光神征伐者のセカンドライフ ~家族と一緒に異世界旅行~

血塗れメアリの侍従長

第1話 終わりと始まり

「終わった……よな?」


 舞い散る粉塵。弾ける火花。飛び散った鮮血。燃え盛る炎。

それらに包まれる中で、彼は誰にともなく、そう呟いた。

 頼りない動きで、赤く染まる空へと手を伸ばす。虚しく空を切るのみだったが、そこには確かに、空気の抵抗を受ける感触があった。

 守りたかったものが、そこにはあった。世界が、そこにはあった。


「……ははっ」


 思わず笑い声が漏れた。

 終わったのだ。これで、全部。

 長きに亘って続いた彼の戦いも、やっと終わったのだ。

 これ以上なく最良の、勝利という形で。

 大の字に寝そべりながら、彼は低い笑い声を響かせ続けた。

 笑って厚い胸板が上下する度に、こぷこぷと血を噴き出しながら。彼は、狂ったように笑い続けた。

 今だけは、失った四肢の根元から生じる刺すような激痛も、砕けた肋が肺や内臓に突き刺さる軋むような苦痛も、全く気にならなかった。

 むしろそれは、彼の勝利を祝う美酒とすらなっていた。美酒となって、彼を存分に酔わせていた。

 戦いの中でもここまで昂揚しなかった。

 勝利した後の方が昂ぶるなど、皮肉な話であった。


「ははっ、ははははははははっ! ザマァ、見ろよ、神様……! テメエが馬鹿にした人間は……確かに、テメエを殺したぞ……! くはははははははははっ!」


 明らかな死に体だと言うのに、弱き人の身でありながら神に挑み、そして勝利した彼は、痛快そうに笑い声を上げ続けた。

 もはや立ち上がるどころか、指一本動かせない。

 そんなことはどうでもいい。悲願を果たしたのだ。ここで果てたとて、彼は一切後悔しないだろう。

 辛うじて残った左眼を巡らせると、そこには粉々に砕け散った相棒の姿があった。

 元は槍だったのだろう。瀟洒な柄の装飾に、優美なラインを描く刃を持つ、大層な銘槍であったはずだ。しかし今は只の鉄屑と成り下がっている。

 実際にそうだった。彼がこの世界で友誼を結んだとある鍛冶師が、彼のためだけにこの世界最高の素材と最高の環境、最高の技術を注ぎ込んで打ってくれた槍。

 こんなの見たら、アイツ怒るよな……と考えるも、彼の視界は徐々に霞がかって行った。

 この感覚はこれまでにも何度か感じたことがあった。重度の傷を負って昏倒するときの前触れ。

 だが今回はいつものそれよりも数段深い感覚。

 どうやら、本格的に最後の時が迫っているようだ。


「…………ぁ゛ぁ゛、すま、ねぇな、師匠……帰れそうに、ねぇわ………………」


 いや。一つだけ、後悔していることがあった。

 完全に白く濁った視界の中で、世界最強の戦士のくせに意地っ張りで泣き虫な『師匠』の姿を脳裏に思い浮かべる。本当は彼を手放したくなくて、出発直前に彼に縋りついて号泣していた『師匠』の姿を。

 思わず頬が緩んだ気がしたが、実際には彼の表情筋はピクリとも動いていない。

 最後の戦いに赴く前、彼女と交わした約束を守れないことに、罪悪感が募る。

 きっと泣いてしまうだろう。それはそれは大泣きして、三日三晩泣き続けるだろう。

 そんな姿が見たくなくて、絶対に帰ってくると言ったのに。


「…………………………ぉれって、ぅそ……き、だ……ぁ………………………………」


 嗚呼。全く。本当に、前世でも現世でも、一から十まで、嘘吐きな奴だった。

 微かに、ほんの微かに、口元だけで自嘲の笑みを浮かべて、彼は目を閉じた。




Ж  Ж  Ж




「…………………………………………ぁん?」


 閉じた瞼の間を縫って差し込んでくる朝日に、彼は目を覚ました・・・・・・

 元々余り寝起きの良い方ではない彼は、低血圧気味の頭を振って、どうにかこうにかベッドから・・・・・体を起こす。

 暫しぼーっとして辺りを見回したところ、どうやらここはどこかの家の一室のようだ。

 木材を張り合わせて作られた床・壁・天井。木を刳り抜いて窓枠にして、彼の知る物より随分と純度の高いガラスを嵌め込んで窓にしている。

 その窓からは柔らかな光が差し込み、気持ちの良い朝であることが分かる。

 その光景に、彼にはどこか見覚えがあった。


「……俺の部屋、か?」


 彼が見間違うはずがない。この部屋は、かつて『師匠』と共に暮らした家に設けられた、彼の部屋だ。

 一見した所、あの時と特に変わった所は見受けられない。

 元から少なかった調度品や私物の類は全てそのままだし、新しく物が増えていたり、あるいは移動していたりということはない。

 見回してみれば、確かに所々老朽化したのだろうか、補修した跡などが見られる。ただしそれだけだ。

 だが、何故? 何故俺は、ここに居る?

 自問自答する。もちろん答えなど出ない。

 そもそも俺は、あの戦場でと戦って、相討ちになった筈――――


「っ、そうだ! 何で俺は生きてんだ……」


 慌てて、千切れた左腕と左足に手をやり、深々と切り裂かれた胸元や貫かれた腹部を擦る。しかし、特に異常らしき異常はない。

 腕をブンブン回してみても痛み等はなく、服を捲り上げても傷跡一つ残っていない。完全に治っている。

 百九十近い長身に、引き締まった身体。

 無駄な肉等どこにもなく、これまでの過酷極まる環境戦いの中で鍛え上げられた、しなやかで強靭な筋肉で覆われている。

 もし運良く、それはもう奇跡と呼んでも差支えないような確率で生存したとしても、あれだけの負傷が完治しているのはおかしいだろう。

 彼が知る限り、あの頃の医療技術や魔術の粋の粋を用いてでも、傷跡一つ、後遺症一つなく完治させるのは不可能だった筈。

 少し考え、今度は右手を目の前に差し出し、短く唱える。


「……【火炎ファイア】」


 自分の内側に意識をやると、無形無色無臭の何かが全身の血管を駆け巡り、右手の皮膚から外に排出されていくのが分かった。

 皮膚をすり抜けて外に出たそれは、空気中の不可視の物質と混ざり合い、この世界を支配する物理法則に干渉。

 この世界に在りうべからざる超常現象を発現させる。

 彼の掲げた右手に、拳大の火球が突如出現したのだ。


「魔力は問題なく使える、か」


 思案するように呟き、火球を消す。とは言っても蝋燭の火を消すように息を吹きかけるのではなく、グッと拳を握っただけで、火球は霧散した。

 全身を駆け巡る力――魔力は、多少多くなってこそいるが、減っているようなことはなかった。使えなくなっているようなことも。

 一先ずは安心だ。まだ呪力や気力等は確かめていないが、実際は魔力だけで戦闘には事足りる。

 気力は近接戦闘の際に重宝するが、魔力を用いて魔法を使い、自身の肉体を限界以上まで強化することも可能である。呪力などもののついでだ。元々そこまで熱心に習得しようとしていたわけではないので構わない。

 とそこまで考えて、先ず真っ先に戦力の確認をしてしまった自分の脳筋に染まった思考回路に、思わず落ち込んだ。

 一年以上も一人で戦場に立っていた為、その癖が抜け切っていないようだ。 


「……そういや、槍は何処だ? って、あ――」


 意識を失う直前に見た、砕け散った鉄の塊が脳裏を過ぎった。

 オリハルコンと緋緋色金を混ぜ合わせた金属をベースにして、彼が狩ってきた最高位の魔物、天元龍エンペラー・ドラグーンの鱗と海聾獣かいろうじゅうの牙、そして精霊王の宝玉に百手巨人ヘカトンケイルの涙を錬金術で組み合わせた宝玉を嵌め込んだ、間違いなく世界最高最強最硬最優の槍。

 そこらの竜種程度なら一度でも攻撃を当てれば致命傷となるあの槍で、幾億もの敵を屠り、あの槍に幾万もの危機を助けられてきた。

 だがやはり神が直接振るう武器の相手は難しかったようで、最後には砕け散ってしまったのだが。

 自分が壊したとはいえ、いつも一緒に居た相棒を手放すのは、何か寂寥感のようなものを感じさせる。

 そしてあの槍、『殲滅槍ディサイダー』は、彼の友の思いが込められた槍でもあった。

 己の打った武器に並々ならぬ愛情を持つ彼ならば、きっとあのような様になった槍を見たら怒り狂うだろう。

 いや、それと同じぐらいに己の打った武器が良き使い手に巡り合い、その人を助けることを至上の喜びとする彼ならば、慈しむようにその鉄屑を撫で、「お疲れさま」と呟くだろう。

 本当に、骨の髄まで鍛冶師の鏡のような人間なのだ。

 破片の一つでも回収しておけばよかったか、と今更悔やむ彼の耳に、部屋の南側にあるドアが開かれる軽い音が届いた。

 釣られるようにして顔を上げた彼は、そこに立っていた女性の姿を見て――思わず凍りついた。


「あ、起きてたんだ。よかった、体の方は大丈夫?」


 何か作ってきてくれたのだろうか、美味しそうな香りのする皿を乗せたお盆を持って、溌剌そうな笑みを浮かべて彼を気遣う女性。

 黒いプリーツスカートに白のブラウスという現代的な服装に、スカートと同じく黒のタイツ。ブラウスはボタンをきっちりと留めて、料理をしていたからか肘の辺りまで捲り上げられていた。

 ブラウスの胸元を押し上げるそれは、女性を強く協調しており、腰は折れそうなほどに括れている。

 一部に切れ込みの入ったブラウスの背中から飛び出る純白の被膜の付いた小さな両翼と、スカートの裾から覗く尻尾、そして頭頂部にぴょこんと立つ双角から、彼女が今となってはかなり珍しくなった『竜人』であることが分かる。

 年の頃は十代後半といった所か、まだ若々しく、漆のような光沢を持つ腰まで届く黒髪に、柔和ながらも強い意志を湛えた、爬虫類特有の縦長の瞳孔を持った真紅の瞳。

 だが、年齢と外見の比例関係は、竜人とエルフ、魔人に限って言えば当てにならない。彼らは一様に長大な寿命と老いない肉体を持っているからだ。

 エルフと違って竜人には『種族纏めて極めて美形で生まれる』などという種族特性はなかったはずだが、その少女の美貌は凄まじいものであった。

 すっきりとした目鼻立ち、高い鼻梁、大きく開いた瞳に長い睫毛。肌は真っ白というほどではないが十分以上に白く、むしろ健康的な日焼け跡が目に眩しい。

 百人の女性がいれば百人が、彼女の人外とすら言える暴力的な美貌に倒れ伏すだろう。

 しかし、今彼が彼女の美貌に魅入っていたのは、それが理由ではなかった。

 似ていたからだ・・・・・・・彼が唯一人愛した女性・・・・・・・・・・有り得ないほどに・・・・・・・・似通っていたからだ・・・・・・・・・


「――フェリア」


 気付けば、彼は呆然と呟いていた。

 フェリア=ロゥト・ファーフニル。かつては加賀見かがみはるかだった男、ルート・ヴェッケスが愛した、『師匠』であり――最愛の人であった女性の名を。

 完全に硬直して自分を見つめる彼――ルートに、少女は軽く首を傾げた。

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