第27話

 熱にうなされ出た言葉に気付いたのは、それから数日後の事だった。


 きっかけは言わずもがな、移動教室の前に立花に中庭に呼び出された時の事だった。


「澄玲ちゃんの機嫌が尋常じゃないぐらい上を向いてるんだけど。」


「………………。」


 朝、顔を合わせた時はいつも通りだった気がするが、それで立花がむくれているのならそういうことなのだろう。


「黙ってるってことは心当たりがあるって事だよね?」


 僕は、終始無言。何か喋れば「言い訳しない!」とか言われるに決まっているからだ。


「忘れてないよね?まだ私達、?」


「あぁ、そうだな。」


 肯定して見せると立花の頬は更に膨らんで、脛の辺りにけたぐりが飛んできた。


「ぐっ!」


 くっそ、ローファーの先に当たって地味に痛い。


「そうだな。じゃないでしょ!なに堂々と不倫して開き直ってるのさ!」


「不倫も何も、僕らの関係はもうほとんど意味がないだろう?」


「それは……最初のころとは違うかもだけど……。」


 元々僕らの関係は、上杉に自分の気持ちを諦めさせるためにあるものだ。だが上杉はそんなことものともせず、結果的に僕が折れる形になった。それならもう、こんな関係は必要ないはずだ。


 それでも立花はこの関係を続けようとする。それが少し、気に掛かってはいる。


「上杉の機嫌がどうかは知らないが、君の推測は全部当たっているよ。僕がこの前、熱を出して倒れた時に甲斐甲斐しく看病されて、気持ちが弱っていたせいで思わず言ってしまった。反省はしている。」


「……それじゃあ、澄玲ちゃんに言ったことは、熱にうなされて出たものだから本心じゃないってこと?」


 立花に言われ、確かにそういうことにもできるが、それは胸の奥が軋む。


「……いや、むしろ本心だよ。僕がずっと閉まってきた、上杉に対する本心だ。」


 それは僕自身が、絶対に言ってはならないと自分で封じ込めてきた言葉だ。気持ちとしてはずっとあった物で、もちろん心苦しかった。だがそれが言えたことは、僕にとってはいい変化なのだろう。


 かくいう僕も、上杉ほどではないが機嫌が良い。


「だからこの見合い話、このまま黙っているわけにはいかないんだ。」


 お見合いの席自体は、上杉の奇行で破綻してしまっている。他の二人は恐らく、あれで終わりだろう。


 だが北条さんは違う。あれは明らかに上杉の母親のお気に入りで、僕が上杉の気持ちに怠けていたらとんとん拍子で話を進められてしまうだろう。そして上杉もそれを知る由もなく、いつの間にか内堀まで埋められている算段になるはずだ。


 今回の事、龍一郎おじさんはノータッチらしい。つまり、あの人は僕がどう出るかを楽しみにしている。カエルの子はカエルとはよく言ったものだ。上杉の人をからかって遊ぶ癖は間違いなくあの人譲りだ。


 そして肝心の北条さんだが、恐らく上杉に微塵の興味もない。あの人は僕の純情をからかって遊んでいるだけだ。金持ちは人の心を弄ぶのが大好きすぎて腹が立つ。


 とはいえ、力の差が歴然としている中で、僕にできることは限られている。テストで満点取るとか、ボランティア活動に参加するとか、その程度ではどうにもならないだろう。


 何か、大きなきっかけが欲しいとは思うが……。


「……はぁ。前崎くんって、そういう人だったっけ?」


 立花は深く溜め息を吐いて、思慮に耽る僕に呆れたような視線をくれる。


「ん?どういう意味だ?」


「なんて言うか……どうしようもない事は、もうしょうがないって諦める人だったなって。」


「まぁ……そう、だな。」


 立花の言う事は間違ってない。これが上杉の事じゃなかったら僕もここまでしていないだろう。


 台風の夜、上杉が濡れながら家に駆けこんできて、死にたいだなんて言わなければ、僕もここまでしなかったかもしれない。


「それで、諦めの悪い僕は嫌いか?」


「そういうわけじゃないけど……むしろそうじゃないから問題があって……。」


「……何をごにょごにょしている?」


 どうにも煮え切らない態度な立花が、何を不満に思っているのかがわからない。この前も同じようなことで突っかかってきていたが、立花の話はいちいち矛盾しているのだ。


「君は上杉がそれでいいなら、それでいいんだろう?」


「っ……それは……。」


 立花は最初から、上杉の事だけを考えていた。上杉にとって僕が害悪かどうかを見定める事だけを考えていた。今も上杉の隣に居続ける彼女にとって、僕と居ることにそれ以外の理由があるのだろうか。


 いろいろと話が見えないまま、次の授業の時間が迫る。


「……とりあえずまた後だ。移動だし、急ぐぞ。」


「あっ、まっ……!!」


 そう言って僕が駆け出そうとした時だった。制服の裾を立花が掴んで、引き留めた。


「……なんだ?まだ何かあるのか?」


 時間も無いし、早く済んで欲しいと思っていた。だが立花の様子が、どうにも煮え切らない。


 そんなに顔をしかめて不安そうなのは、一体どうしてなんだ。


「……私は、」


「……あぁ。」


 心なしか、立花の声が震えていた。そんなに勇気のいる言葉が、僕に向けてあるのだろうか。


 少なくとも僕に、心当たりはない。


「私は、澄玲ちゃんに幸せになって欲しいと思ってる。」


「あぁ。」


「澄玲ちゃんの幸せが、前崎くんが傍に居る事なら、私は応援したい。」


「あぁ。」


「だから私は間違ってない。そう、間違ってないのっ!!」


 一つ一つに頷くと、立花ははっきりと言い切った。


「間違って……ないよね?」


 その表情は、声は、まるで氷塊がかき氷にされてしまうかのように儚く、脆く、触れてしまえばすぐに溶けてしまいそうなほど、冷たい。瞳に浮かぶ涙は、まさにそれが溶けだした跡のようだった。


 何かが、何かがおかしい。それが何かはわからないが、立花の中で大きな心境の変化があったのは違いない。


 僕は立花に対して初めて、女子に向ける好意のような物を感じた。


「……ごめんね。前崎くんの風邪が移ったかも。」


 立花は捨て台詞のような言葉を残して、引き留めた僕を差し置いて移動教室へと走って行ってしまった。


 急がなければいけないはずなのに、行き先が同じなせいか、なぜか後ろを追いかけづらくなってしまった。


 僕は結局、後ろめたさに髪を引かれ、移動教室に遅刻した。



……………………………。




 それで、お見合いの話はどうなったか。結論から言えば、僕の方は何も進展しないまま時間だけが過ぎている。


 北条さんの近況は上杉から容易に入手できる。理由は簡単で、上杉母が嫌になるほど北条さんの自慢話を聞かせてくるらしい。もちろん北条さん自身は何とも思っていないのだろうが、とにかく僕とどうこうさせたくないらしく、常に比較されてはけちょんけちょんにされているらしい。僕は落書き帳のいじめっ子か。


 期末テストもすぐそこまで迫ってきている。今回ばかりは手を抜いていられないだろう。下手な点数だと何を言われるかわからない。


 何かしなければならないが何もできない。僕はそんなもどかしさと戦っていた。


「……前崎くん、最近元気なさそうね?」


 気にすることが多いバイト中に物思いに耽っていると、店内巡回から帰ってきた九重さんが声をかけてきた。最近少しふっくらしてきていて、オカン度が増してるだなんて言ったらぶっ飛ばされそうだ。


「最近、ちょっといろいろありまして。」


「いろいろ?何だったらおばさんに相談してみる?」


 九重さんは冗談っぽく尋ねるが、後で茶化されそうで全くその気になれない。


「いや、人にどうこう言って解決することじゃないので。」


「あら?おばさんじゃ頼りないってこと?これでもそれなりに人生経験はあるのよ?」


 そりゃそうだろう。高校生に人生経験で負けてる中年のおばさんって、今まで何考えて生きていたんだよ。


「そういうわけでは……ありますが。」


「あら、失礼しちゃう。……もしかして例の女の子の事?」


 隠し通すつもりだったが、反射的に苦笑いしてしまったのは不用意だった。


「あら……あらあらあら!!なぁ~にぃ~?もう、前崎くんったら!!年頃の男の子らしいお悩みあるじゃない!!」


 九重さんのこの反応に、僕の直感は正しかったと言わざるを得ない。どうして恋愛系の話となると、否が応でも女子高生にタイムスリップしてしまうのかこういう人種は。


「それで?何をそんなに悩んでるの?」


お楽しみのところ申し訳ないが、九重さんが想像しているような軽い悩みではないのだが。果たして言っていいものだろうか。


「いや……あまり喋れる内容じゃないので……。」


迷って、話さないことを選んだ僕は、遠慮がちに九重さんを避けた。しかし九重さんは納得がいかないようで。


「ふーん……でも、話してみたら何か変わるかもよ?」


と、どう聞いても興味本位だろうと思うが話を進めてくる。


空気を読まないというか構わないというか、でもこういうパワフルさがあると、色々楽になれるだろうと羨ましくなる。


適当な話でもして誤魔化そうか。そう脳裏によぎって口を開きかけたその時だった。


「おや?前崎君……じゃないかい?」


若い男性、それも落ち着きと気品を兼ね備えたこの感じ。だがその人がここに来ること自体に、猛烈な違和感が背筋を撫でる。


「……あらやだ。イケメンじゃない!」


僕が不安を煽られる中、乙女心全開な九重さんは突然現れた若いイケメンに興奮していた。


「へぇ……バイトしてるんだね。お疲れ様。」


「北条……さん。どうしてここに?」


「どうしてって……僕だって、ちょっと買い物へスーパーに立ち寄ることだってあるよ。」


そういう北条さんの格好は、きっちり着こなした上下黒のスーツ姿にネクタイと、どう見ても仕事人の風貌だった。


「なら、その格好は仕事帰りって事ですか?」


尋ねると、北条さんは首を軽く横に振った。


「いや、今から仕事だよ。」


「今から?」


今から仕事、と言っても時間は20時を過ぎている。


もしかして……いや北条さんに限ってそんな事は……。


「ははは。前崎君、何か勘違いしてないかい?僕の仕事先はここだよ?」


「ここ?ここってここですか?」


「他にどこがあるのさ。ここはうちの会社の系列でね。店長さんはいるかい?お話があるのだけど……。」


いかがわしい仕事ではないと安心したのはつかの間。更に予想外の返答が返ってきて驚いた。


まさかこのスーパーが北条さんの会社の系列だったとは……。あまり気にした事は無かったが、確か大手小売だったはず。それがどうしてこんな小規模なスーパーマーケットを運営しているのか。


「店長なら事務室にいると思います。……何かあったんですか?」


「ん?まぁ……ちょっとね。また後で。」


「あぁ……はい。」


簡単にかわされてしまうと、北条さんは従業員用の裏スペースへと、小走りに行ってしまった。


……あの人が余裕のない様子を見せるなんて、少し意外だったな。


「ねぇ前崎くん?あのイケメンと知り合いなの?」


「まぁ……そうですね。」


「もしかして……いつもの女の子絡み?」


「九重さん。あんまり好奇心で、人のプライベートに踏み込むものじゃないですよ。」


「あら!当たりなのね!なんだかとっても昼ドラの臭いがするわ!」


「聞いてないし……。」


一抹の不安がよぎる中で、僕は昼ドラ大好きな九重さんの怒涛の追及から逃れるのに精一杯だった。

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