第5話 美しい終わり(未完)

首を少し傾げて、髪の隙間から 僕を覗いた。

目は笑っていなくて、完全に怒っているように見えた。

僕は言い訳をするつもりは無かったから、

黙って彼女の目を見つめ返した。

静寂が5分程続いた後、彼女は溜息をついて床に倒れ込んだ。

それは丁度 僕の足元だったけど、指先にはほんの少しの熱も感じられなかった。

どころか窓から北風が吹き込んで、遠くで雷鳴が響いた。


「私、怒ってなんかないの。だって、こんなこと、最初から覚悟していたんだから。」

「……。」

「それでもね、いざとなると、苦しいの。わかるでしょ、生きている貴方なら。」

僕の心に、彼女の、"生きている" という言葉が重くのしかかる。


その話題は、極力避けていたんだ。

目を覚ませば溜息を吐くし、口を開けば不安を語る。

目は虚ろで、食べ物にもまともに手をつけない。

僕は一度、彼女を説得しようとしたんだけど、

ろくに聞き入れてくれなかった。

それどころか僕のことを愚者だと蔑んで、

目も合わせてくれなくなった。

あれほど可憐で、純真で、天使みたいに優しかった

彼女はもうどこにもいなかった。

日に日に頰がこけて、足元もおぼつかなくなっていった。

ある夏の日に、納涼祭へ連れ出したとき、

提灯の明かりに照らされて、ぼうっと闇から

彼女の顔が覗いたとき、僕は思わず目を背けてしまった。

こんなに酷くなる前に、僕は彼女を止めてあげるべきだった。

世の中はもっと寛容で、温かいものだよと抱きしめてあげるべきだった。

繋ぐ手が、氷のように冷たくて、僕は始終涙を必死に堪えていた。


それから3週間経ったある夜、彼女から会えないか、と

メールが届いた。

彼女の家は三鷹にあるので、僕は両国の実家から

電車で1時間弱かけてすぐに迎えに行った。

駅のホームで僕を見つけると、彼女は子供みたいに

駆け寄ってきた。今にも泣きそうで、小さく震えていた。


「私、もう気にしないことに決めたの。

迎えが来るなんて、よく考えれば非現実的だし、

それに今は……誠司君がいるから。」

「よかった!僕が、君を必ず守るから、だから、もう

悩まないでね。ああ、本当に、よかった!」


僕は心の底から嬉しくて、何度も何度も彼女を抱きしめた。

壊れそうな彼女の肩を抱きながら、僕は何があっても

この少女を守ろうと決心した。


「僕は阿呆だった。彼女の悲しい特性を忘れていたんです。

その日が小望月だってことに、気づいてさえいれば。

あんなに神経質な彼女が、僕の存在ごときで考えを変えるはずが

ないんです。僕は彼女から、針の先ほども愛されていませんでしたから。

彼女には、虚構癖があったんです。

それは子供をからかって楽しむような、その程度のもの

だったんですけど。僕は相当嫌われていたんでしょう、

会う度に色々な嘘を重ねられました。

いいえ、本当は、誰よりも繊細で優しい子なんです。

だから彼女は、僕にだけ心を許してくれていて、

受け止めてもらいたくて虚構を吐いていた、と

思っていました。ですが、それは全くの思い違いでした。

彼女は、僕と会った次の夜に死んだのです。

それは、最後の悲しい嘘でした。

僕は何かしてあげられたのでしょうか。

彼女の自死を、止めてあげることが、果たして出来たでしょうか。

……答えは、Noです。」


誠司はそのまま黙ってしまった。

彼の瞳には、一寸の光も宿っていなかった。

そこには、裏切りの末の果てしない絶望がただあるのみだった。


彼女、咲子は川へ飛び込んで死んだ。

土手の側で薬を大量に飲んで、眠るように川に流されていった。

その日は満月で、雲ひとつない美しい夜だったという。

川沿いを散歩していた一人の老人が、死ぬ直前の彼女と

話したという証言があった。


「向こうの方から、白いワンピースを着た若い女性が

現れたんです。こんな時間になぜ、と思っていたら彼女のほうから

私に声をかけてきました。」

"もし、おじさま。わたくし、道に迷ってしまいましたの。"

"こんな時間にどうなさったのです。どこへ行くのですか。"

"おじさまは、幸せかしら?わたくしはね、今、とても幸福ですのよ。"


「まるで会話が成立しなかった。不気味でした。とても綺麗な方なのに、

目が人形みたいに動かないんです。まるで腹話術のように話すんですよ。

もしかして、人でも殺したのかとさえ考えました。

それが、まさか、その後こんなことになるなんて。」

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