愛しているわ

 セックスするのが好きだった。


 いい雰囲気作りより、良い感じの仲よりなによりも二言目にはセックス。関係なんて二の次でただそれで味わえる快楽が好きでたまらなかった。

そんな風になって気づいた。ああ、私って薄情なんだなって。


 できるだけいろんな人と交わりたい。だからすぐに付き合っては別れた。付き合う前から関係を持つなんて私が自身に課したポリシーに反した。先に付き合うまで惚れさせて、それからが一番スッキリする。はっきりさせないと嫌。でも簡単にフル男も嫌。フルなら私からがいい。


 男をそそのかして、セックスしてそれで楽しむだけ楽しんで、飽きたらポイっと捨てる。それがなにより楽しい私なりの関係の持ち方だ。


 なにかと妹にそれで白い目を向けられるけれど、それで構わなかった。

 私は私なりに自分の名前『恵』のように、人としての恩『恵』を楽しんでいたいだけ。それで私を非難するやつらも居たけれど私なりのポリシーをかざし追い返した。露骨にこんなことを言うのはきっと誰しも嫌いだ。だからこそ私は言ってやった。


 彼と関係を持って何が悪いの?

 ゴムだってしているよ?

 付き合っているよ?

 その範囲内でして何が悪いの?


 本当に露骨だ。晒すだけ晒して、私より私を非難した人の方が赤面していた。私は簡単にこれを言ってのける自信がある。自分のそういうところを何のおくびもなく出せる。


 それのどこが悪いの?

 本当の所、悪いことなんてないのは知っている。この行為は人として生を受けているのなら、当たり前のことで、だからこそ快楽って言うプラスの思考が伴っている。

 誰も悪くない。なら私も悪くはない。


「恵は料理が上手だな」


 付き合っている彼がいつもの褒め言葉を今日もまた繰り返す。


 彼はそういう人だ。いつも同じ褒め言葉しかない。浅く薄くあそこしかでかくないみみっちい男。

 もっと私に褒めることは沢山あるはずだ。私が可愛いとか、今日も美しいとか。いつもお化粧はばっちりなのだから。


 彼は付き合ったその後につまらない言葉しか吐かない。その果てに周囲に私と結婚するんだとのたまっているたりしているのを知っている。愚かなことだ。


 どうしてそんなことを言えるのかしら。どうせ大学の仲なんて続かないに決まっている。どうせ私から別れを告げる。男なんて馬鹿だ。私の噂を知っているでしょうに。


 それなのに、未だ別れない私も私でおかしいのかもしれない。もしかして私は、彼に思わせぶりな態度をとって、最後の最後でふるという性格上、史上最低な行為をする機会を伺っているのかもしれない。


「それは、どうもありがとう」


 皮肉っぽく返した。


 ここは彼の家だ。


 私はあまり家には帰らない。彼の家とか、自宅とか、ホテルとかそれの行き来で日々を過ごしている。だからお礼のつもりで昨日、私の手料理をご馳走してあげたのに、こんな感想だから今すぐにフリたくなる。


 ま、今はしない。我慢して……最後には?

 また繰り返していく?


「私の料理本当においしかったの?」


 ぼんやりと彼を見る。


「おいしかった、おいしかった」

「ほんと?」

「あっ、でも明日は魚が良いな」


 作った物が嫌だったらしい。ちょっと亭主関白過ぎる。もっとどう美味しかったとか、ありがとうとかあるのにこの人はそんなことを言わない。


 むしろ明日もよろしくって、それってちょっとどうなのかしら。私の父だって料理を作ってくれた母に毎回「ありがとう」って言ったのに。



 父……



 考えるのを止めよう。


 彼の隣に座り、彼が見ているテレビを一緒に見る。そこに写っている赤ん坊入れ替え事件を見てまた心がざわめく。この事件は私の不安をよく表している。


 ふと母が夜にどこかへ外出する光景が浮かんだ。あの時母は一体どこへ行っていたのだろうか。


「こんなことあるんだな」


 カラカラと彼は笑った。


 他人事だと思っているのか、陽気なものだ。そういうところが良かったから声をかけた。私の不安もろとも吹き飛ばしてくれそうな人だなって。付き合ってみれば淡泊、浅い、不器用の面倒くさい三つが揃っていることに気づいた。こんな三つは扱いづらい。


「今日の大学サボっちゃおっかな」


 呟くと彼は、そうしろ、と明るくのっかってくる。

 彼は今日、全休で一日家に居る気だ。


 私と遊ばない、とかならないのかな?


 彼はカラカラと笑った。


 ならないよね。


「分かった。今日は魚にするね」


 彼は先ほどからカラカラと笑い過ぎている。


 ああ、笑い声で私の声が消える。この人は私の言葉なんていらないんだ。

 それがいいのに、なんだか虚しくってたまらない。


 体がほしいだけなんだ。私だってそうだけど、料理は別だ。料理だけは私の武器なんだから、もっと構ってほしい。彼だけには私を理解してほしいかった。今までとは違う何かを彼に期待している。どうしてか知らないが、この男だけ、ちくりと胸が痛む。

 一晩だけの関係だけでおさまりたくなくなってくる。


 そう言えばいつからこうなったのだろうか? 


 私、彼に対してだけはおかしいみたいだ。


 彼は依然としてカラカラと笑っていて私のことを見ていない。


 はあとため息をつき、

「ごめんやっぱ今日は学校行く」


 一言で言えば焦ったのだ。こんな気持ちじゃいられない。次にいかなきゃポリシーも何もない。そのためにも今日は学校へ行こう。サボるのは簡単だし、単位も足りるけれど、それだけは譲れない。渡せない。嫌。

 表面上の嘘つきみたく真面目にふるまいたい。


「行くんだ。じゃあ、俺も」


 いやいや、何でついて来るの。



 ****



 学校帰りに妹を見つけた。


 終始つきまとっている私の彼氏にそこで別れを告げた。今日は妹が居るから帰れないわ、と適当に言い残し彼に背を向けた。彼は追いかけて来ない。

 上手くいった。


 妹の千鶴に近づくと、ぼんやりとしていたみたいで暫く気づいてもらえなかった。


「千鶴」


 ちょっと声を張ると気づいた。


 この子はどんな気持ちでいるのか分からない。いつもぼんやりとしているし、何を見つめているのか先を追うけれどその先がなくて、行動で何をしようとしているか分かるのに考えていることは表情や言動におくびにも出さない。だから、怖い。私の不安がこの子に知られて、どんなものに包まれるのか分からないから。それが何かの行動の引き金になるだろうかもしれない、と考えると気が気でない。


 私の不安はきっと千鶴には知られていない。


 父の不安が伝染させられ私の不安は移った。それをどうしてもこの子に移させたくなかったから、注意をしていた。


 夏だと言うのに透き通る白い肌、黒々とした瞳が千鶴を彩る。高校の制服は夏らしく半袖のワイシャツになっていて、スカートはひらひらのひだがある。歩くたびにひらっとかえり懐かしさを誇張させる。


 いいなあ。


 こんな時期が私にもあった。彼氏をつくって、遊んで。不安をまた倍増させて。今やっていることはその延長だ。それなのに、私のこれからの不安はどこか諦めている。もうこのまま一気に落ちていくしかない。そんな気がしている。


 気づいてないのは千鶴だけ。みんな千鶴が可愛いのだ。落ち込まないでほしいのだ。私だってそうだ。たった一人の妹だもの。


「お父さん変じゃなかった?」


 少しだけ漂わせるように言った。でも千鶴は反応がない。


 うん、それでいい。



 ****



「結婚しよう」


 家に近づいて来る。それなのに彼はついてきた。そんな彼が小さく、それでいて力強く言い放った。それは突然で、いつも通りの日常を軽く蹴とばしていく。


 あたりは静まり返った住宅街。家もすぐそこで誰が見ているのかも分からないのに、彼は恥ずかしげもなく言うのだ。


 そんな人だったっけ。

 記憶を探るが、まったく彼から何かを提案したことがない。


「何でそんなこと突然言うの?」


 彼の顔は苦悶に歪んだ。


 指輪もない。現実的ではないプロポーズに同意すると思ったのだろうか。惰性で付き合っている態度はでていたと思うのに、それも分からない人だったとは思わなかった。


「でも、将来的にはそうなってもいいんじゃなか」

「将来?」


 そんな風になるのを私は望んでいるのか。いや、いない気がする。子供を持ちたいと思えない。幸せならベッドの上で感じられる。一時が幸せなら私はそれでいいし、幸せな家庭を気づいて家族としてあろうとか、彼と一緒になるなんて考えられなかった。将来より、今の私の家庭環境の方が気になっている。


 そんな風に思っている私と本当に一緒になりたいなんて彼は物好きだったし、雰囲気を感じられない馬鹿としか思えない。

 一言で言えば、「生理的に嫌」だ。

 

 ふと舌の上で甘くて苦い何かが転がった。

 おかしい。いつもは嫌と思うたびに、ふっていたのにしたくなくて違う不安がふきだしてくる。


「将来なんてない」


 こんなこと言いたくないのに、口が動く。感情の裏側からほとばしる嫌気が私を押しとどめくる。


 この感情が何かは分からない。しかし、その感情を溢れさせてしまえばこの嫌気も、今と言う一瞬を嫌になった感情もなくなってしまう気がした。


「もしかして別れるなんてないよね」


 彼の顔色がどんどん悪くなる。この期に及んで気づくなんて遅い気がした。

 私の手を握っていた浅黒い彼の手を払い、ふんっと一笑する。唇をつきだして、ちくっと痛む私の心の傷を彼を睨むことで舐めた。


 こんなこと今までになかったから、もしかしたら私も彼のことが好きだったんじゃないかとふと感じてしまった。いけないのに。いけないのに、それに気づいてしまった。


 ああ、私……この人のこと……



「……ごめんなさい」



 さよならを言おうとしたのに、留まってしまう。口がいつも男をフルように上手く動かなかった。

 何かはっきりしないものがある。何故だろうか。心底やめてほしかった。フッタ先にいつもは日常が待っているのに、今は暗く重いものが迫って来る。


 痛い。


 それを背負ったら痛くなって、初めての感情に戸惑った。


 どうしてこんな何かに悩まされるのか、分からない。もしかしたら先日あった父と母との離婚がそうさせているかもしれない。父の告白で確定してしまった事実やらなにやら。らしくないけれど、日が経って初めて気づいた。



 私は気づいていたのに、何もしてない。



 もしかしてじゃなくとも気づいた。それしかなかった。



 ****



 「虫が家の中にいて、出てきてただけ」って言った虫嫌いの千鶴を外に待たせて、私は虫退治しに家に入る。


 案外弱い妹だ。虫一つで家の外で待ってるなんて、やはり可愛らしいところがある。


 だがふと暗い家を見ていると考えていた事や悩んでいたことが一気に噴き出してきた。

 頭が冷えてきて、このごろの出来事を整理されたのかもしれない。


 私の彼への感情は本当だったのか。考えて考えて、答えをだしたい気持ちにかられた。あの感情はなんだったのだろう。いつも通りならこんなこと考えない。むしろ、ふるとき明快に振舞えていた。


 考えるといつも歩き回ってしまう。

 リビング、ダイニング、何も感じない家の中はまるで私の家の中ではないようだ。全くここに居なかったせいでもある。封筒が食卓に置かれているところなんて、よくよく見て見ればおかしな風景だ。


 次に千鶴の部屋を覗く。姉としては妹の隠し事が気になる。どんなことに興味がありどんな趣味なのか、私はそれを知りたいし、こっそり彼女の趣味の後をつけてみたりしたいのだ。


 開くと、足元に何か触れた。

 かさり、と音をたて触角が反応する。その感触は紙だった。徐に見てみると、赤い折り鶴だった。小さく開けた扉の隙間に一つ。先を見てみる。まだあった。青、白、赤、黄色。たくさんの色とりどりの鶴達が群れをなさずに乱暴に部屋に放り込まれている。


 不思議な世界観を演出するその鶴達は、私に語り掛けて来る。



「あなたは何もしてない」



 そう、何もしてない。


 責めたてる。


 千鶴の机の上に大きなカッターが転がっていて、それは『死』に向かう鶴達を思い起こさせた。そのカッターと言う『死』を周りを折り鶴が囲っているのだ。あのカッターは紛れもなく『死』であったし、周りの鶴はそれを止めにかかっているようにしか見えなかった。鶴はいろんな方向から抵抗している。生きたいとわめいて、カッターへ猛反撃していた。


 そうか千鶴は……


 そう言えばあの子の笑顔を見たのは何日前だっけ。千鶴と深く話したのは、何日前だっけ。千鶴が私達のことを気づいてないと思っていた私は、千鶴をちゃんと見ていたっけ。


 この鶴は知らない。趣味だと言えばそれだけ。そうなのに、先日の父と母との離婚が頭を過り、最近千鶴が元気ないことに気付いてあげられなかった。

 

 私はまた何もしてない。気づいていただけだ。好きだとか、愛だとか、そんなもの母と似てしまっていることに気付いてなかった。肝心なことは気づいていたはずなのに、何にもしてこなかった。


『結婚しよう』なんて言ってくれたのに、私が拒否してしまったのはきっとこのせいだ。母は私と似ていて、きっと千鶴も不安の影を知っていた。陰りが見えていた千鶴の不安に私は「うん、それでいい」なんて言っちゃって見逃してた。


 何がいいだ。何が結婚しないだ。


 違う。私はそんなことで彼を拒否していたんじゃない。

 カラカラ笑う彼が好きだった。陽気に返してくれる彼に恋をして、初めて『結婚』なんて願望を見せてくれて、嬉しかったじゃない。私のことを丸ごと信じて、セックスが好きなんて言ったのに、それでも私のことを見てくれた。料理だって、あれが最高の彼の褒め言葉だった。不器用が彼の一部なんだから。結婚をきり出したのも本当は怖かったはずなんだ。私がそれを無下にしてしまったのは、ただただこの身の内の不安があったから。


 その不安の赴くまま、ダイニングに戻ればそこに写る景色が懐かしくて不安が噴き出した。


 気が付くと頬を涙が濡らしている。


 私、あの人が嫌いになったわけじゃない。私自身がお母さんみたいに家庭を持つことが怖かったんだ。


 千鶴を避けていた。ただ近づいて関わるのが恐ろしかった。だから知らんぷりを決め込んでいた。千鶴がどんなに不安か、悲しいか考えてもみなかった。

 

 私が将来でこんなに悩んでいるのに、千鶴が悩まないはずない。似てきている顔立ちも性格もあり方も、どんな風に大人になって、これから成長するのか、ただただおぼろげなものでしかない。


 そっか、もう高校生だもんね。

 私ももう大学生で、結婚とか付き合いとか考えるべきなのかもしれない。



 不甲斐ない私でごめんなさい。


 でも、愛しているわ。



 ****



 今日こそは、と思いたち買い物に出かけた。


 スーパーに売っているものはあらかた頭に入っている。彼に料理する時よくこのスーパーに来るからだ。隣にはよりを戻した彼。


「これなんか喜ぶんじゃないか」


 その手にはカレーのルー。

 選んでくれているのだ。今日の料理を。


 妹に温かい料理を食べさせたい。そんな小さな頼みごとに彼は手伝ってくれている。


「それはダメ」


 妹の部屋をちょくちょく覗き込み、彼女に今何が足りないのかを知る。

 そこから自分の貯金を削り、これから先のためのお金をせめてもの償いのために働いた。決心がついてからは早かった。


 お父さんと話そう。そして彼とよりを戻そう。そうして一瞬の今より将来を目指そう。

 こんなありきたりなことを前は花を手折るようにこの手で一瞬にして消していた。


 それじゃあだめだよね。私は母じゃないし、父のようにもならない。それだけでいい。その決心だけで私は彼と一生付き合える。


「これじゃあ、ダメ?」

 と、彼がしょんぼりする。


「今日は決めてるの」

「決めてるなら、何で今日付き合う必要あんの?」

「それはそれ、これはこれ。今日は上手くいくまで付き合ってもらうつもりだから」

「で、何つくんの?」


 傍にある玉ねぎを持つ。玉ねぎはつるつるとした茶色い皮が引っ付いていた。私の手にすっぽり入っていて、もしこれを食べるとしたら、私達二人だけでは大きすぎる。その隣にはカボチャ。カボチャは四分の一で切り分けられているのと二分の一切り分けられているものとで売られている。

 

 私は玉ねぎをかごに入れ、二分の一のサイズのカボチャを手に取った。


「揚げ物」


 一番苦手な料理。

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