第2話 謎の嗤い声

 トンネルに入ってすぐに、私は奇妙な感覚に襲われました。

 足が妙に重い――。

 私の歩く速度は他人ひとよりもかなり速いはずなのに、まるで足首まで泥に浸かっているかのように歩みが進まないのです。

 そのとき、私は傘をさしたままでした。もしもここに何か“恐ろしいモノ”がいるのだとしても、広げた傘を背負ってさえいれば、自分の背後から手が出てきたり、天井から顔がぬっと出てきたりといったことを防げると思ったからです。

 歩きにくいのはそうやって傘をさしているせいかとも思いました。しかし風向きは追い風、むしろ背中を押してくれているかのようだったのです。それなのに、足だけが遅々として進まない。

 私はだんだん恐ろしくなり、このトンネルに入ってしまったことを後悔しました。とはいえ、入ってしまったからには前に進むしかありません。

 それに今さら引き返そうにも、もし後ろを振り向いた瞬間に何かがいたら――。そう考えると、振り返ることすらできませんでした。

 私はほとんど目を閉じ、薄目を開けて地面だけを見ながらゆっくりと進んでいきました。頭の中で必死にうろ覚えのお経を唱え、何も起こらないことを念じつつ歩く。もう、そうするしかなかったのです。


 怖さのあまり果てしなく続いているかのように感じていたトンネルでしたが、距離にしてみればせいぜい100メートル前後の短いものです。そうして歩いているうちに、ついに視界の端に出口の光が見えてきました。

 薄目のまま少しだけ顔を上げてみると、出口まではあと3メートル足らずしかありません。そこまでの間にも何もいないし、駆け出してしまえば一瞬です。

 ああ、これでこの場から離れられる。そう思った私は、何も起こらずに済んだことで完全に気を緩めてしまいました。その瞬間――。



 ――『へへぇっ』――



 低く、野太いわらい声が聞こえました。

 

「うおぁぁっ!?」


 完全に油断していたところに不意を突かれたのもあり、私はもの凄い叫び声を上げてしまいました。


 それと同時に弾かれるように走り出し、私は一気にトンネルを抜けました。

 外に出てみると、そこはまだ国道本線とは合流しない、森に囲まれた狭い道でした。車道に比べて側道のほうがトンネルが短かったのです。

 トンネルを抜けてもまだ人気はなく、しかも雨の降る暗い道。私はそのままスピードを落とさずに走り続けました。


「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」


 多くの車が行き交う国道まで出て、私はようやく一息つくことができました。

 後ろを振り返ってみても、もうトンネルは見えません。本線と合流するまでの間に道が緩くカーブしていて、その向こうに隠れてしまっていたのです。


(なんだったんだ……あの声)


 最初に考えたのは、後ろから追いついてきた人の声ではないかということでした。あのトンネルに入る少し前、私は山の坂道を自転車で登る1人のお爺さんを追い抜いてきたのです。

 そのお爺さんが平坦なトンネルの出口付近で追いついてきて、トンネルにビビりながらよたよたと歩いている私をわらったのでは? そんなふうに考えてしばらくそこで待ってみましたが、お爺さんは一向にやって来ませんでした。

 車道側のトンネルを通ったのか、それともトンネルの少し手前にある別の道へ逸れていったのか……。いずれにせよ、トンネルの出口で私をわらったのはそのお爺さんではないようでした。



 ――そして次の日、私はそういったオカルト情報に詳しい友人に、昨日あったことを話してみました。

 すると、友人は笑いながらこう言いました。


「お前、あそこが有名なお化けトンネルだって知らなかったの? バッカだなぁ、あそこは入口のとこに“出る”んだよ。その霊を慰めるためか鎮めるためか知らないけど、手前にほこらがあっただろ?」


「えっ? そんなもの見かけなかったけど……。それに、俺が声を聞いたのは出口のほうだよ」


「あ、そうか。こっち(学校側)から見ての入口じゃなくて、お前が住んでる町のほうから見ての入口なんだ」


「ええ? それにしたってほこらなんて見当たらなかったけどなあ……」


「ああ、あの辺は草が生い茂ってるからな。お前、ビビりながら走ってたから見落としたんだよ」


「……それはあるかも」


 結局、そこに“出る”という霊がどんな存在なのかということについては何も分かりませんでした。

 私はそれまで心霊などといったものは見たこともなく、もちろん信じてもいませんでしたが、あの得体の知れない存在にわらわれて以来、それがずっと心の端に引っかかっていました。怯えながら歩いているのを霊に見透かされたようで悔しいというのもあり、あのときトンネルを振り返って声の正体を確かめなかったことが悔やまれたのです。

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