであるやつお願いねー!」


 調子のいい妹の軽い言葉。

 コレを聞いた姉が再々度噴火!

 ヤメテ!

 僕に被害が及ぶからヤメテ!


 「アンタに奢るなんて誰が言ったのよ! 安成っ! この娘の為にハバネロとハラペーニョがたっぷり入った激辛ブリトー買ってきて!」


 近所の手前、最低限の礼儀として声だけはまだ結構抑え気味なビッグシスター。

 燃料を追加されて点火爆発した姉に、もう冗談すら言えない状況になってきた。


 「アンタのその目から美味しく食べさしてあげるからね! 覚悟しなさいよっ!」


 「そんなのおねーちゃんが食べればいいじゃないっ! いつものようにその” 大 き な 鼻 の 孔 ”から。」


 世の男性諸君、女性なんてこんなもんですよ?

 弟思いの美しい姉に兄を慕う可愛い妹なんて幻想なんですよ?

 中身は死肉を奪い合うコンドルの様に醜いんです。


 僕は心の中で涙しながら姉に従うことにした。

 じゃないと後が怖いんだもん!


 (しかしパン屋にブリトーなんて売ってるのか?)


 面倒だなぁとブツクサ言いながら一度自分の部屋へ戻って着替えを。

 再びキッチンに戻ると、二人はまだケンカをしていた。

 そんな彼女達は置いといて、僕はテーブル横で立ったままコーヒーを飲み干すと、


 「ねぇ母さん、そのパン屋さんってどこにあるの?」


 「駅裏の商店街よ。ついでにこの手紙を小張さんとこに持っていって。配達する人が変わってからよく間違えてウチのポストに入ってるのよね」


 姉から預かったクシャクシャの一万円札を上着のポケットへ無造作に放り込む。

 その後母から複数の手紙を受け取り玄関へ。


 「とりあえず行ってくるよ。」


 家を出た後も二人の醜い罵り合いは尚も続いている模様。

 幸い、メスザル二匹の鳴き声は屋外へあまり聞こえてこなかった。

 姉による最低限の節度と、三河家の品格を堅持する近代防音技術に感服だ。



 

 

 「おーウナギ君、おはよう。……あ、ごめんごめん、安成君だったな」


 もうギャグでも何でもなくて、僕イコールウナギとの認識になってきているな?

 キサマの脳はクルミより小さいんじゃないか?

 ったく、このゴミクソ親父が!


 「もうおっちゃん、いい加減にしてよ! ……そんな事よりこれ」


 母から預かった複数の手紙をゴミ虫へ差し出す。

 この時、オヤジ宛てだけでもクシャクシャにしなかったことを強く後悔。


 「あー、ごめん安成君、今仕事で手がこんなになっちゃってるから中にいる娘に渡してきてくれないかい?」


 真っ黒になった両手を見せると再び仕事に取り掛かるトラッシュダディ。


 (あんなゴミクズ親父でも仕事には真剣に取り組むんだよなぁ。憎たらしいけど真面目に作業する姿は尊敬に値するな。……まぁゴミだけど)


 ゴミ親父の横を通って奥へ行くと店舗に直結している住居へ辿り着く。

 店と玄関の仕切りは透明のガラス戸だけ。

 それを開けると土間を挟んで小さな縁側の奥に障子戸で仕切られた居間がある。

 中心のみ無色透明のガラスがはめ込まれたその障子戸のせいで室内は丸見え。

 

 四月だというのにまだ出されている炬燵。

 そこにはだらしのない姿でみかんを食べるマッキーの間抜けな姿が……。

 

 尤も、彼女のそんな姿は僕からすれば当たり前の日常。

 気にも留めずにガラガラと玄関のガラス戸を開け、


 「おーいマッキー、これ」


 反応がない。

 仕方がないので更に一歩奥へ。

 僕は器用にも靴は脱がず膝だけで入側へ上がりこみ、居間の障子戸を開けた。

 

 その音に彼女は即反応!

 振り向きざまに食べかけのみかんを投げ、僕の眉間に見事命中の連続コンボ!


 「あ、なんだアンタか。賊でも侵入してきたかと思ったわ。で、何しにきたの?」


 賊ってなんだよ?

 だいたいみかん投げる前に気づくだろう普通は……。


 手紙を持ってきた事と今からパンを買いに行く事を彼女に説明。

 いや。説明させられたと言ったほうが正しいだろう。


 「行く! アタシも一緒にパン買いに行くからちょっと待ってて!」


 彼女は炬燵から飛び出し、奥にある自分の部屋へと駆け込んだ。

 そのスピードはトマホークミサイルよりも速いのではと思わせるほど。


 しかし小張家に来るのは久しぶりな僕。

 引っ越して来た当初、あのガラス戸に半身隠して僕を睨みつける彼女を思い出す。

 丸見えだったっつーの!


 なんとも懐かしい子供の頃を思い出させる当時と変わらない小張家。

 ここ数年間は訪れる事もなかったから余計にノスタルジーへと浸る。


 



 10分ほど経っただろうか。

 一人寂しく待たされている時間はとても長く感じられて少しイラつき始める。


 「あれ? ウナギ……安成君じゃないの。珍しいわね?」


 (おばちゃんアンタもか!)


 マッキーを遺伝子の大勝利へと導いた母親の登場。

 洗い物を終えたばかりなのか、タオルで手を拭いながら居間に入ってきた。

 

 娘によく似た母の顔は日本人離れして異国人のように美しい。

 夫のゴミ遺伝子による妨害をも打ち負かした彼女。

 ”小張真紀子”という高レベルの芸術品を作り上げた。

 

 しかし肝心の中身はゴミ遺伝子に浸食されてしまったマッキー。

 頭がパーでガサツ、しかも暴力的……ハァ。

 

 同時にこの家での僕の呼び方がウナギと確認された瞬間でもあった。

 いつか必ず小張一家にはお礼しようと思う。

 いや、お礼参りをしよう。


 「それであの娘お金頂戴って言ってたのね。なに? これから二人でデート?」


 「ははは、ご冗談を奥様。僕はまだ命が惜しいんで」


 それを聞いてオホホと口に手を当てて笑うマッキーの母。

 なぜか僕には笑い声がサラウンドとなって聞こえるような?

 なんとな~くだがおばさんの後ろから得も言われぬ殺気が……

 

 「あっ!」


 母親の肩越しから覗く目と僕の目がピタリと合った!

 直後、全身総毛立つ!

 危機感漂う空間から逃げるべく、180度ターンで振り返り、


 「じ、じゃあ急いでいるのでこれで……」


 ママンの背後からスカッドミサイルよりも速く手が伸びて来た!

 人の記憶すら失くす超絶アイアンクローの握力が僕の首根っこを捕らえる!


 「オホホホホ。アンジョーさんは今からワタクシと”おデート”するのでは?」


 一歩も踏み出せないまま速攻キャッチ!

 やり手のスカウトマンでもこれ程早く獲物を捕まえられまい!

 

 「いやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 あまりの恐怖で泣き叫ぶ僕。

 そんな情けない姿のお坊ちゃまアンジョーにマッキーの母は一言。


 「いってらっしゃい。」


 嘆願も虚しく、観念した僕は俎板の鯉よりも従順且つ無抵抗。

 マッキーのなすがままで店の外まで引きずられた。

 

 自作と思われる聞き苦しい歌を口ずさみながら仕事をしていたマッキーパパ。

 仲睦まじい僕達二人を見るなり、


 「なんだマッキー、今日はやけに気合いがはいってるな! いよいよウナギ君の貞操のを奪うのか? ガハハハハ!」


 「最低だな!」


 僕の事をウナギとしか呼ばなくなったゴミカス親父の下品さに嫌悪感が!

 そんな事を言われてマッキーが黙っているものか!

 いつもの天誅を喰らえ!


 「い、いやーねお父さんったら……」


 おろ?

 そこはホラ、踵落とし一択では?

 

 マッキーも僕と同じ反応かと思いきや、顔を赤らめどうにも態度がおかしい。

 ナゼカシラ?


 しかし言われてみれば今日の彼女はいつも見るよりも、より綺麗。

 春らしく淡い色のトップスに清潔感のある白いフレアスカート。

 軽めだが化粧もしている。

 

 本当についこの間まで中学生だったのかと思うその姿に暫し見とれてしまう。

 ゆりねーちゃんも美しいが、それとは綺麗の意味合いが少し違うと思う。

 共通するのはどちらも性格が残念という事だけ。

 

 何度も言うように、見てくれだけは超ハイレベルな我が三河家の女性陣。

 それに囲まれて育った僕は少々の事で女性のルックスを褒めたりしない。

 

 しかし、そう考えるとマッキーやイヤンの姉は本当にレベルが高いと思う。

 マッキーはよくラブレターもらっていたので、モテる事は既に承知している。

 

 だが、イヤンの姉はそうでもないのだろうか?

 だとしたら赤楚見高の芋男子は何を見ているのだろう?

 僕の知る限り、あのチャキチャキな性格を今のところ学校で見たことは無い。

 ならば、もう少しモテてもいいのでは?

 

 それでも性格というものはなかなか全部隠せる物ではない。

 いや、それとも既にヒグマの様な性格が生徒達へバレているのでは?

 

 そもそも彼氏がいないなんて彼女からは一言も聞いていない。

 勝手に僕がそう決めつけているだけ。

 考え方が根本的に間違っているのか?

 

 うーむ、解せぬ。

 まぁ、今この場にいない人の事をあれこれ考えても仕方がない。

 先ずはこの握力ゴリラを何とかしなければ……

 

 そんな訳で、マッキーに思ったことをストレートに言ってみる事にした。

 それはもう、サラリと自然に……


 「今日のマッキーはマジ綺麗だと思うよ。チョー美人で惚れちゃいそう!」


 普通の一般男子なら恥ずかしくて言えないであろう女性を褒める言葉。

 同じ男でも、僕にそんな感情は微塵も無い。


 理由は小さな時から姉にそう調教されてきたからだ。

 今考えれば一種の洗脳教育だと思う。

 

 私が泣いていたら褒めろ!

 私が笑っていても褒めろ!

 私が怒る前に褒めろ!

 私が落ち込んでいるときは褒めちぎれ!

 私が本当に嬉しいことは安成が褒める時だ!と。


 僕としてはこれまで姉ぐらいにしかそのスキルを使用していない。

 ところが、マスタ―レベルに達したのか、スルッと普通に口から出るように……


 「な、なに言ってんのよ? 早く行くわよ!」


 いつも怒られてばかりで褒められ慣れていないマッキー。

 彼女は僕の言葉に、色づき始めたイチゴより頬を薄く赤らめた。

 そして初々しいカップルみたく、二人は商店街へと歩いて行くのであった。



 


 「あそこじゃない?」


 店の近くまで来た僕達だったが、あることに気付く。

 まるで活気がないのだ。


 「あれだけ話題になっているパン屋さんなのになんか静かだね? てっきり行列とかできているかと思ったけど……。」


 的を得たマッキーの言葉。

 なぜなら”ナイローブレッド”のシャッターはガッチリ閉まって休みだったから。


 「あれ? でも、かき入れ時の日曜日にお休みなんておかしいわね?」


 「マッキーあそこ見て。戸が開いてる!」


 図々しい僕達は建物の横にある開け放された勝手口の場所へ。

 そこから中を覗き込むと従業員らしき一人と目が合った。


 「あっ! 三河君!?」 

 

 それは”ナイローブレッド”の制服を着た委員長その人!

 これはこれで結構いけるかも?


 「……とオマケさんだっけ?」


 「小張よっ!」


 マッキーが脊髄反射の如く委員長に突っ込むと、奥から聞こえてくる笑い声。

 委員長の両親だ。

 

 男前で高身長なガタイの良い父親。

 東欧系の血が混ざったハーフにも見える日本人離れしたルックスの母親。

 二人は世間一般でいうところの美男美女。

 委員長がキレイなのも納得できる。


 (なんかマッキーのママンみたいだなー? 父親は格段に差があるけど……)


 委員長の父親は見るからに体育会系。

 見た目の通りフレンドリーな彼が、


 「君が三河君か。よく”ないろ”から話は聞いてるよ? 先日は娘がとてもご迷惑をかけたようだね」


 (???)


 親父さんが話す内容の意味がさっぱり理解できないダメっ子アンジョー。

 ハテ?


 「ないろったらアンジョー君に脳天チョップくらわしたんですってね。一度謝りに行かないとと思っていたんだけれどお店が忙しくってね……」


 (脳天チョップ? 僕がくらった?)


 委員長の母親が話すその意味も僕にはサッパリ?

 理由を聞くべく当事者へ目を向けると、彼女はサッと父親の影にその身を隠した。

 疑問が疑問を呼ぶ小碓家の三河話。

 これについてある一つの仮説を立ててみた。


 もしかして僕の顔が腫れていた原因はゆりねーちゃんだけじゃないのでは?

 どう考えても委員長の態度は間違いなく変。

 それに母親はハッキリと娘が僕に脳天チョップをくらわしたって……。

 

 そう言えば以前妹がこんなことを言っていたな。

 失神した僕がイヤンに背負われて帰った時、委員長が鞄を持ってきたって。

 

 アレ?

 そうなるとマッキーも怪しいな?

 今日だってなんか化粧とかして一緒にパン買いに行くって…… 

 チョー不自然じゃないか!?


 疑念を抱きながらマッキーを見つめ、足りない過去を考察してみる。

 ところが、彼女自身見つめられていると勘違いしてなのか、急に口を開いた。


 「そ、そういえば今日はなぜナイローブレッドお休みなんですか? アハッアハハハハ」


 誤魔化しやがった!

 完全に黒だ!


 マッキーに対して完全な濡れ衣を被している僕。

 これにより真実から目が遠ざかっていた。


 後ろめたさからオロオロしていると思ったが、実は完全な真逆。

 事実、褒められてドッキドキの動揺をしていたマッキー。

 盲目のアンジョーはその事に全く気付かなかった。

 そんな僕は、勘違いしたまま彼女へカマをかけてしまう。


 「あのさマッキー、昨日僕の顔パンパンに腫れてただろ? あれって……」

 『そ、そうね! 日曜日なのに、ふ、不思議でしょう! エヘヘヘ』

 

 僕の声は、それを上回る大声で被せられ打ち消されてしまう。

 その行動により、全てが嘘だと僕に確信させる!

 

 ところが!

 声の主は隣のマッキーではなく、なんと父親の影に隠れていたはずの委員長!

 一体何が何やら?


 不自然な振舞をする委員長に両親もオロオロ。

 業を煮やした父親は、娘にその真相を尋ねると……


 「なんだなんだ? ないろ、お前やけにハイテンションじゃないか! もしかして三河君のこと……」


 急に顰め面になり、ダンマリになる委員長の父親。

 しかし今度は母親がその続きを。


 「だったら尚のこと、張り手とチョップの事を三河君に……」


 「お父さんとお母さんはだまっててぇっ!」


 パンの調理器具がすべて吹き飛ぶほど大きい彼女の声が父親の鼓膜を貫いた!

 娘の只ならぬ態度に母親が悟り、上手く僕の話をはぐらかす。


 「じつはね、昨日すごく綺麗なお客さんがいらっしゃってね、それに見とれてたお父さん(怒)が今日使う分の強力粉をぶちまけちゃって……。その後すぐ店を閉めたんだけど、迷惑かけたお詫びって事で、そのお客さんに幾つかパンを持って帰ってもらったのよ。だから売る物の無い今日は、店の清掃も兼ねて思い切って休むことにしたの。ないろちゃんもお休みだからお手伝いお願いしてね。ウフフ」


 粉をぶちまけるとはどれ程の美人だったのだろう?

 一度お目にかかりたいものだな。


 「そういえば昨日のステキな奥さん、この近くに住んでらっしゃるって言ってたわね。息子さんがないろちゃんと同じ高校に今年入学したって。一緒のクラスだったりしてね」


 (それうちのママンじゃねーか! ってことは、あの大量のパン、タダでもらってきたのかよ! なにがアンタ達の為にメロンパンは4個だよだ! 適当に貰ったらたまたま4個あったの間違いだろうが!)


 委員長ママの目論見は見事に成功。

 植物性プランクトン程の脳しか持たない僕の思考をあさっての方向に誘導。


 おかげで過去を思い出すために聞こうとした質問のことすら忘れてしまった。

 そんなコケコッコアンジョーを見て悪魔のような笑みを浮かべた委員長。

 

 既に意識操作を執り行われた僕。

 ニタァと悪魔が悪だくみをするような笑いをする委員長を見て何故か肌が粟立つ。

 本能的に女性という生き物への不信感が、すぐ消えるメモリーにプールされた。

 

 委員長に怒鳴られて気落ちしている父親をよそに話し込む僕達四人。

 すると外から馴染みのある声が。

 

 「あっれー、今日休みだぞねーちゃん!」


 「本当だー。アンタのお小遣いで店のパン買い占める予定だったのにーっ!」


 どう考えても声の主はヤツ等。

 委員長は完全に客と思い、休みの理由を話すために外へ出ると……


 「あっれー、委員長だ! そう言えばここは親の店って言ってたっけ?」


 まあ知ってはいたが、どう聞いてもイヤンの汚らしい声。

 ヤツの酷く苛立つカスレ声を聴いたマッキーも表へ。


 「あれ? なんでマッキーが? しかも今日はいつもと違う感じがするな」


 「言われてみれば小張さんは今日なんか気合い入ってますよね?」


 イヤンの話に乗っかる委員長。

 すると今度はイヤンの姉が、


 「ばかねぇアナタ達、女が着飾るときはズバリ……お と こ よ !」


 「マジかマッキー! お前にも男ができたのか!?」


 イヤン姉弟とマッキー、委員長の会話は思いのほか盛り上がっているようだ。

 そのせいで出るタイミングを完全に失ってしまった僕。

 となれば諜報員となりて、盗み聞きに全神経を集中!


 「おとこって……もしかして一緒にいた三河君!?」


 「なに?」×2

 

 余計な事を口走る委員長に一瞬戸惑う矢田姉弟。

 ないろよ、頭は良さげだけどキサマもやっぱりダメ系か!?


 (ヤバすぎる! ここはバカを装って出ていくしか方法はない!)


 腹を決めた僕は店の勝手口から勢いよく飛び出した!

 未だかつてないほど軽薄且つお気楽を装い、


 「三河君でぇ~っす! イエーイ! あんじょうきばってやのアンジョー君でぇっすっ!」


 「……」×複数

 

 スベった!

 完全にやらかした!


 既に委員長のおかげでおかしな空気にさせられたその場所。

 僕自身が完全に息の根を止めた!

 

 乾燥したヘチマの様にスカスカな脳の僕はノープラン。

 勢いだけで乗り切ろうとするも大失敗!

 

 一瞬にして場が凍り付く!

 それを肌で感じ取り、ふざけた態度を辞めて静かにみんなを見渡すと……

 

 伏し目がちで目を合わそうとしないイヤン。

 何故か怒っているゆりねーちゃん。

 ほくそ笑む委員長。

 一番わからない反応をしているのは真っ赤な顔のマッキー。

 

 アキバ系男子のメイドに対する気持ちより重くなってしまった場の空気。

 どうにも耐え切れなくなったイヤンが口火を切った。


 「ア、アンジョーなに? 今日はマッキーとデート? き、昨日は家のねーちゃんとどこか行ってたみたいだけど、モ、モテモテだなお前は~。ハハ……ハ」


 (やめろぉイヤン! これ以上この場をかき混ぜるなぁっ!)


 その思いも虚しく、僕を見つめるゆりねーちゃん、委員長、マッキーの三人。

 ところがどうしたことか、イヤンの姉が僕……いや僕の背後を見て驚いた表情を!

 

 「なにやってるの三河君達?」


 いつの間にやら後ろに立っていた人物。

 それは僕達全員が知っている人。

 昨日と同じ革ジャンにジーンズ姿の古屋さんだ!


 「おっちゃんさんだ!」

 

 「おっさんさんだ!」


 僕はともかく彼の事を”おっちゃんさん”と呼ぶ弟に驚くゆりねーちゃん。

 自分は許してもらえなかったからなんとも複雑な表情。

 

 しかし今は緊急事態でそんな事などどうでもいい!

 我が身を危機から救う為、尽力を尽くさねば!


 「ああああああああっ! おっさんさん、助けてぇっ!」


 やり手のリア充ならこの状態を修羅場と呼ぶのだろう。

 しかし彼女達を知っている身としてはこの先が自ずと想像できる。

 これから暴力を振るわれる事間違いなし!

 おっさんさんに助けを求めるのは凄く当たり前と思える!


 ”なぜ暴力を振るわれるのか?”との考えには結局たどり着けなかった。

 代わりにアンジョー直感メーターの針が恐怖側へと振り切れて行く。

 

 この場にいるメンツと泣きじゃくる僕を見た古屋さんは大よその見当をつけた。

 超能力者真っ青だなおい?


 「まぁまぁみんな、一度落ち着こうよ。丁度そこに喫茶店があるからみんなでお茶でも飲もう。特に女性陣、ケーキぐらいなら奢るよ?」


 (ナイスアシストだおっさんさん!)


 ”ケーキ”というエサへ簡単に喰らいつく女性陣。

 単純極まりない。


 「ケーキ! 古屋さんのおごりで? 行く行く! はやくみんな行こうよ!」


 大はしゃぎなゆりねーちゃん。

 先ほどの重かった空気が一変して一気に明るくなった。

 

 「わたしもいいの!? 行きます行きますっ! じゃあ、ちょっと両親に言ってくるから先に行ってて!」


 先ほどの悪魔が乗り移ったような顔とは正反対の表情を浮かべる委員長。

 それは勿論幸せいっぱいの膨らんだ笑顔。

 これには天使も嫉妬するだろう。

 

 こうして彼女は慌ててナイローブレッドの店内へと戻って行った。

 僕とマッキーをほったらかしにして……

 

 「古屋さんってどこかで見た事あるんだけどなぁ? ……まいっか、ケーキケーキっと!」


 バイク屋である自分家の常連客をイマイチはっきり覚えていないマッキー。 

 まさか彼もその一人とは夢にも思わないだろう。

 

 彼女は古屋さんを見ながら少し考えていたが、すぐに脳はケーキ一色に。

 マッキーの心は欲望へと完全支配されてしまった。


 ゾロゾロと店内に入り始める僕達一行。

 店へ入る前に僕は古屋さんを引き留め小声でお礼を。


 「おっさんさん、いつもすみませんね。助かります」


 僕に悪口を言われているとでも思ったのだろうか?

 見る見る表情が負へと落ちて行くマッキーとゆりねーちゃん。

 そんな彼女達は僕に向かってこう言った。


 「アンジョーは外よ!」


 「アンジョー君は表で立ってなさい!」


 殆ど同時に声を出したマッキーとイヤンの姉はお互いに顔を見合わせて大爆笑。

 それを見た僕は、完全に危機を脱出しただろうと安堵した。

 

 二人の女性へ従うのを装って一時店外へ出るイエスマンアンジョー。

 ほとぼりが冷めるまで表に待機していようと逃げ作戦を実行。

 

 そこへナイスタイミングで戻って来た委員長。

 彼女は僕に向かってこう話した。


 「ウフフ、三河君は散々ね。今日はパン焼けないから、また日を改めて来てね」


 「パン? ……ハッ!」


 委員長のその言葉で本来の目的であるメロンパンの事を思い出す。

 そして同時に桜島の如く噴火した姉の姿が目に浮かんだ。



 

 僕はまだ姉のメロンパンを手に入れてないから殺されるかも知れない。

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