第5話 ウナギ

 「いってきまー」


 学校が始まって早三日。

 一度もまともに登校していない僕は不安な気持ちを抑えつつ家を出た。


 「おー、オハヨー」


 偶然家を出る時間が重なり、爽やかな笑顔で僕に挨拶をするマッキー。

 ……ではなく、店の準備をする小汚いマッキーの親父が声を掛けてきた。

 チッ!


 「うちのマッキーはとっくに出かけたぞ? 安成君と一緒に行くのかって聞いたら『入学早々救急車で運ばれるマヌケと一緒になんか行けるか!』だってよ。」


 (なんだ? オヤジが汚いせいかイラッとするな?)


 更にマッキーの親父は語る。

 汚い髭を生やしたそのウミウシのような唇で、


 「お前、安成君がマヌケなの今頃気付いたの? 俺は彼が幼稚園の時、『おっちゃん、ちんちんが大きくなったらウナギになるってホント?』って聞いてきた時にはもうそう思ったね。あぁ、コイツは本物だなって。……おっと、ごめんごめん、本人を前にちんちんが小さいって話は無いはな」


 (話変わってるだろこのボケ親父がっ! そもそも会話の内容は何時もお下劣系下ネタじゃんかっ!)


 「ところで安成君よ。こんなとこで油売ってていいのかい? 遅れるよ」


 (お っ さ ん の せ い だ っ つ - の !)


 不愉快指数120%でその場所を離れた僕は、小走りして学校へ向かった。

 ちなみに赤楚見高校へは徒歩30分ほどの場所にある。

 

 本来自転車通学するつもりだった僕。

 悲しいかな、先日愛車である「アンジョウ号」は駅前で盗まれてしまった。

 フレームへ釘で名前を彫っておいたのから他の自転車と見間違うことは無いはず。

 結構なお気に入りなので発見次第速やかに回収予定である。

 

 もしその時同時に犯人も確認できたならば、常人なら嫌がるであろう復習をジワリジワリと長い時間かけてしてやるつもりだ。

 

 そんなふうに地味で根暗な仕返しをあれこれ考えていると僕を呼び止める声が。

 聞きすぎて飽き飽きしたその声の主は、


 「おーアンジョー、元気か?」


 バカのイヤンだ。

 僕を見るなり早速声を掛けて来た。

 なんか以前同じようなシチュエーションに出くわした気がする。


 「昨日病院から帰って今この時間まで特別問題は無いかな。強いて言えば、昨日見たイヤンの股間にあるちっちゃいウナギのせいで、今もお前の顔がウナギに見えることぐらいだよ。で、イヤンは?」


 「いや別に……特別なんかある訳ではないんだが……」

 

 なんだなんだ!

 その奥歯に物の挟まった様な物言いは?

 もしかしてあれか!

 昨日のイヤン家では家族で僕の大悪口大会でも盛大に行われたのか!?

 あのイヤンの姉ならやりかねん!!

 

 以前から捻くれ者だと自負していたが、ここまでマイナス思考に陥るとは……

 情けない自分に少し反省しながら、改めてもう一度イヤンに聞いてみるとしよう。

 

 ところが!

 ここで急に悪寒が走った!

 背後から感じる得体の知れないその恐怖!

 原因確認の為、ビビりながらもゆっくり後ろを振り返ると……


 「おーー! アンジョー君、グッモーニン!」


 「げ、ねーちゃんっ! ったく、足音もなく忍者かよっ!」


 イヤンのねーちゃんだ!

 僕以上にイヤンが驚いている!


 「げげげ!マナい……」

 (ヤベー!)


 慌てて口を手で隠し、こちらを向いている彼女に僕はコクリとうなずく。

 ラッキーなことに聞こえなかったらしい。

 

 ホッとひと安心し、改めて彼女をよく見る事に。

 すると彼女の着ている制服は僕たちと同じ高校のものではないか?

 失礼とは思いながら、即座に頭へ浮かんだのはエッチなお店。


 (コスプレキャバクラかなんかのホステスなのか?)

 {ゴスッ!}


 「コスプレじゃなくて私は童夢や君と同じ高校の生徒よ」


 心を見透かされたと同時に拳骨という名のエクスタシーお仕置きを頂く僕。

 それは予想以上に痛い!


 「お、おいイヤン! お前のねーちゃん超能力者かなんかじゃねーの?」


 そんな慌てふためく僕にイヤンの姉が近づいてきた。

 ついには唇と唇が触れられるほどの距離になると僕の鼓動は臨界寸前!

 恋はドキドキ春のハリケーン!

 なんてことは冗談だが。

 

 アレな性格はさて置き、見てくれは高スペックそのもの。

 騒がしさに周りの知らない男子生徒達も彼女へ気づいて注目が集まっていた。

 そんな女性に話しかけられている僕は優越感に浸り、ご機嫌レベルはマックス。

 そしてついにそのお口から……


 「今度まな板なんて口にしたら、君の体毛を全部ライターで焼いちゃうよ?」


 僕以外には聞こえない、それはそれは小さな小さな声で呟くイヤンの姉。

 その瞬間、臨界寸前だった僕の心臓は液体窒素を浴びたごとく凍結。

 イヤンがボソッと『やりかねねーな』と言ったことは聞かなかったことにしよう。


 「で、二人でなんの話してたの? もしかしてこのバカが病院で看護師さんの携帯番号ゲットしてきたこと?」


 「ねねね、ねーちゃんってば!」


 (一体なんの話をしているのだろうか? 携帯番号って何だろう? それでなくても普通スマホでパイン{SNSアプリ}じゃないのか? それに看護師さんってなんだ?)


 矢田姉弟の会話に要領を得ず首をかしげる僕。

 それを見たイヤン姉は、


 「根性あるよね童夢って。退院する間際にあの可愛い看護師さん口説いてさ、まんまと携帯番号聞き出しちゃったの。そもそも彼女、今時携帯ってのもめずらしーよねー。貧乏なのかしら?」


 「ああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」

 (僕の永遠の心の伴侶である看護師さんんんんんんんんんん!!!!!!!!!)


 イヤンの姉による非情な暴露。

 脳みそがPC画面に最小表示される日本語フォントより小さな脳の僕でもその意味に即気づく。

 

 「おのれイヤン! 出し抜きやがったな! 斯くなる上はこのメキシコから直接取り寄せた非常に貴重なハバネロを貴様の肛門にねじり込んでやるぅっ!」


 色恋沙汰には激ニブチンなこの僕でも流石にその意味は理解できた。

 それにしてもできる営業マンバリの行動力だなイヤンよ!


 「アハハハハ! アンタまだアンジョー君に言ってなかったのー? ってか、このままだと遅刻するから先行くねー! じゃねアンジョー君」


 まさに台風である。

 災害である。

 いや、ラブハリケーンである。

 僕達を混乱へと陥れた悪魔は何食わぬ顔でその場を飛び去ってゆく。

 

 いつの間にやら気がつくと僕等は肛門、いや校門の前。

 そこから教室までの道のりは、近くて且つ遠く感じる春の登校第二日目だった。

 

 



 「うーむ……」


 まだ学校が始まって三日目しか経っていないはず。

 それにも係わらず、何やら中から楽しそうな話声が聞こえる教室の入り口手前。

 

 僕とイヤンはなかなか扉を開けられずにいた。

 スタートダッシュに失敗して、その上失神というケチまで付いた僕達二人。

 今更どんな顔をして教室に入れば……


 そんな僕の心の内を知ってか知るまいか、イヤンはこちらをチラリと見る。

 彼は一呼吸置いて自分の両頬を叩くと、徐に扉を開けて教室へ。


 「グッモー……」


 「ちょっと! 待ってたわよ!」


 大声で挨拶しながら教室に入ろうと試みたイヤンはまたしてもしくじったようだ。

 ってか助けられたのかも。

 クラスは隣のマッキーが、なぜか僕たちの教室にいる。

 その横には超影が薄いぴかりゃもいた。


 「よーぴかりゃ、なんか久しぶり。ところでなぜマッキーがここにいんの?」


 率直な疑問をぶつけるイヤン。

 バカ正直だな。

 いや、バカ?

 

 それでもバカはバカなりに友人を心配しているのだろう。

 だが、彼に対しマッキーは少し不貞腐れた感じで、


 「別にいいじゃん。」


 即答。

 しかも凍える吹雪よりも冷めた言い方で。

 撃沈して瞳を潤ませるイヤンに少しだけ同情した。

 

 それにしても、なぜかワケを言いたがらないマッキー。

 煮え切らない態度をとる彼女に痺れを切らしたのか、ぴかりゃがその理由を暴露。


 「なんでも昨日今日じゃ友達どころか話し相手もできないらしくて、しかも俺やイヤン、それにアンジョーさえもが休んで居なかっただろ? んで、やっと今日登校してきた俺を見つけて泣きついてきたってわけよ」


 「ボッチかよ」×イヤン、僕

 (パチン!)×同上


 イヤンと僕の声が見事にハモった瞬間に二人とも彼女にデコピンを喰らう。

 入学初日に失神して一緒に登校することすら憚れる恥ずかしいやつを、実は待ち遠しくて待ち遠しくて泣きそうになるぐらい心待ちしていただなんて。

 

 こんな面白い事は、小汚いあの親父だけに報告しておこう。

 お宅の娘は僕に夢中だってね!


 「ところで座席ってどうなってんの? 俺自分の席知らねー」


 イヤンの声を聞いて、僕は無意識に教室を見渡した。

 そして入学式の日に失神してから、なにか大事なことを忘れていたのを思い出す。

 

 入り口から対角線上反対の端に見えるちょっとした空間。

 他の生徒たちは入学式当時同様、あちらこちらに数人で固まっている。

 なのに最後尾の窓際になるその座席付近だけは座っている当人以外皆無。

 

 その場所で、窓から外を眺めている様子の一人ポツンと座る人物を発見。

 彼に目の焦点が合うと、つい


 「あ、おっさんがいるじゃん!」


 そこには紛う事無き学生服を着たおっさんが居た。

 教室全体にエコーする大声を出した後、クラス中の視線が僕に一点集中。

 しかしそんなことは気にも留めずに、


 「アレ? やっぱりこの感じ前にもどこかで……」 


 


 僕の学校生活はまだ授業が始まらない。

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