第25話

 そして、そう日が経たないうちにその日はやってきた。


「……おや、早いね前崎君。」


 カジュアルだが涼し気なイージーファッションに身を包んだ長身の男性が、それなりのブランドの車、意外にもシルバーというおとなしめな色の中から、かけていたサングラスを仕舞いながらこちらに向かって来た。


「相手を待たせるのは趣味じゃないので。」


「はっは、それはいい心がけだ。それじゃあ行こうか。車でいいかい?」


「その前に、すぐ近くに一件目がありますので、そこからにしましょう。」


「そうなのかい?それは楽しみだ。」


 北条さんは柔らかな微笑みを僕に向ける。


 残念ながら、それに微笑みで返せるようなイケメン力は、僕には無い。


「ん?どうしたんだい?……やっぱり、僕とデートするのは嫌かい?」


 と、役者向きでない鉄仮面がやっぱり気になったのか、北条さんは寂しげなことを言う。


「いえ、ただ不器用なだけですので、ご心配なく。」


「そうかい?それならいいけど……そんな調子じゃ、すぐに彼女が帰っちゃうよ?」


 少し、ムカついた。なんだそれは、僕が楽しそうにしていないと上杉が腹を立てて帰るとでも言いたいのか。


「それでいなくなるようなら、最初から一緒にいません。」


 感情が先行して、ついムキになったことを言ってしまった。


「ははは、それもそうだね。それじゃあ、エスコートをお願いしようかな。」


 それを笑って流したのはからかっているつもりなのだろうか。そう言って差し出された手は、見た目でも大きくしっかりしている。


 いちいち差を見せつけられるのは、うんざりしてくるな。


「……流石に、手を繋ぐのはやめませんか?」


「ははは、冗談だよ。それじゃあ案内、よろしくね。」


 冗談だと言われ安心したのと、やはりこの人は僕をからかって遊びたいのだろうと不快感を堪えながら、僕はもうしばらく、この言い表せぬ黒い感情と付き合わなければならないのだろうと、腹を括った。



…………………。



 本日のデートは、僕があらかじめ考えておいたコースを回ることになっている。一件目に服を見て回り、二件目に露店で軽食を済まし、三件目に公園で散歩をしながら、最後に公園近くの喫茶店で食事を済ませて終了という流れだ。バイトは休みにしてもらったので、多少遅れが出ても問題ない。そもそもデートというのは時間通りに終わるものなのだろうか?経験がないから一般的なこともわからない。


 それで、時間はあっという間に流れ、三件目の公園までやってきた。移動に北条さんの車を使ったこともあって、予定よりも早く回れている。夕方ぐらいまでかかるつもりだったが、現在午後2時。喫茶店に4時ぐらいに入るとしても、2時間も公園でどうやって時間を潰せと言うんだ。


「前崎君、意外にいいお店知ってるんだね。なかなか美味しかったよ、あそこのケバブサンド。」


「それはよかったです。普段は食べないんですか?ああいうのは。」


 軽食に食べたケバブサンドは、九重さんに教えてもらったマダムの間で話題の逸品だ。ソースがただ辛いだけではなくスパイスが効いていて、一度味を知るとつい食べたくなる時があると聞いていたが、その通りだと思った。


「いや、よく食べるよ。夜に食事会なんかがあると、朝早起きして仕事を片付けながら講義も受けなくちゃいけないからね。どうしても、食事が片手間になってしまうよ。」


「そうなんですか、少し意外でした。口に合わなかったらどうしようかと。」


 北条さんは意外にも、粗末な食事であることの方が多いようだ。もっと豪華な食事をきちんと摂っているイメージだったが……優秀な人がそうであることの方が珍しいのだろうか。


「というか、仕事もしてるんですね。」


「ん?まぁ、仕事と言っても内容は簡単だよ。リサーチと分析、それをマニュアル化してプレゼン用に纏めるだけだからね。実際に現場でやる訳じゃないから、誰にでもできる事だと思うよ?」


 北条さんは簡単だと言うが、それは世間一般で言う幹部クラスのやる仕事なのでは?


「……すみません、言ってる事が凄すぎて、よくわからないです。」


「ははは、謙遜しなくていいよ。君も覚えればすぐにできるさ。」


 バイトのレジ打ちと品出しだけでまぁまぁな僕に、多方面に目を配らなくてはいけない仕事は荷が重すぎますよ。と言うのは、心の中だけにしておいた。


 それにしても、普通に楽しんではいるが、なぜこの人は僕とデートしたいなどと言い出したのかが未だにわからない。あくまでこの人は、上杉のお見合い相手だ。


 肝心の上杉については、どう思っているのだろうか。


「……北条さん、一つ、お尋ねしても?」


「あぁ、いいよ。」


「北条さんは、上杉の事をどう思っていますか?」


 北条さんは、真顔のまま放心状態になってしまった。


 我ながら直球すぎただろうか。だが、これは一番聞いておかなければならない事だ。この人がどれだけ本気なのか、僕には知る必要がある。


 公園の並木の若葉が、春も終わりに近づいた湿っぽい風に揺られざわめく。


「そうだね……いい子だとは思うよ。ただ、彼女は意志が強い。簡単には、折れてくれなさそうだね。」


「……それだけ、ですか?」


「それだけ、だね。まだ一対一で話したことがあるわけじゃないし。まぁだからこそ、そんな彼女が気に掛ける君が、余計に気になったんだけどね。」


「………………。」


「そんな難しい顔をしないでくれよ。僕は単純に、君との仲は深めて損じゃないと思っただけさ。」


「それは、どうも。」


 軽く会釈をすると、北条さんはにっこり微笑んだ。


「でも……今日一日、君といてわかった事がある。」


 だが直後に、北条さんの表情が険しく引き締まった。その瞬間だけ、無音の時間が僕の中に流れた。


「前崎君、君は死に場所を探していて、彼女はそれを繋ぎとめている。違うかい?」


 無音だった時間が、途端にざわついた。


「聞いたよ。君、学校の屋上から飛び降りたんだって?それと少しだけ、君について調べさせてもらった。なかなか破天荒な人生を送ってるじゃないか。」


「……仕事の片手間に、ということですか?」


「そういうのではないけれど……僕も流石に、ライバルの事を何も知らない訳にはいかなくてね。」


「それなら、家族の事も?」


「あぁ、調べたよ。お父さんの事は残念だったね。上杉さんのお父さんから、話の大部分は伺ったよ。」


 怖い人だ。笑顔で近づいてきたと思いきや、人の弱い所を的確についてくる。


 北条さんの本領を垣間見た気がした。やはりこの人は、できる。


「だが納得がいかなかった。確かに辛いのはわかる。だがそれがなぜ、君をこうまでしてしまった原因なのかが、僕には考えられなかった。」


「同情のつもりですか?」


「いや、それはしないさ。僕の父はまだ生きているからね。だけどなぜそれが、あのお見合いに乱入するまでに至ったのかが、少し疑問だったのさ。君はどうやら、上杉さんの事を好きな訳ではないようだしね。」


 自然に話をしているだけ。それなのにどうしてここまで見透かされた気持ちになるのだろうか。


 だが上杉の事を好きではないと言われ、心にもやがかかったような気分になるのは何故だろうか?何も言い返せないからか。それとも……。


「少し長話をしてしまったね。それじゃあ、次をお願いできるかな?」


 それ以上僕は何も言わないまま、黙って返事だけをして喫茶店に案内した。



…………………。



 日も沈み、良い頃合になってきたところで、僕と北条さんは喫茶店を後にした。


「なかなか楽しかったよ前崎君。ここのパスタは中々よかった。また食べに来てみたいな。」


「気に入ってくれたなら何よりです。奥さんが、元々イタリアンをやっていたらしいですよ。」


「あぁ、それで夫婦で厨房に入っていたのか。なるほどなるほど。」


 とりあえずデートは成功のようだ。一つだけ、予定が狂った案件があるが、それはもういいだろう。機会があればまた見てもらうことにしよう。


「それにしても、楽しいデートだった。良い場所を知っているんだね、前崎君は。」


 北条さんが満足気に、そんな事を言ってきた。このまま終わればただの楽しいデートだが……。


「いや……考えたのは、僕じゃないですよ。」


 一つだけ、期待を外しておこうか。


「えっ?」


「このデートコースを考えたのは、上杉です。ちなみに、考えた当人もずっといましたよ。すぐ近くに。」


 北条さんは呆然としていた。そりゃそうだ。完全に男二人旅だと思っていたから、まさか自分が試されていただなんて夢にも思わなかっただろう。


 僕もそのつもりだった。ある状況を除けば。


「……はっは、参ったなぁ。僕は試されてた訳か。」


「そうですね。そんなところです。……途中までは。」


 顔を覆い隠して照れ臭そうにしているが、それは演技だ。上杉が気付いているかどうかは知らないが、少なくとも僕にそれは意味がない。


「気づいてましたよね?公園に着いた辺りから。」


「……いや、さっぱり。まったくわからなかったよ。」


「じゃあなぜ、あんな話をしておいて途中で切り上げたんですか?」


 不自然だった。僕の事を色々調べたと言っていた。僕の事を問い詰めて、どうするつもりだったかはわからない。


 わかるのは、自分の事にならないように先手を打たれてしまった、という事だけだ。


「……ダメか。気づかないフリで行けると思ったんだけどなぁ。」


「それはお互い様です。けど、あなたがあんな話を切り出すのは、少し不自然に思いました。」


 あんな話とは、僕が上杉をどう思っているかの話だ。それを自然な流れだというなら、あの場は君はどう思うんだい?とか、決めつけるような文句は使わないはずだ。


 だけど北条さんは、僕の心の内を当てにきた。それは僕を追い込むためだったかもしれない。だがそれは結果的に、焦って踏み抜いた地雷そのものだ。


「そう?ある意味自然な流れだとは思うけど。」


「自然な流れでライバルを追い込みますか。」


「ライバル……いいねぇ、そういうの。ちょっと若返った気分だ。」


「充分若いですよ、北条さんは。」


「僕より若い君に言われても釈然としないなぁ。」


 早く議論を詰めたい僕を、北条さんは呆けたフリで躱そうとしてくる。


 逃がしはしない。肉を切らしてまで掴んだ、ようやく見せた唯一の隙だ。あなたのミスを見過ごせるほどの余裕は、今の僕には無い。


「……本気、なんだね。いいなぁ、僕もそれぐらい自分を思ってくれる相手が欲しいよ。」


「これ以上は、おふざけ無しで答えていただけませんか?僕にはあなたが思っているより、余裕が無い。」


「……ほう。」


 自分が今、どんな顔をしているかはわからない。だが北条さんの、今日一番君に興味があるという視線が、大体の想像を浮かばせてくれる。


「初めて、本性を見せたね。でも、そうか……君の言う余裕って、精神的な事なのかな?それとも時間的な事?それとも……。」


 試すような視線。この期に及んでまだ僕をからかうつもりか?


「おふざけは無しと、お願いしたはずです。」


「いや、ふざけてないよ。この問いに答えを付けられれば、それは大した問題じゃない。だけどそうじゃないなら……心配するべきは、上杉さんの将来じゃなくなってくる。」


「……どういう事ですか?」


 これは紛いなりにも上杉の話だ。それがどうして、それ以外の話にすり替わる?僕の思考は、北条さんの思考に完全に置いて行かれている。


 北条さんの表情に、力がこもる。


「前崎君、君は、本当に上杉澄玲さんが好きかい?」


「ええ、好きです。」


「愛しているかい?」


「ええ、愛しています。」


「殺したいほど?」


「……………は?」


 間抜けな返事が出た。流れからしても、あまりにも内容が突拍子もない。


 だが北条さんは、やはりそうかと言いたげな溜め息を吐いた。


「君は嘘を言っている。残念ながら僕にはわかるよ。君は上杉澄玲の為に、上杉澄玲を愛そうとしている。でもそれは、上杉澄玲の世界の話であって、そこに君は存在しない。前崎澄雄は、その時点でこの世から消えていなくなっている。」


「……何が言いたい?」


「気づいていないのかい?自分が今、相当ヤバい所に来ているって事。もう自分が自分でわからないんでしょ?役目や使命で上書きした人生を引きずって、生きているフリをしているだけのゾンビに、誰かを愛することができるなんて思うのかい?」


 言葉を失った。目が点になるとはこう言う事か。北条さんの言葉は的確で、それに反論する余地はどこにもなかった。文字通り、トドメを刺されたのだ、僕は。


 北条さんの手は真っ直ぐ僕の襟首を掴み上げ、鋭い眼光が僕の瞳の奥を覗き込む。


「君は上杉澄玲を好きなんかじゃない。ただ使命に溺れているだけだ。そのままもがいて苦しむぐらいなら、いっそ僕が溺死させてあげようか?上杉さんには君しかいないし、上杉さんに君をどうこうはできない。でも君の分まで、彼女を愛することぐらいはできる。冥土の土産には丁度いいだろう?」


 手は北条さんの手を握り返している。だが、震えが止まらない。殴り返せばそれで済む。だが拳に力が入らない。


 まるで、心臓を握られた虫のような圧迫感が、僕の全身を掴んで離さない。


「………………やめろ。」


「ん?」


 それでも、噛みつく顎はまだ残っている。


「彼女を!!そんなくだらないプライドで穢すのはやめろ!!あれはそんな軽い気持ちで手に入れていい代物じゃない!!あれは……ッ!!」


 北条さんの明茶色の瞳に映り込む自分の形相が、烈火のごとく燃えていた。感情という燃料が体中を巡り、全身の炎を立ち昇らせる。


「あれは闇だ。油断すれば飲み込まれてしまう、純粋な闇なんだ。あなた程度が……どうにかできる代物じゃない……。」


 自分でも何を言っているかわからない。だが上杉を表現するのなら、これ以上の言葉は持ち合わせていなかった。


「……いいねぇ、できるじゃないか。そういう目が。」


「あんたは!!いつまで人をおちょくって遊んでるつもりなんだ!!」


 まるでこの状況を楽しんでいるかのような北条さんが許せなかった。対抗して、ありったけの力を籠めて胸ぐらを掴み上げる。


「本気だよ僕は!もっと怒れ、もっと荒ぶれ!!閉じ込めていた感情を爆発させろ!!」


「ふざけるな!!笑うな!!彼女を、僕達を馬鹿にするな!!」


 言い合い、叫び合い、それはもう戦いだった。決して負けられない、負けてはならない戦争だ。相手がどうであろうと、決して足を引くことは許されない。


「そうだ前崎君!!人間はそうでなくちゃいけない!!我慢しなくていいんだ!!もっと自分の気持ちを爆発させろ!!君の本音を引きずりだせ!!」


 取っ組み合い、公園の芝生に転がる二人は、お互いの服を枯れた芝だらけにしながら叫び合う。


「答えろ前崎澄雄!!上杉澄玲は!!君の何だ!?」


 心の奥に封じ込めていたもの、鎖でがんじがらめに縛り付けていたもの。その全てが音を立てて破壊され、膨れ上がった僕の胸の内から、込み上げてくるものを押さえられない。



「上杉澄玲は僕の物だ!!お前には渡さない!!」



 夕暮れ、青みがかかった晩春の空。


 それは僕が始めて口に出した、上杉に対しての本心だった。


「……そうだよ、君は上杉澄玲を愛してなんかいない。そんな感情なんてなくとも、君は充分に彼女を大切に思っている。ちゃんと言えたじゃないか、君の本心。」


「はぁ……はぁ……はぁ……。」


 鼓動が早い。呼吸が上手くできない。目の前が眩んで、どんどん遠のいてく。


 北条さんに馬乗りになった体が、ゆっくりと真横に倒れていく。


「……少し、無理をさせたかな?まぁ明日は日曜だし、ゆっくり休みなよ。」


 北条は、意識を失った澄雄を抱きかかえて、助手席のシートに寝かせた。


「もう夜も遅いし、送っていくよ。二人とも。」


 宵闇の公園に向かって北条が声を張った。すると街灯の影から二つ、影法師がゆらりと振れた。


「……私、あなたを本気で怖いと思ったわ。」


 自分の前では決して言わなかった言葉を言わせた、その巧みさに肩を震わせて口を噤む。


 嬉しさよりも、悔しさの方が数倍高い。


「隣の彼女は初めてかな?たぶん、疲れが溜まってたんだろう。何だかテンションも低かったし。という訳で、看病はよろしくね。上杉さん?」


 いつも通りの優し気な北条の様子が、澄玲には余計に恐怖の対象として見えた。

 

 それは年甲斐にもなく、一緒について来た立花の手を握らずにはいられないほどに。そうでなければ、自分もどうにかなってしまいそうなほどに。

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