第28話

 もうすぐ閉店時間だというのに、北条さんは事務室に店長と籠りっきりだった。九重さんが他のレジの閉設作業をしている間も、まばらなお客さんが来る程度でこれと言って忙しくはない。


「あの二人、出てこないですね。」


 僕がふいに、とりとめのないことを呟いたのに、九重さんはんー?、と鼻声で唸って見せた。


「そうねー、最近あんまりよくないからかもねー。」


「そうなんですか?」


 お店の売り上げなんてあまり意識したことはなかったから、そういう返しが来たのは驚きだった。仕事の内容は変わらず、品出しと在庫管理とレジ打ちだけ。お客さんも来ない訳ではないが、やたらと忙しいわけじゃない。


 それでも今まで気にしていた様子はなかったが……。


「まぁ少し少ないかなぐらいだねー。今は繁忙期でもないし、こんなもんだと思うけど。」


 悪いと言いつつも、九重さんはあまり気にしていない様子だった。つまり危機感を憶えるほど悪くはない、という事か。


 なんだか釈然としない気持ちになって考えているうちに、店も閉店時間になった。


 いつもどおり、お疲れ様の挨拶を済ませ帰ろうとした。だが事務室は明かりがついたままで、まったく消える気配もない。


「随分と長いな……。」


 何をそんなに話し込んでいるのだろうか。北条さんは確か、ここに来た直後は随分慌てた様子だった。受け答えははっきりしていたが、僕の詮索をたぶらかして遊ぶ余裕は無い程度に。


 会社の系列だと言っていた。ならそれ絡みか?それにしては随分長い。何度か店長とお偉いさんが話をしているのは目撃しているが、こんなに長いのは見たことがない。


 何か強烈な不安に苛まれながら、明かりの漏れる事務室の扉を眺めていたその時だった。


 扉が、ゆっくりと開いた。


「そうですね……とりあえずこの話はまた後日に。」


「わかりました。今日はお忙しいところありがとうございました。」


「いえ、こちらこそ。目標は厳しいですが、一緒に切り抜けましょう。」


 店長と北条さんが、話を終えたらしく事務室から出てきた。扉の向こうでどうやら握手をしているらしく、しかしその表情はあまり芳しいものではない。


「……あれ?前崎君。今終わりかい?よければ送っていくよ。」


 視線に気づいたのか、北条さんが声をかけてきた。いつもの爽やかな笑顔も、今日に限って少し疲れが見えている。


「お疲れ様です。お気持ちだけ頂いておきます。」


 時間も時間だし、いつもの距離を歩くだけなので大して苦にもならない。気持ちだけ頂いて、僕はそそくさと帰ろうとした。


「あー……うん、ごめん。これは僕が悪いかな。」


 だが、北条さんが突然、謎に謝り文句を使ってきたことで足が止まる。


「前崎君、少し付き合って欲しい。君と話がしたい。」


 冗談交じりではない真剣な様子に、身体が少し強張った。



………………………。



 店長に軽い挨拶をして、僕は北条さんとドライブに出かけた。母にはメールで連絡を済ませ、北条さんに家が近いことを話すと「知ってるよ。」と返されてしまった。


 わざと遠回りになる道を選んで、シルバーの愛車の助手席で風を感じながら夜の街の風景を楽しんでいると、赤信号に差し掛かったところで話が始まった。


「……悪いね。突然誘い出して。」


「何かあったんですか?」


 尋ねると、北条さんは険しい眼差しで前方を見つめていた。


「あぁ。ちょっとうちの親が無茶を言い出してね。この周辺の店を一か所に集約したい……まぁ厳密には、この近くのショッピングセンターのテナントの入りが芳しくなくてね。こっちの客を持ってこれないか、という話なんだ。」


「大型店に機能を集約する……ですか。」


「そうそう。で、それだとこの地域の客層が来れなくなるって、僕が反対したんだ。そしたら、それならあの店舗の売り上げを2割増やせ!って言って来てさ。で、売られた喧嘩を買ったわけ。」


 北条さんの口ぶりは、至って不機嫌だった。運転は丁寧だが、ハンドルに掛かった指が苛立ちを隠せずリズムを刻んでいる。


「2割って……売り上げが良くないんですか?うちの店舗。」


「いや、他に悪い店舗もあるよ。だけど大型店が近くにあるのに、いつまでもあそこにある同系列の店舗が気に入らないみたいでね。客層は被ってないって、ずっと言ってるんだけど耳を貸さないんだ。」


「悪くはない、けれど飛びぬけていい訳でもない。そういうとこですか。」


「まぁね。ただ、あそこの売り上げを2割上げるとなると話は別だ。あそこはいわゆる常連さんに支えられている。この近辺で新規の客を取り込むのは難しい。つまりどっかから釣ってくる必要があるけれど、それは大型店の客層と被って本末転倒。ようは伸びしろがないって事なんだよね。」


「その状態から2割……常連さんの出費を増やして貰っても、次の月に売上が落ちていたら意味がない。」


「その通り。そして小型店だから、お歳暮やお中元のサービスも大きくやってない。何より時期が外れてる。あまり期待はできなくてね。」


「……詰んでる、ってことですか?」


「ははは。まぁ、他にも手はあるからそれはやるんだけどね。ギリギリ1割届くかどうかなんだ。」


 気さくな笑い方にも力がない。心の内では笑えない、と言ったとこか。


 それにしても、北条さんほどの人がそんな無茶な条件を受けるとは意外だった。言い合いになって熱くなるような人ではないと思っていたし、無理難題だろうとできるできないの判断がつかないような人ではないと思っていたが、そうではない何かがあるのだろうか。


「……それで、その話を僕にして、何をしろって言うんですか?」


「おや、いいのかい?僕がこんなに丸腰な事なんて、これから先そうそう無いと思うよ?」


 北条さんは、上杉家での僕の立場が弱い事を知っている。自分が可愛がられていればいるほど、僕の立場が弱いとわかる。


 でもそれを知っていて、なぜか僕にトドメを刺そうとしない。


「……北条さんは、上杉の事をどう思っていますか?」


「ん?どうもこうもないよ。僕らはただ、お互いの利点の為にいるだけ。それ以上もそれ以下もないさ。」


「……いいんですか?それで。」


「よくないね。だから君にどうにかして欲しいんだよ。」


 単刀直入に、考えてもいなかった言葉が返ってきて唖然とした。


「僕も君と同意見さ。好きじゃない女性ヒトとそうなる理由が、純情な僕たちにはわからない。だけど僕には、それだけの理由がある。それをどうにかできるとしたら、それを両方持ってる君がどうにかするぐらいしかないのさ。」


「……僕には、あなたが何を考えているのかが全くわからない。」


「そうかい?じゃあ教えてあげようか。」


「……え?」


 ドライブの途中、北条さんは突然公園の脇に車を停めた。そして車の窓を閉めてシートベルトを外すと、僕側のシートの肩に腕をかけ、ずいっと僕の顔を覗き込んだ。


「僕の狙いは最初から君さ。君に上杉澄玲を譲ったことにして恩を売り、それをちらつかせて手元に置く。君と上杉澄玲を結ばせて、僕らは友人として企業提携を果たす。僕も君も好きな人と結婚できるし、僕はもう少し自由を満喫できる。上杉澄玲は厄介だけど、君が関わると途端に弱るからね。僕としてもその方が都合がいい。」


 それは北条さんが初めて見せた、僕がずっと感じていたこの人の違和感の正体だった。爽やかな外面からは創造もできない、狡賢い悪い顔。


「それに、僕は馬鹿と話すのが嫌いなんだ。君との話は楽しいし、だからこそ手札としておきたい。優秀な人材に出会うのは簡単じゃないからね。ジジイどもの言いなりになるのも癪に障るし、ここらで痛い目見せてもバチは当たらないだろう?」


 恐らくこの人は、最初からこのつもりだったんだ。だからあの時、不自然なまでに僕の上杉に対する気持ちを確認した。異常なまでに僕を煽った。僕が上杉を、上杉が僕を望んでいることを知っていて、最初からこうするつもりだったんだ。


 そして、今回の案件を持って来たのも……。」


「……僕に、あなたへの恩を売らせるため。ですね。」


「おぉ、流石だね前崎君。君は僕をどう倒そうか、ずっと迷っていたんじゃないかい?それは僕も思っていたんだ。学校の成績じゃ納得はしない、じゃあどうやって倒されようか。ってね。」


 感嘆を上げた北条さんは、表面上だけ笑って見せる。それはいかにも、喰えない人間の悪い癖のように見えた。


「前崎君、僕らは恋敵じゃない。友達だ。老害共に一泡吹かせてやろう。」


 にっこり笑って差し伸べられた手を、握らなければどうなっていただろう。僕は北条さんの怖さを肌身で感じながら、まるで悪魔の契約を交わしたような背徳感と心強さに、少しだけ胸を躍らせていた。

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