第3話 イヤンのバカ

 「ハクションッ!」


 騒めく通学路の途中で、甲高いクシャミが暖かい日差しの下に響き渡る。

 それはもう、全ての音をかき消すほどの大きさで。

 

 桜吹雪が舞うこの時期、様々な学校で入学式が行われるのだが……。

 尤も、舞うのは桜の花弁だけではなく、杉から例のアレも。

 

 僕、三河安成ことアンジョーはこの時期が大嫌いである。

 なぜなら花粉症だから。

 

 ただ、反応するのはスギ花粉だけ。

 しかし病院で検査した事はない。

 ゴールデンウィークが始まる頃には殆ど症状は治まっているのが救いか。


 「よーアンジョー、モーニン!」


 聞きなれた声で僕を呼びかける人物が校門の横に立っていた。

 イヤンである。


 「なに泣いてんだよ?」


 「いやいや、花粉症だっつーの! それより今日は一人? ぴかりゃはどうした?」


 僕の質問に答えるバカ面な彼。

 失敬、バカにしたよう噴き出す彼。


 「ププ。それがさー、インフルエンザだってよ! あいつ友達作るスタートダッシュでもうこけてやんの」


 「マジ?」


 これで僕達とクラスが違えばボッチ確定コースまっしぐら。

 インフルエンザといえば最低一週間は他人との接触を避けなければならないはず。

 となれば……


 「ご愁傷様だなぴかりゃよ」


 などと呟きながらも僕は笑いが堪えきれなかった。

 人の不幸は蜜の味とはよくいったもの。

 まあ、笑うのは笑えるほどの極々小さな不幸だけなんだけど。


 くだらないことをダラダラ喋りながらクラス割の張り出されている中庭へ。

 そこには既にマッキーが待機。

 僕達を見つけるなり、周囲にいる生徒達の鼓膜を破壊するほど大声でこう叫んだ。


 「私以外みんな同じクラスってどーゆ事よ!」


 周囲の騒めきが一瞬で静寂になる。

 彼女のご立腹は地球の危機。

 そして僕の寿命が削られる事への確約。


 「おいおい声がでけーよ! 早速悪目立ちしてるじゃねーか!」


 普段より僅かにトーンを下げた声で周りに気を使って話すイヤン。

 そのヤツを押しのけて、彼女は僕の前へ顔を覗かせる。

 

 いや、確かに綺麗だけどさ、違う意味でその顔の恐ろしい事!

 抵抗する間もなく僕の顔面に手際よくアイアンクローを決めるマッキー。

 この間僅かコンマ2秒。


 「ぐあぁぁぁぁぁぁ」


 時折握力を緩めるのだが、指の隙間から見える彼女の顔は少し寂しげ。

 マッキーの得意なアイアンクローとは愛情表現であり、喜怒哀楽でもあるのだ。

 まあ、それが理解できるようになったのはごく最近だけど。

 

 それでも僕だけが的になるのはどうにも解せない。

 なんなんだよチキショー!


 だが、おかげで一つだけ明確となった事もある。

 やられる度に楽しかった思い出が確実にデリートを実行されてゆくのだ。 

 

 あぁ、蘇る事のない我が楽しき日々よ!

 カムバァーック!


 「アンタ達は4組かー。隣だから、ま、良しとしよ」


 (隣かよ!)


 この時ばかりはイヤンと心の波長がシンクロした実感がある。

 勘弁してくれと。


 などと何時までも外でジャレてばかりはいられない。

 そろそろ教室へ入ろうかと思ったところでマッキーが嫌味交じりにこう言った。


 「一旦教室に入って担任と顔合わせした後、体育館で入学式するらしいからそろそろ行こー! 私 は 3 組 だ け ど ね。」


 非常に憎たらしい言い方をする。

 ならばこちらはバカにした顔をしてお返し。


 「オッケーマッキッキー!」


 少し顔が曇るも、いつもの事だと聞き流す彼女。

 こうして後、なんだかんだと三人仲良く互いのクラスへと向かった。




 

 「じゃあ後でね」


 4組の入り口前でマッキーが僕達との別れ際に一言。

 彼女はそのまま自分のクラス(隣だけど)へ。

 僕も初めて会う他のクラスメート達にやや緊張しながら心の準備をしていると、


 「ちゃーっす!」


 いきなりドアを開けて教室全体に響き渡る声と共に中へ入るイヤン。

 こっちはまだ心の準備が出来てないってのに!

 

 しかし、なんだか微妙な空気を感じた彼は入り口付近で急に立ち止まった。

 不自然な行動をするイヤンを見て、僕も遅ればせながら中へ。

 すると……


 「なぁ、学生服着たおっさんがいるぞアンジョー。」


 イヤンは頭でも打ったのであろうか?

 だが、視線は一方向をじっと見つめながらの彼が冗談を言っているとも思えない。

 僕は疑心暗鬼になりながらもその方向へ顔を向けて、


 「おいおいイヤン、バカも大概にしとけって……、おっさんじゃんか!」


 やらかした!

 イヤンと僕のいる場所からは正反対の座席に向かって大声を出してしまった!

 間違いなくそこへと座る年配男性に一言一句違わなく伝わってしまっただろう!

 微妙な空気の原因はこれだったのか!

 

 僕の声が耳に届いたであろうその男性はこちらを見てニヤリと笑うだけ。

 騒めく周りを全く気にすることなく悠然とその窓際で座っている。

 なんという大物ぶり!


 少しだけバツが悪い僕は、男性から一番遠い入り口付近の席へ。

 細胞たちが無意識の内にその場へ荷物を置いたから、逆らわずに座った。

 

 追うようにその後ろを陣取るイヤン。

 当然僕達は互いに顔を寄せ合い、ヒソヒソ話を。


 「最初が肝心と思い結構勇気を振り絞って声張って中入ったけど、あのおっさんに全部持ってかれた。あんなん卑怯じゃん、インパクトありすぎだろー!」


 「だな。けど僕なんて悲惨じゃんか? 確実にロックオンされたぞ!」


 それ程にまで男性の注目度は抜群。

 他のクラスメイト達は同じ学校出身者同士で固まっているのだろう。

 複数のグループに別れて小声でヒソヒソヒソヒソと話している。

 どう考えてもテーマはその男性のはず。

 最初の微妙な雰囲気は当然かも。

 

 クラス全員が年齢は40歳ぐらいのダンディーなその男性に興味がつきない。

 だっておっさんが学生服着てるんだよ?

 無論、僕達二人の話すテーマも例外ではない。


 「マッキーの父ちゃんと同じぐらいの歳かなー?」


 独り言のような僕の呟きを聞いたイヤン。

 彼は興味津々な顔つきで僕に話を振る。


 「マッキーの父ちゃんってあんな感じなの? 結構男前なんだなー」


 そう、その男性は歳こそ食っているが顔面偏差値だけを見るとかなりの男前。

 体も締まっているようで、肌の質感のみマッキーの父親に通ずる感じがした。

 年相応ってやつ?


 「いやいや、マッキーの父ちゃんはもっと小汚くてその辺のチンピラみたいな感じだよ! あ、これマッキーに言うなよ! アイツのアイアンクローよりあの父ちゃんのほうがタチ悪いんだから。今はどうか知らないけど僕が小学生の時は自作の歌を延々聞かされたんだよ? へったくそなギターと一緒に! しかも音痴……。暖かな春の陽気に胸躍らせながら一面を彩る様々な花たちも、マッキーの父ちゃんが歌ったら種に戻って耳ふさぐっつーの! 植物に耳があるかどうかは知らんけど……」


 「すげえな……」


 イヤンとそんなやり取りをしていると傍にある扉がガラッと開く。

 そこから小柄でスタイル抜群の女性が入室。

 それにしても色っぽいチチだな。


 「はいはい、みんな静かにーっ!」


 女性は教室へ入るなり、全体に届く声を上げながら教壇の上へ。

 そこで立ち止まると、今度はこんな事を話し始めた。


 「今日からこの4組を受け持つ有松奈瑠美ありまつなるみと言います。担当は英語です。とりあえず席はどこでもいいから確保して、すぐに体育館へ移動してください」


 ここまでは教師らしくお淑やかに。

 そしてここからは……


 「ハィッ移動移動っ! 速やかに行動するっ!」


 なんとも威勢のいい女性教諭。

 しかし僕は見逃さなかった。

 三十路半ばほどと思われる担当がチラッと一瞬だけ年配男性をチラ見したのを!

 意識丸出しじゃないか!


 「なんだかやりにくいなぁ」


 部屋を出るときにポツリと先生は呟いた。

 入り口近くの席に座っている僕がそれを聞き逃すはずもない。

 ともあれ、様々な謎を先送りに、まずは入学式が執り行われる体育館へ。

 なんだか面倒臭いや。

 

 

 体育館へ到着後、有松先生の誘導に従い中へ。

 そこで僕達のクラス早速洗礼を受ける。


 「ブーブーブー!」


 一番最後だったらしく大ブーイングを食らっての入場。

 正直、それがどうしたぐらいにしか思わなかった。

 

 ところが!

 おかしなところでおかしな気遣いをしてしまう疎か者の僕!


 (あっ! おっさんがクラスにいるのが全校生徒にバレて大注目を浴びてしまうのでは?)


 必死で彼を探がすも、あの男性の姿はどこにも見当たらない。

 もっとよく見える様にと、つま先立ちを……

 しかしその瞬間!


 {グキキッ!}


 鈍い音と一緒に激しく揺れる視野!

 同時に口から悲鳴が零れた!


 「はあぁうぅぅうっ!」


 全校生徒の見守る中、僕はゴロンとすっ転んでしまった。

 これは恥ずかしい!


 シーンと一瞬静まった館内は、直後大爆笑の波へと飲み込まれる事に。

 唯一僕だけが笑えないで苦痛に顔を歪めるハメとなった。


 「ククク、段差も何もない床で足グニるなんてお前はおじいちゃんかよ! 手を貸せよホラ!」


 「あぁ、悪いな。」


 僕はイヤンに手を借りて腰を上げた。

 するとどうだ?

 今度は彼の足首からイヤなきしみ音が聞こえてくるではないか?

 もしや?


 {グキキッ!}

 「あぁっ!!」


 イヤンの声の後、暫くして僕の頭部を走る鈍い痛み。

 何が起きた!?

 

 足首をグニッたイヤンが僕の体重など支え切れるはずがない。

 そのまま覆いかぶさるようにこちらへ圧し掛かってきたのだ。

 ヘッドバットのオマケつきで……

 

 直撃を喰らった僕は再び横たわる事に。

 相当な衝撃だったのか、苦痛で目も開けられないでいた。

 そして遂に……

 

 薄れゆく意識の中で、瞼を閉じる最後の瞬間にそれを目撃。

 イヤンの足首が明後日の方向へ向いていたので脳内写メに記録。

 登校早々いい思い出の一枚を手に入れた。


 (お前こそその足首は生まれたての赤ん坊の首かよ!)


 僕はこうして心おきなく意識を消失。

 それにしても痛いなぁ。




  僕の病院生活が始まるかも知れない。

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