三羽目
Q,何故死にたいのか。
A,弱者で居るのに疲れたから。
誰しもが救われる訳でないこの不平等な世界から早く離れたいから。
Q,何故生きたいのか。
A,死にたくないから。
まとめあげると本当に私は雑な人間なのだなと実感する。死ぬ理由でさえあやふやだ。ただ薄く「ああ。死にたいな」なんて感じたからで、どことなく死ぬには脆い理由ではないか。
もっと具体的な何かが欲しかった。突き詰めればそれは生きる理由を探すのと似ているから、やはり探すのには苦労するだろう。
鶴を一羽折った時から随分と経つ気がするけれど、まだ三羽しか折れていなかった。三羽とも家で折ると言うよりかは、誰も居ない教室で折った。教室の圧迫感が私に折れと促していたからなのか、それとも吉が居るからだろうか、なるべく放課後に吉が居残る教室で折っていた。見られたから、折る。そんな日々。
そんな日々の中で吉は私にほとんど話しかけてこなかった。もともとそんな気楽な関係でもなかったのは確かだが、放課後居残る以外教室では話しかけて来ない。当たり前なんだけれど寂しい。だから意趣返しのように私もまた、吉がこの教室に居ないように、これまでと同じように吉に対しては振る舞った。
たまに放課後以外で見る吉は楽しげに笑っていた。彼女には何人か仲の良い友達がいて、いつもその子達と和気あいあいと会話をしている。
私にも友達はいる。しかし、それは友達と言って良いのか分からないほど、会話がかみ合わない友達だった。何とはなしに笑って、互いのきらいを探っていた。
無為に過ごす日々は変わらなかった。ただそこに死ぬ期限が刷り込まれただけ。
み~んみんみん
蝉の鳴き声がうるさい。
私の思考を妨げるかのように教室には蝉の声が響いてきている。いつも同じ声だけど、蝉は七日しか生きていけない。それを七日と考えると、この声の一つ一つは蝉にとって大事なものなのだろう。
蝉の声と私の折り鶴はそうすると奇妙にも噛みあっていた。
これを折るたびに私は死に一歩近づく。
私はそのタイムリミットを自分で数えながら、生きる意味と死ぬ意味を探し出す。
二つ同時になんて、ひどく傲慢で、矛盾している。早くも死にたくなるけど、これは私自身が決めたことだ。最後までやり遂げる、いや、やり遂げなければならない。意味も理由もないけれど、そうしたいと決心したからには最後までやり遂げる覚悟があった。
すっと息を吸う。
「ね、ノート見せてくれない?」
と、その時授業の空き時間を利用して、いつも絡んで来る仲良しこよしな子が話しかけられた。
ノートとは、さっきの時間のノートだろうか。
いつもこの子は眠そうに授業を受けている。うつらうつらと目を開けては、閉じを繰り返して、それでも懸命にノートをとっていた。
「今日はとれなくってさ」
笑いながら彼女は舌をちょろっとだす。こういう時は愛想笑いしながら彼女に奉仕しなければならない。
そっちの方がいい人だから。私はそう見せなきゃダメなんだ。世界の理にも等しい感覚に疑問を持っちゃいけない。
良いことはするべきだ。
悪いことは避けるべきだ。
息をするように当たり前にこの世の中に蔓延っていることでしょ?
私は表面上の笑顔を浮かべ、寝不足で目の下に隈が出来ている彼女にノートを差し出した。良い人になるように私は演じた。彼女もえへへと頭を掻きながらノートを受け取った。これが当たり前になっている気がするが、気にしないことにした。
そう言えば、吉はこういう時私と同じようにではなく楽し気に会話を挟みつつ友達にノートを貸していた。あんなに楽し気に吉は友達をしているのに、何故私に心中することを持ちかけたのだろうか。彼女は死にたいぐらい教室では辛そうにしていない。さっきのノートの彼女の隈を見る限り、吉の方が何十倍も毎日楽しそうなのに。
私はまだ吉が何故死にたいのか知らない。
毎日に退屈したのだろうか、それとも私のようにふと『死にたい』と思ったのだろうか。
「別に」
珍しく教室に居残った吉が私の問いかけに素っ気なく答えた。
私は折り鶴を取り出して折ろうか折るまいかしようとしていた時に彼女は唐突に答えを出してきた。
まるでテストの正答みたいに私の思った通りに吉は答えた。百点満点な答えで若干渋る。
教室には誰も残っていない。寂しさが背中を伝う。ぶるっと体が冷えてきた、一方でうだるような暑さが私を掴んで離さなかった。額から滲みだしてきた汗が顔を伝い、顎へかけて線を引く。それから、ぽとっと机の上に丸を描く。汗のじんわりとしたうっとうしい臭さが香る。
「死にたいから、かな。私にも分からない。なんとなくなんだけど、此処に居る必要あるのかなって、考えただけだよ。そしたらさ、私の代わりなんか沢山いるじゃん。教室の席は来年になると新しく変わってさ、そこが死んだ子の席でその前の年に穴になっていても、変わらないから。こう……上手くは言えないけど」
まだまだ吉の答えは曖昧だけれど、私の虚無感の正体を吉は適切に言い当てた。
そう、それだよ。
手元を見ると鶴が一匹出来上がっていた。今度のは赤い鶴だ。これで四羽目。
死ぬまでの道のりは長く果てしない。
千羽折ったら、死ねるなんて他人が聞いたらきっと笑ってしまうだろうな。
「どう? 見つかった? 生きる理由」
吉は私が折った鶴を力強く握る。
「……まだ、かな」
死ぬ理由を見つけようとしていたなんて口が裂けても言えない。
「そっ」
あっけらかんと吉はしていた。
「ごめんね。なんか待たせてるみたいで」
「私は待ってないよ」
「……へっ?」
吉が心中を持ち出してきたのに、それはあんまりな返しではないか。心中を持ち出してきたから、私は悩んでいると言うのに。
こほんと一つ私は咳をついた。先ほどの変な声もなしにしたい。恥ずかしい。
吉は気にせず赤い鶴を指でつついていた。まだ新しい紙の匂いが手に染み付いていく。
「千鶴が生きる意味を見つけたら、見つけたで、それでいいんだ。そうしたら、今まで通り一緒に生きていくし、私はそれでいい。千鶴が死にたいなら一緒に死ねるしね」
熱い夕焼けの日差しが窓から注がれているにも関わらず、彼女の肌からは醜い汗の一つも噴き出していなかった。つややかな髪の毛が茜色の色を受けている。彼女の髪から香しいシャンプーの匂いがした。涼し気な顔で、黒い眼で、鶴を見つめている。
「それでいいの?」
私は吉に問いかけた。
私が座る席の真正面に、吉は椅子をこちらに向けて座っている。赤い色が彼女の肌に馴染む。平均的でどこにでも居そうな顔立ちなのに、死にひたむきな彼女がやはり美しいと感じた。
黒い睫は短く伸びている。
彼女は目を細めた。
こくんと頷く。
「いいの?」
「うん。いいよ」
他人の意見で生き死に、を決めるなんて、吉の心はとっくの昔に狂っていたとしか思えなかった。
普通は良くない。
「良くない、良くないよ。正しくない。自分の意見なんて他人に決めるべきじゃない」
少なくとも私がそれを決めてしまうと、私は悪い人になってしまう。
「自殺しようって言ってる時点で、どっちにしろ悪い事だよ。社会的には、ね」
押し黙ってしまった。吉はそれを見越して喋る。
「価値観が違うよ。私にとって、自殺は善も、悪もない、無なんだよ。救いでも、報いでもない、その先にあるのは千鶴と同じ、自分らしさなんだ」
「よく分かんないよ」
私と同じと言われても、実感がわかない。
吉はこうして持論を繰り出すのが嬉しいのか、どこか得意げだった。私も持論を堂々と話したいとは思ったことはあるが、私の持論を聞きたい人なんて誰も居ない。持論を展開すると、きっと嫌われる。引かれる。そんな壁ぶち破って吉は語り出す。
鶴をつついていた吉の指が上へ向く。そしてくるくると回し始めた。
「思わない? 今の自分は自分じゃないって。千鶴さ、友達って居る?」
「いる」
表向きは。
「その友達は、千鶴が本当に気を許せる友達? さっき、私に叱ったこと、本当に千鶴が思ったこと? 本当にそれが正しいって思ってる? もし千鶴が死んだとしても、悲しんでくれる? 泣いてくれる? 千鶴はその友達に私みたいに『死にたい』とか、嫌われそうなこと言える?」
何でこうも吉は私の核心をついて来るのだろうか。
Q,気を許せる友達か?
A,そんな訳ない。いつもびくびくしてる。他人がどう思っているか怖くて仕方ない。
Q私が千鶴に叱ったように?
A,叱れないよ。嫌われたくないから。
Q,本当に正しいか?
A,それは……思ってない。人の目しか気が向いてない。
Q,悲しんでくれるか?
A,悲しまない。きっと将来忘れ去られてしまう。笑って記憶を消し去っていくはずだ。
嫌われることを、言えない。言えるわけない。
私は……
「千鶴にとっての『死にたい』はさ、自分らしく出来ないことへの復讐なんだよ。飽き飽きしてるんだ。私も、それと同じだから、だから…」
『一緒に自殺しよう』
息を吐きたくても吐けない。
お昼に、集まって『友達』とご飯を食べていた。ノートを貸した彼女は今日もパンだ。メロンパン片手にさっきの授業や昨日の夜したことをつらつらと述べている。そして、グループの他の二三人は彼女の微笑ましい発言に笑みを浮かべる。
私もまた同調して笑う。
また愛想笑い。
何故同調するのか。答えは簡単。人の目を気にしてるからだ。嫌われたくない。傷つかせたくない。報いたくない。心配させたくない。
これでは息を吸いたくても吸えない。
私は……この空間が怖い。
私の立ち位置は弱者のそれだが、心もまた弱者だった。
息苦しい。息が出来ない。
私らしくあれない。
目の前の空間が奇妙にねじ曲がっているように思えて来た。視界が霞む。
ああ、見つけてしまった。
分かってしまった。
私の死ぬ理由。
笑顔をやめ、折り鶴のことを考えた。
帰ったら何羽折ろうか。
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