第9話 肉
「起きんか馬鹿者っ!」
担任のけたたましい怒声と複数の笑い声で目覚めるシンデレラアンジョー。
ムム?
「ホームルームが始まる前から眠るとはいい度胸だな?」
(……?)
寝ぼけ眼の顔に追加された軽い平手の連射砲!
左右に激しく振られる僕の頭は、脳挫傷を起しそうな程!
{バシバシバシバシッ!}
「はうううううっ!」
「うわっはっはっは!」×複数
居眠り魔王の発するうめき声を聞いたクラスメイトは再び大爆笑。
それに比例して見る見る腫れあがる僕の頬。
「いいかーみんな、アタシをおちょくる生徒はどうなるか見せてやる! 見せしめ第一号は三河、お前だっ!」
僕の胸倉を掴んで自らに引き寄せ、指さしフン反り返る有松先生。
ポケットから黒のペンを出し、僕の額にキュッキュッと”肉”の文字を書いた。
教室は笑いの上塗りで騒めきの大渦に飲み込まれた。
「ホームルームが終わるまでそこで立ってろっ!」
全く以て不条理。
僕がなぜ立たされているのか理由が分からない。
そもそもなぜ寝ていたのかさえも記憶が定かではない。
なんとなく古屋さんと打ち解けた夢を見ていた覚えはあるのだが……。
しかしその後どうなったのかまでは記憶にない。
所詮夢は夢。
事実なのは額に”肉”と書かれて、こっぱずかしい思いをしているこの現実だけ。
立たされて晒し者になっている僕はそのまま放置。
何事もなかったかのようにホームルームが坦々と進んでゆく。
……それにしても先生のキャラは変わり過ぎと違うのでは?
職員室での時とはまるで別人だな。
そんな中、ふと前の席に目をやると、チラチラこちらの様子を伺う委員長。
もしかして僕を気遣っているのだろうか?
なるほど、パン屋の娘っ子は優しいな。
発酵途中のパン生地みたいなフワフワマインドの僕に同情してくれるなんて。
アンジョーランキング内の好感度レベルが急激に上がった委員長。
よく考えたらスタイルもいいし、胸の大きさも結構……ムフフ。
好きにならない理由が皆無である。
先程から僕をやたら気にする彼女はきっと好意を寄せてくれているに違いない。
そんな考えはまんざら的外れでも無さそう……と思いたい。
二人のこれから送るバラ色の学園生活を妄想しているとホームルームが終了。
先生が教室を出たのを確認後、ヤレヤレとようやく席に腰を下ろす。
するとイヤン&ぴかりゃのバカツートップがダッシュで僕の席に駆けつけてきた。
「アンジョー散々だな!」
情けないことにぴかりゃから同情された。
そしてイヤンにも同様、
「さっきは凄かったな。俺はアンジョーのタフさを尊敬するね!」
タフ?
彼はいったい何を言ってるんだろう?
先生の張り手に耐えた事か?
「三河君、大丈夫かい?」
意味不明で困惑していると、僕を労うように声を掛けて来た隣の古屋さん。
その表情は露骨に心配を前面に出している。
やはり彼は大人。
「君、一時気絶してたんじゃないの?」
ますます訳が分からなくなった。
僕は古屋さんとは殆ど話したことなんか無いはず。
心配してくれてるとはいえ、古い友人みたいに普通な感じで声を掛けてくる。
確かに僕としてもそんな気がしないでもないのだが……。
そもそも気絶ってなんだ?
イヤンの話でも僕がタフだとかなんとか?
ハテ?
僕は寝ていたって?
なぜ?
どうしても思い出せない。
僕はどんな理由で寝ていたのだろうか。
いや、気絶していた?
疑問が疑問を呼ぶ展開についていけず、オーバーヒート寸前のマイCPU。
それでなくとも毎回ハングアップして動かないときが多いのに。
やすらぎを求めて前に座る委員長へと目を向けるのだが……
不思議な事に、彼女は頭を抱えながら机へと顔を伏せているではないか。
まるで後悔でもしている様子の委員長。
そんな彼女の肩を叩き、イヤンが興奮しながら声を掛けた。
「委員長もアレだな。触れると折れそうなぐらいの細い腕でアンジョーに放った正拳突きは強烈だったな! 失神KO見事だった!」
「はあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!!!!」
湧き上がる怒りに声を出さずにはいられない!
更に追い打ちをかけた僕の暴言が委員長にふりかかる!
「ふざけんなよこのメス猿がぁぁぁぁぁっ!!!!!!!!!」
委員長はスタイルが良い?
胸の大きさが結構ムフフ?
さらには僕に好意を寄せているって?
無垢な少年の抱く淡い恋心が音を立てて崩れ、瞬時に怒りの鍋が大沸騰!
しかし、怒りで物事がうまくいった例などほぼ皆無に等しいこの世の中。
短気は損気と心の中で何度も何度も繰り返し、自分にこう言い聞かせた。
”冷静になれ”と。
「うぐぐ……」
気分が少し落ち着いたところで、もう一度改めて委員長へ目を向ける。
未だガン無視を決め込んで、突っ伏せている彼女に向かって、
「興奮して取り乱しました。暴言吐いてすみませんでした」
思いっきり頭を下げた。
それでも一切こちらを見ようとしない委員長。
僕に対して申し訳ないと思っているのか怒っているのかも分からない。
ガン無視継続中だ!
おかげで今度は殺意が湧きまくる。
面前で恥をかかせやがって!
このツケは彼女のチチで支払ってもらうしかないと僕は誓うのであった。
その豊満な胸で……グッフッフ。
その後すぐに授業開始の鐘が鳴ると、各々自分の席に戻って行き、僕は委員長に対するイヤラシイ怒りのせいですっかり額に書かれた”肉”なる文字の事も忘れてしまっていた。
「うー、腹減った……」
昼休みになると、すっかり収まった僕の怒り。
本日の昼食となるべきパンを買いに行くこととしよう。
そんな訳で、教室から少し離れたプレハブ小屋にある購買部へ足を向ける。
その間すれ違う全ての生徒になにかしらの反応が。
怒り、笑い、軽蔑、そして嘔吐までする者のいる有様。
気のせいか、彼らは僕を見るなりその表情へと変化したような?
委員長に正拳突きをくらったらしい時間以前の事は何も覚えてない僕。
そんな顔をされる理由がまるで見当もつかない。
ちなみに今朝、下駄箱付近でイヤンを罵った場面までは記憶にある。
そこからホームルームが始まるまでの間だけがぽっかり消えていた。
暫くして購買部のあるプレハブ付近に差し掛かると、溢れんばかりの生徒達が!
誰もが我先にと建物の中へ入ろうとしている絶望の光景を目撃。
「えー!? あの中に入って買うのか?」
なんだかやるせない気分になった。
そんな中、ある一人の生徒が目に入る。
溢れる人混みに慄いて、近づけないのだろうか?
だが、よく目を凝らして見れば、それは僕の知っているあの人!
「あれイヤンのねーちゃんじゃね? って事はイヤンもパンじゃ?」
ズバリ的中。
地方競馬の予想屋じゃないが、そのフレーズは今の場面にぴったりハマる。
人団子の中で今にもパンに手が届きそうなイヤンの姿を発見!
彼は既にプレハブ内の購買部付近最前列にいるではないか!
デカしたぞイヤンのバカめ!
ここは僕のパンも同時に買ってもらうチャンスだ!
目先の利益を優先するあまり、周りを気にする事もなく大声を出した。
「おーいイヤン! 僕のパンも一緒に買ってきてーっ!」
その声を聴くや否やその場にいる全ての生徒がこちらを振り返る。
大注目!
イヤンの姉に至っては、なぜか日焼けしすぎた白人の体よりも真っ赤な顔に!
遂にはその場を逃げるように立ち去ってしまった。
プレハブ付近にいる他の生徒達が話している会話はよく聞き取れない。
それでも全員が僕を見てなにかを話している事だけは一目瞭然。
(おいアンジョーだ!)
(変態アンジョーだ!)
(最低な人間だろあれって!)
(三年の矢田さんに変質的な事して捨てたあのアンジョーか!)
(さっきまでそこにいた矢田さんが泣きながら走っていったのこの目で見たわ!)
(あいつに天誅をくらわしてやれ!)
(アンジョーに天誅を!)
(アンジョーに天誅を!!)
(アンジョーに天誅を!!!)
その不穏な空気が全く読めずにいる僕。
それどころか、彼等の言っている事すらよく聞き取れない。
アチョー?
……いや、店長と言ったのか?
その店長がどうしたって?
一部の単語を聞き取る事に成功するも、やはりそれだけでは理解し難い。
内容を把握する為にはもうちょっと近くで聞いて見ないと。
僕は思い切って人団子へ近づく決意をした。
決意新たにプレハブへ向かって一歩踏み出したその時!
こちらに向かって振りかぶる多数の影を盗撮カメラより性能のいい僕の瞳が補足!
{バチッ! ベシッ! ボフッ!}
全然痛みの伴わない衝撃群が、全身のあちらこちらへ伝わった!
悲しい事だが、その記憶を最後にして僕の意識は遠のいていった。
なんだかとてもいい気持ちだ。
僕は今、日当りのいい芝生で覆われた丘の上にいる。
そこには満開で一本だけ生える立派な桜の木があった。
桜の木陰には正座をしている女性の姿が見える。
誰だ?
もしかしてイヤンの姉?
僕を見て自分の腿を指さす彼女の仕草を見るに、その意味をすぐに理解。
そこへゆっくり頭を乗せて寝そべる僕に、上から覆いかぶさるよう彼女は接吻を。
すぐさまその間に割って入り、強引にやめさせようとする違う女性。
……委員長だろうか?
かと思えば、フカフカと柔らかい胸を僕の顔へ押し付けるこれまた別の女性。
マッキー?
何という天国。
まさに酒池肉林。
途中、なぜだか申し訳なさそうに胸を差し出す委員長らしき女性……?
それに応えるべく手を差し出すと、彼女はそれを掴んで自ら自分の胸へと運ぶ。
衣服の上からでも形の良さが伝わる彼女の豊満な胸は、完全に僕を虜にする。
直後、イヤンの姉らしき人物による嫉妬かと思われる激しい平手打ち。
更にはマッキーらしき女性の自分も構えとのイジケビンタが僕の頬へ炸裂!
{パンパンッ!}
思っていた以上に痛い。
痛みはまだまだ続く。
{パンパンパンパンッ!}
「起きろアンジョー! 起きろってアンジョー!」
ハッと目を開いた瞬間、イヤンの忌々しい顔が視界へ飛び込んできた!
オェッ!
「あ、あれ? 僕って……」
そう、全て夢だったのだ。
願望の詰まった至福の夢が消え去った後の虚しさはなんとも言い難い。
夢の余韻に浸るべく、もう一度瞼をとじようとすると、
「大丈夫かおいっ! しっかりしろよ!」
両手で掴んだ肩を激しく揺らすイヤン。
さすがにウザくなってきたので渋々目を開き、揶揄いがてら彼に向かって、
「う……ん、えっ……と芸能人の方ですか? 随分男前ですね」
急に骨砕けとなり、クネクネ照れながら嬉しがるイヤン。
そんな間抜けを一人の女生徒が突き飛ばした。
{ドゴッ!}
「うがっ!」
そこにいたのは委員長。
その顔は切羽詰まった救命士と同じ!
「重症ね」
彼女に突き飛ばされてスッ転んだイヤン。
ってか、それで重症なのでは?
不思議と彼はその事を然程気にした様子はない。
逆に女子から触られて嬉しそうな顔をしている様にも……まさかな。
彼は何事もない顔をして起き上がると、体に着いた砂を払いながらこう話した。
「よかったーアンジョー、気がついたか? お前さ、誰かが投げたメロンパンが当たってそのまま気絶したんだぜ? ピンポイントで顎に当たってたから脳がゆれたのかもなー」
「おいおいイヤン、あんまバカにするなよ? 幾ら僕の特技が失神だからってメロンパンはないだろメロンパンは!」
冗談交じりで辺りを見渡すと、様々なパンが僕達の周りに散らばっていた。
……って事は、
「ホントなのかよっ!」
一人突っ込みをしてしまった漫談師アンジョー。
そこでふと疑問に思う。
「なぁ、そもそも僕はなぜ大量のパンを投げつけられたんだ? 委員長だって僕をブッ飛ばすほど嫌っているはずなのに、なぜこの場にいるんだ? かと思えば申し訳なさそうにオロオロしてたり……訳が分からん! 誰か説明して!」
その質問を聞くと、直ぐにそっぽを向く二人。
どちらも鳴らない口笛でアメリカカートゥーンの如く場を誤魔化そうとしていた。
フワフワとハッキリしない態度を見せる二人。
そんな中、僕に目を合わせることなくこちらへと近づくイヤン。
目の前に着いた途端マジ顔となり、チロチロ委員長を見ながら内緒話をしてきた。
「委員長さ、誤解でお前を殴った事謝りたくてさ、昼休みに入ってからずーっと後つけてたみたいだぞ?」
「なるほど、それは分かった。もう一つの僕がパンを投げられる理由は?」
目を逸らし口籠るイヤン。
まだ何を隠しているように見える。
北極熊を視線で殺す姉から伝授された強烈な眼力でイヤンを睨む僕。
それには耐えきれなかったのか、重い口が開き理由を話し始めた。
「な、なんか、き、嫌われてるみたいだねアンジョー? よ、よく分からないけど悪い意味で注目浴びてるみたいなーって感じ?」
嫌われている?
僕は人見知りはしても人の嫌がる様な事をしたことはない。
故にボッチで居ることはあっても嫌われる事など今まで一度もないぞ?
しかも登校してからまだそれほど授業も受けていないし学校にも来ていない。
謎が謎を呼ぶ殺人事件状態で迷宮入りする前にここ最近の記憶を辿ってみると……
ムム?
おかしなことに所々記憶が残っていないぞ?
ホームルームは疎か、他の時間帯ファイルも所々破損しているのではないか?
そう、どんなに思い出そうとしても思い出せないのだ。
物を忘れた状態の理由でよく耳にする事がある。
なんでも記憶のしまってある引き出しが開けられないから思い出せないのだと。
しかし今回は違う。
そもそも引き出し自体が見当たらないのだ。
当然記憶が無いのだから原因も分からない。
無理に思い出そうとしても何も思い出せない自分自身にイライラが募る。
その姿を不憫に思ってか、委員長が僕に話し掛けてきた。
「嫌われていようがいまいがどうでもいいじゃない。肝心なのは私を含めてアナタと普通に接する生徒がまだ少数残っているという事実よ。だから安心しなさいよ」
よーく聞いてみると、ディスられているような?
何だかとても失礼な事をいい感じ風に言いまわしているだけでは?
なんだか全く重みの感じられない委員長の言葉。
それはそうと、彼女の指摘通り少数派の時点でボッチコース選択済みではないか?
これで安心しろなどとよく言えるな?
しかし待てよ?
記憶を辿るに、ほぼ空白となる直前にはある共通の場面に出くわす。
そう、必ずと言っていいほど委員長かイヤンの姉が出てくるのだ。
そこになにか理由があるのでは?
先ほどの場面でも最後に見た場面は、逃げるイヤン姉の姿。
記憶の糸を紐解く重要な鍵を見つけた気がした僕は、自分の脳を更にグッと絞る。
{サスサス……}
そんな時、無意識に鼻の頭を撫でる自分が。
ヒリヒリしていたからつい手を持って行ったような……
まてよ?
よく考えたらこのメス猿に正拳突きをされなかったか?
そのせいで意識刈り取られたんじゃ?
ってことは、暴力を受けての意識障害と違う!?
少しだけ真理に近づいた名探偵アンジョー!
あれこれ考えながらも、じっと委員長を見つめる僕に彼女は、
「は、はやく行かないと昼休み終わっちゃうよ! お昼に何も食べられなくなってしまうわよ!」
心を見透かされる錯覚でもおこしたのか、動揺する委員長の姿はとても怪しい。
間違いない、黒だ!
「あ、アンジョーおでこ」
唐突に口を開くイヤン。
そのボケ老人のような目は真っすぐに僕の額を見ている。
よく考えたら担任にマジックで”肉”と書かれている事をすっかり忘れていた。
「それのせいでみんなに笑われていたんじゃねーの?」
「マジかよ!?」
その時点で上手く話をすり替えられてしまった。
彼自身はそれを意図した訳ではないが、偶然その結果に。
そんなプランクトンほどの脳しか持たない僕の思考は単純明快、明朗会計!
”嫌われている”を”笑われている”と何時もの如く勝手に脳内変換。
これですべて解決!
変に納得してしまった足りない僕を見て安心したのだろう。
ニワトリアンジョーに引き攣った笑顔で近づく委員長。
その表情にはしてやったりと語っていた。
額にある”肉”の文字をよりハッキリ見る為に、グイと顔を前に出す委員長。
近視の彼女は鼻先数センチほどのところまで御尊顔を近づけてくる。
彼女の視線先はもちろん額だが、僕の眼は彼女の艶やかな唇にあった。
殴られすぎて先ほどの夢と現実が未だごっちゃな僕。
自分の唇を委員長の唇に合わせる為、そっと突き出すと……
{チュッ}
「!」
柔らかい感触が重なり合う部分からしっとりと伝わって来る。
……と同時に頭頂部に走る激しい鈍痛が!
{ゴスッ!}
「あぐっ!」
まるで空手を極めた有段者のように切れのある委員長のその手刀は、同時に地球を割るほどの勢いで僕の脳天に叩き落された。
僕は学園生活の記憶がまだ殆どないのかも知れない。
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