第11話 ゆとり


 「パンパンパンパンパーンッ!」


 ご機嫌な僕の気持ちを引き裂く耳障りな甲高い音。

 それはマッキーの親父が整備している古臭いバイクの排気音。

 地球温暖化を手助けすると言われている排気ガスと共に排出される。


 「おっちゃんそれ壊れてるの? 煩すぎない?」


 仕事に没頭しているマッキーの親父さんは夢中でバイクの整備をしているようだ。

 それでもこちらの声を聞いて顔を見ずとも反射的に挨拶を返す。


 「おー安成君か、オハヨー……!?」

 

 だが、いつもと違う僕の雰囲気を感じ取ったのだろう。

 フゥと一息ついて仕事に勤しむ手を一旦止めると、こちらへ顔を向けた。

 

 そして僕を見るなり驚きの表情と共にフリーズ。

 どんな時も揶揄う事も忘れない、いや無意識にイラっとさせてくる親父さん。

 必ず会話の中へ三河チルドレンを小馬鹿にするワードを投入してくるのだ。

 

 そんな気分下げのプロフェッショナルであるマッキーのパパリン。

 今日ばかりは彼も普段と違う反応。

 なぜならイヤンの姉が隣にいたからだ!

 

 暫くすると、親父さんの硬直も溶けて正気に戻り、幽霊でも見たかの大騒ぎを!

 喚きながら奥にある本宅へと飛び込んで行くと、


 「マ、マッキー大変だあっ! ウナギ……じゃなくって安成君があっ! あの普通より少々足りない安成君が女連れているぞ! しかもお前なんか足元にも及ばない超絶美人だぞっ!」

 

 「フザケンナくそオヤジ! 娘の恥ずかしい写真を町内にバラ撒くぞっ!!」


 親父さんは自分の娘を低く見ているが、マッキーこそ相当なものだと思う。

 手前味噌だが、それでもマイシスターには及ばないと断言出来る!

 まぁ、性格はどっちもどっちなんだけど……。


 それは置いといて、四軒先まで聞こえる程の大声で叫ぶ親父、いやクソ親父。

 腹式呼吸を用いてミュージカル風にサラッと悪口を混ぜながら。

 彼の失礼極まりないその態度に、聊か僕も平常心を失っていた。


 (チッ、百回ぐらい冥界に行け!)


 そして家の奥の方でドンッと何かが衝突するような音が!

 なんとなくだが、想像できた。

 オヤジがマッキーに一撃喰らってのた打ち回る情景が……。

 いや、確実にやられたのだろうと思う……。

 

 ここまで一連の動作を見ていたイヤンの姉は苦笑い。

 しかしこの空気を一変させる人物が……

 

 「おはよう」


 聞きなれた声が後ろから聞こえる。

 即座に僕はクルっと振り返った。

 そこにはなんと!


 「お、おっさんさん!?」


 ジーンズに革ジャンを着た、レトロな渋めファッションの古屋さんがいた。

 驚く僕に彼はクスッと笑う。


 「ここのオヤジね、俺と中学が一緒だったんだよ。で、昔から乗っているこのバイクの面倒をいつも見てもらっているのさ。……ホントは三河君のことは小さい時から見かけていたんだよね。……ん? ところで凄い顔してるね」


 なんてことだ!

 実は古屋さんと昔から面識があっただなんて!

 マッキーのクソ親父は知っていても、そこに来るお客さんまでは認識が無い!

 ましてや彼の交友関係なんかも知らないし、興味すらない!

 

 その驚愕な事実を知らされた僕は、口を開けて唖然としてしまった。

 呆けて間抜け面を晒していると、上着の袖をツンツン引っ張るイヤンの姉。


 「この人が童夢やアンジョー君のクラスメイトのおじさんね。弟が学校から帰ってくるたびにこの人の話をするのよ」

 

 呆気にとられていた僕は、イヤンの姉が放った言葉で状態異常から回復。

 改めて二人をお互いに紹介する。


 「えー、この渋めの男性は僕やイヤンと同じクラスの古屋さん。僕はおっさんさんって呼んでいるよ。そしてこの美人の女性はなんとイヤンのねーさんなのです」


 「はじめまして。弟さんと同じクラスの古屋です」


 ごく当たり前で、普通の大人が交わすような挨拶をするおっさんさん。

 少し期待外れで残念。

 なにかやらかしてくれると思ってたのに……。


 「こちらこそ初めまして矢田です。弟の童夢からあなたのお話はよく伺いますよ。ところで私もおっさんさんって呼んでいいですか?」


 イヤンの姉は古屋さんにダイナミックな注文を。

 それに答える彼は、親指を立ててパチリとウインクをした。

 

 「ごめん、それはムリ!」


 (ダメなのかよ!)


 てっきりオーケーサインかと勘違いをした僕。

 彼は笑いながらも、その理由を話した。


 「女性からは、やはり苗字か名前で呼んでほしいね。おっさんなんて言われたら自分の娘みたいに接してしまいそうだよ。だからおっさんさんってのは勘弁してほしいなぁ」


 「そうですよね。すみませんでした。じゃあ古屋さんって呼びますね!」


 イヤンの姉はおっさんさんを”古屋さん”と呼ぶ事にしたようだ。

 その時彼女の頬は薄っすら赤みを帯びていて、なんだか照れている感じを受ける。

 

 嫉妬にも似た感情が沸き上がってきた僕は、妬み満載の眼差しで彼を睨む!

 ……度胸はないから、彼のモノであろうバイクにガンを飛ばした。

 チキンで悪かったな!


 「矢田さんって下の名前はなんていうの? クラスに矢田君がいるからお姉さんのことは名前で呼んだほうがいいんじゃない?」


 至極当然な古屋さんの質問。

 彼女に変わり、僕は胸を張ってこう答えた!


 「矢田ねーちゃんだよね! ……あれ?」


 「……」


 僕はバカだ!

 そんな訳無いではないか!?

 

 イヤンのねーちゃんとしか呼んだことないから名前の確認すらしていない。

 名前はねーちゃん?

 

 あー情けない!

 プリンの角に頭をぶつけて死んでしまいたいぐらいこの場にいるのが恥ずかしい!

 

 燃え盛る情熱の炎よりも真っ赤に変色する僕の両耳。

 バカな返答を悔やむ愚かな僕は、助けを求めるべくイヤンの姉を見るが……


 「ねえちゃん顔まっかっかじゃんかっ!」


 つい声を上げてしまった。

 モジモジイジイジする彼女を見て僕はピンと来る。

 これまでの会話から想像するに、恐らくその原因は名前にあるのだろう。

 

 (ハハァーン、さてはキラキラネームだな?)

 

 真っ赤になりながらもイヤンの姉はごにょごにょ自分の名前らしき言葉を呟いた。

 とてもとっても小さな声で……。


 「……り。」


 ムム?

 よく聞き取れない。

 

 「ごめん矢田さん、よく聞き取れなかったから少し大きな声でお願いできる?」


 さすがおっさんさん、伊達に年を取っていない。

 乱暴に扱うとすぐに壊れてしまうだろう高級ガラス細工の如く繊細な女心。

 彼自身がこれまで培ったと思われる技術と経験で、事を穏便に済まそうとする。

 角が立たないように柔らかな物言いで、イヤン姉を優しく問い詰めて行く。

 

 そんな回りくどい事をしなくても僕に任せてもらえば……。

 得意の二枚舌で、いとも簡単にこの場を円滑に収める事ができるのだが。

 

 彼女は観念したのか、顔を起して彼の目を真っ直ぐに見つめる。

 そしてハッキリと自分の名を名乗った。


 「ゆとり。……矢田ゆとり」


 「可愛らしい名前だね」


 大人の対応で褒める古屋さん。

 それとは対照的なおこちゃまの僕は、


 「”ゆとり”!? ゆとり教育のあの”ゆとり”?」


 それを聞いた途端に軽く拳を握るイヤンの姉。

 そして親指と拳骨の間で僕の鼻を挟んで左右にウリウリと。

 てっきりぶっとばされるのかと思った。


 「だからイヤだったのよー! ”ゆとり”は”ゆとり”世代の”ゆとり”って昔からバカにされてきたのぉっ!」


 可愛いじゃないかこのヤロー!

 と思う反面、どう答えていいのか分からずに困惑。

 オロオロな僕を見て、クスクスと笑いながら古屋さんが、


 「”ゆとり”の”と”をとって”ゆり”ってのはどう? これなら普通にいるのでは?」


 その発想はなかった!

 それを聞いたイヤンの姉は少し嬉しそうに、


 「まぁ、それなら」


 何かにつけて役立たずの僕は見せ場がまったくなかったと言わざるを得ない。

 ハッキリ言ってカッコ悪い。

 だが、丸く収まったところである疑問が湧く。


 「おっさんさんってさ、昔からこの店に来てたって事は……やっぱりマッキーの事も知ってるの?」


 入学して最初に教室へ入った僕の第一声は『おっさんじゃんか!』だったと思う。

 その後すぐ病院に運ばれてイヤンと僕は休むことになる訳だが……。 

 

 ぴかりゃの話では、その間マッキーは4組の教室へ毎放課来てたと言っていた。

 3組で話し相手がいない彼女は、中学が同じぴかりゃへ会いに来ていたと。

 それは僕達が復活した今も尚、続いている。

 

 ならば古屋さん云々のやり取りをマッキーは一部始終見ているはずだろう?

 それなのにおっさんさんの事には一切触れてこない。

 ひょっとしてマッキーは彼を知っていて、あえて言わないだけなのだろうか?

 

 あれこれ考えている僕を見て、おっさんさんは渋々語り始めた。

 本当に仕方ないなって感じで……。


 「こっちは当然真紀子ちゃんのことを小さい時から知っているけど、彼女は俺のこと知らないんじゃないかなぁ? タブンだけど、ここに来るときいつもサングラスはめてたし、そもそも三河君と一緒で彼女もおっさんなんかに興味ある歳でもないでしょ」


 エスパーかよ!

 僕の思考が筒抜けかよ!?


 そしておっさんさんは、辺りを伺いながら僕達二人を手招きして呼び寄せる。

 グッと二人に顔を近づけ、そよ風の音よりもやわらかい声でこう話した。


 「ここだけの話さ、あのオヤジにも俺が娘と同じ高校に通い始めたって事、教えてないんだよねー。しかもヤツは”娘の学校に俺らと同じぐらいのおっさんが入学してきたらしい”って俺に言ってくるわけよ。どう考えてもこの親子、気付いてないでしょ? ”そいつバカじゃね?”って言われた時には全部バラしてやろうかと思ったけど……秘密にしておいたほうが面白そうでしょ? だからグッと堪えたね。」


 有り得る。

 この脳筋娘と鶏親父なら大いに有り得る。


 「バカバカしいけど、気付くまでこのまま二人には内緒で行こうよ」


 「おっけー!」×2


 三人はガッチリ手を握り合って誓いを交わした。

 ……などといったら大げさなので、約束をしたとでも言っておこう。


 {ガタガタガッシャーン!}

 

 三国同盟が交わされたと思ったら、店の奥がなにやら騒がしくなる!

 まるで何かをひっくり返した音が聞こえて来た!

 

 直後、ヨタヨタとよろめきながら額にコブを作ったマッキーのゴミ親父が!

 オデコの印は娘から天誅を受けた証し!

 ジーザス!


 「あー、最近アイツがさっぱり分かんねーわ」


 「おっちゃんおでこにタンコブができてるよ!」


 額をそろそろと触るゴミ親父。

 痛いのか、時々ギュッと目を瞑る姿が妙に気持ちいい。

 フフフ、天罰は本当に下るんだな。


 「マッキーのやつ、安成君のウナギ……じゃなくって安成君が女連れてきたって言ったらよ、俺めがけてスパナ投げてきやがったぞ! 俺はただ、ありのままを報告しただけだっつーの! なぁウナギ……じゃなくって安成君よ」


 いい加減にウナギから離れて貰えないだろうか?

 このままだと嫌悪どころか殺意を抱いてしまいそうだ。


 僕とゴミ親父の会話中に、あまりにも出てくる”ウナギ”という単語。

 疑問に思ったイヤンの姉が、


 「ねぇアンジョー君、アナタのウナギって何? どーゆー意味なの?」


 それを聞いたゴミ親父は、大爆笑したいのを堪えて顔が真っ赤!

 ガマンの限界に達したところでツルっと口を割ってしまった。


 「実はねお嬢さん、この安成君って人物は……」


 「うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 慌てふためく僕をどけて彼女の横をのうのうと陣取ったゴミ親父!

 ヤツはある事無い事尾ひれをつけまくりながら更に詳しく話しだす!

 関西トップを直走るお笑い芸人顔負けなほど滑る舌に僕は唖然!


 「股間がウナギで……が……になって……しかもチンチンに……」


 終わった。

 僕にも春が来たと喜んだ思いは、驚くほどの短命でその役目を終える。

 それは羽化したカゲロウの生命よりも短く、はかない幻のように。

 彼女と過ごすはずだった愛の時間は、陽気で消えゆく雪宛ら溶けて無くなった。

 

 僅かな希望を込めてイヤンの姉を見ると、そこには予想を裏切る彼女の姿が!

 モジモジイジイジ下を向いて少し嬉しそうな顔をしているではないか!

 ほんのりと赤く染まる彼女の頬に恥じらう乙女心を垣間見た気がする。

 

 ムムッ?

 否定どころか寧ろ大歓迎的?


 てっきりブッコロされるかこの場から逃走されるとの二択だと思ったが……。

 彼女の照れたような反応に、少し拍子抜けしつつも安心。

 どうやら女神は僕に微笑んだようだ。

 

 見たかオヤジ!

 キサマの女神は天誅を与えた様だがな!

 ガッハッハッ!

 

 それにしても許すべからずはマッキーゴミ虫親父!

 いつか必ずこのお礼は数倍にして返すと誓う僕であった。

 もちろん娘のマッキーは返済予定100倍で、既に殿堂入りを果たしている。


 「さて、そろそろ行きましょうか」


 イヤンの姉がそう切り出した。

 予定以上にバカな事で時間を消費してしまった僕達。

 

 これまで生きてきた中で、今からが一番貴重な時間になるのではないか?

 ”デート”の時間を、このゴミクソ親父に奪われてしまいそうになっていないか?

 そんな当たり前な事を今更ながら悟る。


 「安成君や、たまには家の娘とも遊んでやってくれや。オッパイはそのお嬢さんよりは大きいで」


 「お、おっちゃん! 彼女のまな板みたいに薄い胸のことには触れんなよっ! 結構気にしているみたいで……あ。」


 スカートがギリギリ被っていないイヤン姉のキュートな膝小僧は、上半身を折るよう強引にお辞儀させられた僕のみぞおちへ光より速い速度で吸い寄せられた。


 {スドッ!}

 「うぐっ!!」


 「ま、今はこれぐらいで勘弁してあげるわ。行きましょ」


 呼吸異常をきたして泡をふきそうなぐらい悶えている悶絶アンジョー!

 そんな事などお構いなしの力任せで強引な引きずりかたをされてその場を後に。

 

 遠ざかる視界には、ボケ親父とおっさんさんが苦しむ僕を指さす姿が映った。

 きっとあの二人は、この件について何か話をしていたのだろう。

 どうせろくでもない事だな……


 「あー、ありゃ彼は苦労するな。ウチの娘のほうがまだマシなんじゃねーか?」


 「しかし彼は面白いね。周りには美しいけど腕っぷしの強い女性が蟻のように集まってくるんだよ。母性をくすぐる特殊能力かなんか持ってるのかな?」


 「あれ? お前安成君の事知ってたっけ?」


 「さぁどうかな?」

 

 「因みに俺はお前が娘の同級生って知ってるからな。娘の為に知らんふりをするけど……。」


 「!」


 二人のこのやり取りは、引きずられている僕の耳には当然届くはずもなかった。




 

 昼食、映画、お茶、買い物など、楽しかったデートもそろそろ終盤。

 この辺りで帰る事にした僕達は総合駅へと向かう。


 「ゆりねーちゃん、家まで送っていくよ」


 少しだけ親密になれた僕は、気付けば彼女の事を”ゆりねーちゃん”と呼んでいた。

 しかも図々しくタメグチで!


 「私の家ってアンジョー君の家と反対の方向よ? それに弟と顔合わせると気まずいんじゃない? ……私は平気だけどね」


 ”ゆりねーちゃん”との呼び方を気にすることもなく、僕を気遣うイヤンの姉。

 本当に綺麗な人の皮を被っているな。

 それでも僕は……


 「いや、大丈夫だよ。歩いて30分もあれば帰れるし、それにイヤンごときに冷やかされても難しい言葉を呪文のように投げてねじ伏せてやるんで」


 「そうね、フフフ」


 美人だとばかり思っていたが、時には愛嬌のある可愛らしい顔をもする。

 やはり彼女の整った顔は欠点の一つも見当たらない。

 但し性格は……

 

 今日は一緒に遊んだだけの僕達。

 それでも他人から見ればイチャイチャカップルと映るのだろう。

 

 だが、実際はそこまで親密ではない。

 今回はデートと言う名のお詫びであると心に言い聞かす僕。

 彼女の魅力に少しずつだが、引かれ始めているのが自分でも分かる。

 

 しかし惑わされてはいけない。

 入院時に見た弟に対する態度と口の悪さ。

 暴力行為?で記憶を飛ばされた昨日。

 そして悶絶膝蹴りの今日!

 

 まだ出会って数日しか経っていない僕とゆりねーちゃん。

 それなのにもうこれだけの事件が彼女の手によって引き起こされているのだ!

 

 三河家の姉を思い出せ!

 三河家の妹を思い出せ!

 我が家のボス猿を思い出せっ!

 

 僕は何度も何度も心の中で女性に対する感情との戦いを繰り広げた。

 これ以上騙されるなと!


 (彼女とは世間一般で言う、”友達以上恋人未満”の距離を保って付き合おう)

 

 現代の高校生が64ビットのⅭPUとするならば、ドット絵を辛うじて動かせる8ビット以下で構成された僕の聡明なるCPUが弾き出した答えはそれだった。


 そうこうしているうちに、彼女の家が近づいてきたようだ。

 ゆりねーちゃんは僕に言う。


 「その角曲がって三件目が私の家よ」


 「矢田家は(最寄りの駅から)そんなに離れてないんだね。僕の家の方が遥かに地元駅から遠いよ」


 他愛もない話をしながら、彼女と一緒に角を曲がると……


 「あれっ! お前こんなところでなにやってんの?」

 

 そこにはなぜかぴかりゃが立っていた。

 確かにイヤンとぴかりゃはご近所様。

 それにしてもどうしてこんな時間に表へ出ているのだろう?


 「お、なんだアンジョーか? ……あれっ? イヤンのねーちゃんも一緒って?」


 一瞬、”早速バカに見られた!”と思ったが、なんだかぴかりゃの様子がおかしい。

 彼の意識はこの不可思議な状況よりも違う方へと向けられている。


 「イヤンのねーちゃん丁度良かった! イヤンをなんとかしてよ!」

 

 ぴかりゃの指さす方向には女性に縋りついて泣き叫ぶイヤンが!

 恥知らずを超えた超恥知らずな恥を極めたスティグママスターイヤン!

 

 ぴかりゃが言うには、騒がしいので表に出たら、もうこの状態になっていたと。

 その時には既に野次馬がテンコ盛りだったのだと。

 

 状況を見極める為、騒ぎの原因ともいえる泣き叫ぶイヤンに近づく三人。

 矢田家から漏れる玄関の明かりに照らされ、モメモメに揉めている二人が見える。

 彼等の姿がはっきり確認できる程近づくと……

 

 なんと女性は麗しの看護師さんではないか!

 別れたはずではなかったのか!


 「お願いします! 一回だけ……いや、一時だけでいいからっ!」


 絵に描いたような恰好で看護師さんの足に縋りついて泣き叫ぶイヤン。

 カッコワル!

 ってか、それにしてもなんの話だ?


 イヤンが叫んでいる話の内容はさっぱり理解できない。

 僕達三人は警察24時とかの衝撃映像を見せられている気分。

 ここで看護師さんがこちらに気付いた。


 「あっ! おねーさん! 助けてくださいっ!」


 「え!? ……ね、ねーちゃん!? ……とアンジョー?」


 ぴかりゃは無視なのか?

 哀れなり存在感ゼロの山ぴかりゃ!


 イヤンは姉を見るなり何事もなかったかのような顔で素早く体裁を整える!

 いや、モロバレだぞ?


 「これはどういう事だ童夢! ご近所様に迷惑かけやがって!」


 先ほどまでの優しいゆりねーちゃんはもうどこにも見当たらない。

 観音様が阿修羅に……トホホ。


 「看護師さんも説明してもらえるかな」


 デートの時とは打って変わって厳しい口調になるゆりねーちゃん。

 多分こちらが彼女の本質なんだろう。

 渋面で真っすぐ目を見て話す彼女に、看護師さんは伏目がちで理由を話し始めた。


 「今日のお昼頃彼から、”なんか体の調子が悪いから来てくれ”って死にそうな声で電話がかかってきたんです。それでさすがに心配になり、急いで彼の家に来たんですが……。私としても、あんな事(別れた)の後で気まずいけど、医療に携わる者の一人として放って置くわけにもいかず……」


 「わーっ! わーっ!! わーっ!!!」


 なぜか看護師さんの話を妨害するイヤン。

 そんな方法では無理に決まってるだろう。


 「だ ま れ !」


 姉の一言で口どころか動きまで止めたイヤン。

 そのまま息の根も止まればいいのに。

 そんな事を思いながらも再び話し出す看護師さんへ耳を傾ける。


 「悪かっただの、もう一度やりなおそうだのと、それほど深い中でもなかったのに……」

 

 いやはや見苦しいぞイヤン?

 最低に次ぐ最低なヤツだな!


 「何度も断ると遂には……」


 看護師さんがそこまで話すとイヤンが突然この場を逃げ出そうとした。

 ……が、まるでソレが分かっていたかのようにスッと足を出したゆりねーちゃん。

 彼女はスラリと長く伸びた美しい足を器用に使い、イヤンの足に引っかけた。


 「ぎゃあぁぁぁっ!」


 ゴロンゴロンと数メートルほど転がるイヤンは電柱にぶつかり停止。

 ゆりねーちゃんはゆっくりとヤツに近づき、首根っこを掴んで引きずってきた。

 そのまま再び看護師さんの前へ戻ると、


 「話を続けて」


 冷めた言い方で看護師さんに続きを促す。

 それからのイヤンは借りてきた猫のように大人しかった。

 たぶん死を覚悟したのだろう。

 既にボロボロとなっているのだが……


 「あ、あの、キスさせろとか……それが無理ならせめてオッパイを……とか」


 看護師さんが話を再開すると、すぐにぴかりゃは赤面して下を向いてしまった。

 なぜならイヤンの行為が、同じ行動をするであろう自分の姿とダブったからだ!

 言うまでもなく、僕はとっくに頭を垂れている!

 

 「わかった。もういいから」


 そこまでで半ば強引に話を止めさせたゆりねーちゃん。

 その表情はドンドン険しく……ヒィッ!


 「童夢にはお仕置きが必要ね。……あ、アンジョー君は暫く目を瞑っていてね! ウフ」

 

 その後、ポンペイ最後の大噴火より激しい大爆発を浴びるイヤンに、僕とぴかりゃは震える子猫と化した。



 

 イヤンの人生はもう終わったのかも知れない。

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