第23話
そして、上杉のお見合い当日。僕は身分そのまま学生服で上杉家に乗り込んだ。幸いにもうちの学校はブレザーの指定服なので、スーツと立ち並んでもそんなに大きな違和感はない。
ただまぁ、相手が相手なだけに、TPOに合わせた服装をするべきだったのだろうが、生憎スーツを買うお金なんてない。
「……で、なんで君までいるんだ?」
「酷いなぁ前崎くん。私だけ仲間外れにするつもり?」
少し早めに着いて、時間まで待たされている応接間で、何故か僕の隣には立花がいる。
「相変わらず何を考えているのかわからないな。君達は。」
「前崎くんには言われたくないなぁ。……聞いていい?なんでこんなことしたのか。」
普段の砕けた雰囲気からうってかわって、立花の表情に暗い影が差した。
「……上杉が、僕に殺してくれと言った。」
あの夜、上杉が僕を見つめた目は、父を失ってから変わってしまった僕の目と同じものだった。誰を恨むわけでもない、だが絶望した。行き場のない孤独感にずるずると足を取られていく感覚、やがて溺れるさま。
それは、死ぬことでしか永遠に救われない、虚無に飲み込まれていく感覚。
「恐らく、できると思う。僕は、上杉のために殺してやれる。」
辛くて逃げ出したいから、とかいう、そういう次元じゃないんだ、あれは。
自分と言う存在があるのか、ないのか。それを確かめることができない恐怖を、生き死にでしか判別できなくなるほど壊れてしまったのだ。死んでしまったら何もかも失くしてしまうとか、そういう問題じゃない。
何もかも失くす瞬間に、初めて何かを持っていたという感覚を得られると、本能的に悟って求めた結果でしかない。
「でもそれならば、僕と上杉が出会う必要はなかったはずだ。だから、僕はその意味を確かめようと思う。死ぬのはそれからでも遅くない。そう思っただけだよ。」
生きるのが辛い訳じゃない。だが楽しくもない。そんな人生、それは本当に自分の人生なのかと思ってしまう。それだけだ。
それを変えるんだ。彼女と共に。
「そっか。……ごめん、よくわかんないや。」
「それでいいさ。その方が幸せだ。」
バカにしなかったのは上杉も同じ状況にいるからだろうか。立花はこんな不毛な葛藤を笑わない。不思議と、こういう話にも真摯に耳を傾けてくれる。
……上杉にくっついているのでなければ、君にはもっと違う人生があっただろうよ。
…………………。
そうして、ついにその時が来た。
「……………。」
目を合わせるだけで、僕たちの間に挨拶はない。それでも髪を結って上げた上杉の着物姿には、思わず心臓が跳ね上がってしまった。
元々凛とした気品のある顔立ちであるが、髪を結ったことで顔がよく見えるようになったお陰で、惜しみなくその輝きを醸し出している。紫陽花をモチーフにした薄紫の生地との相性も良く、目じりにいれた紅い線の化粧がまた、気品の高さを引き立てる。
これが普段、僕の隣で喋っていると思うと、まだ夢の中にいる気にもなる。
上杉は両親に挟まれ、僕は候補である四人のうち最も
どう見ても学生なのは僕だけだが、一人は二十後半、もう二人は三十半ばぐらいか。その三十ぐらいの二人はブランド物のスーツに着せられている感が強く、どう見ても財力や権力でおばさんが適当に選んできた相手だろうと思った。
だが僕の反対側、つまり一番上手に居ておじさんと向かい合う形になっているあの人は、只者じゃない。
「まずは、本日はお招きいただきありがとうございます。私は北条清十郎と申します。以後、お見知りおきを。澄玲さん。」
しなやかな黒髪の、前髪を左に流したミディアムショート。清潔感もあるが、髪型の向こうから漂う策士の風貌。それは腹黒さではなく信頼感を連想させる、わかりやすくまとめるなら「できる男」の見本がそのまま出てきたような姿。
スーツもわざと、おじさんのワンランク下ぐらいのものにしているのだろう。他の二人より悪目立ちしていない上に、着こなしも綺麗だ。
「……あら?そちらのお若い方、大丈夫ですか?随分と汗が出ているようですが。」
おばさんに指摘されてはっとした。確かに、僕はじっとりと嫌な汗をかいていた。
「すみません、失礼します。」
すぐに胸ポケットに忍ばせておいたハンカチを取り出して汗を拭う。
圧倒されたか。僕は今、人生で初めて「大人」を見た気がする。おじさんも父も、他人ではない気があるからかそうは見えなかったが、この人は間違いない。僕みたいな子供では、軽くあしらわれるのが関の山だろう。
「ふふふ、随分と緊張しているのね。」
「……失礼ながら、この中で一番若輩者ではありますので。」
嫌な笑い方をしてくれる。勝ち目はないからさっさと手を引けということか。
……そう思うのだったら、娘が袖の下にカッターナイフを仕込んでいることぐらい気づけ。いつ綺麗なうなじを自分で掻っ捌くかわからんぞ、そいつは。
「北条様はかの「北条グループ」の御曹司でもあらせられますのよね?」
「いえそんな、私などまだまだですので。ただ、そう遠くない日に会社を継ぐことになるとは、心得て精進しております。」
「あらあらご謙遜を。噂ではT大で首席だとか。そのような方をお目にかかれて光栄です。」
「それこそ、あらぬ噂でございます。常に努力はしておりますが、何しろ激しい競争の世界でございまして。ただ、そうあるように努めてはおります。」
受け答えまで隙が無いか。一歩引いて、調子づいたおばさんを辱めない程度に答える様は、まさしく無能をあしらう賢人だ。
この人は、下手に相手にしない方がいいかもしれないな……。
「朱音、そろそろいいだろう。他の方々にも聞いてみたい。」
「これはすみません隆一郎さん。それでは、隣の席のあなたから。」
機嫌をよくしたおばさんに、明らかに苛立った様子でおじさんが言った。おばさんはそれに気づく様子もなく、まだ調子づいたまま北条さんの隣の人に掌を返した。
……これが僕だったら、もうその場で帰ってやるがな。
……いや、それもいいか。
次のおじさんが口を開こうとした瞬間と、僕が突然立ち上がったタイミングが重なった。
「……どうされました?お若い方。」
「失礼、見るに堪えませんので、これで失礼させていただきます。」
視線が、無数に突き刺さる。
「あらそう、それでは。」
おばさんの態度は素っ気ない。
あぁよかった。この人は本物のバカだ。
「……待って。」
僕が椅子を引いて帰ろうと身を翻したその時だった。
「澄玲、帰りたい殿方を止める必要はありません。」
「理由ぐらい聞いてもいいでしょう?お母さん。」
じっと見つめる、その感触が背中を刺す。
実の母親だろう?君も容赦がないな。上杉。
「上杉、君は自分が逆の立場だったとして、この場に残ろうと思うか?」
「同感ね。」
振り返りざまの僕の言葉に、質問に即答した上杉が立ち上がって裾を整える。
「澄玲!?何を考えているの!?早く座りなさい!!」
「嫌です。もうお見合いは終わりました。私はこれで失礼します。」
「終わったって……まだ始まったばかりでしょう!?何をわけのわからないことを言ってるの!?」
自分の母親の言も聞かずに、そそくさと客間を出て行こうとする上杉。その歩みは、先に立ち上がった僕よりも早い。着物で歩きづらいはずなのに。
「ちょっと待ちなさい澄玲!わがままも大概にしなさい!」
その後をおばさんが、慌てて立ち上がり追いかけた。
上杉の影の色が、その瞬間に妙に色濃く影を落とす。
「おい、まさか……。」
思わず声が出た時にはもう駆け出していた。上杉の肩に向かって、真っ直ぐおばさんの手が伸びる。
その手が触れる瞬間、上杉の体が大袈裟に振り向いた。
咄嗟に、振り抜かれた手を掴みあげる。
「ッ!!……。」
力強く握り、筋を指で押しこんで握りを甘くすると、その手に握られたものを掴んで引き抜く。
「やり過ぎだ。後先を考えろ。」
「…………。」
何が彼女をそうさせるのか。袖に忍ばせておいたカッターナイフで実の母親を切りつけようとした上杉は、遊びに茶々を入れられた子供のように不貞腐れて目を合わせない。
おばさんもこれには驚いたようで、目の前で呆然と立ち尽くしている。沈黙していたおじさんも、目を大きく見開いて驚愕を顔に浮かべている。
「……気づいていたの?袖にこれがあること。」
「誤魔化すのが下手すぎる。バレたくないなら袖に手を添えるのをやめる事だ。」
すぐに取り出せるように、自然におすまししている様に演技していたみたいだがバレバレだ。こっちはいつ自分から取り乱すかとヒヤヒヤしていて、油断していたが。
「澄玲……あなた何を……。」
突然の凶行に、おばさんはパニックに陥ってしまったらしく、身体も表情も小刻みに震えて怯え切っている。それもそうだ。溺愛する娘に突然刃物で切り付けられそうになれば、誰だって冷静じゃいられなくなるだろう。
「……ここまでだな。」
すると、場を主導していたおばさんに変わって、おじさんがそう切り出した。
「皆様、申し訳ない。こちらの都合で申し訳ありませんが、この場はこれにて控えさせていただきます。ささやかではございますが昼食をご用意致しておりますので、どうぞ召し上がって行ってください。それでは。」
おじさんは冷静に場を締めて、おばさんを肩に担いだ。だが場は最悪だ。この後の食事なんてまともに参加するはずがない。事故紹介すらまともにできないお見合いに、果たして何の意味がある。
これで、二人の面目は丸つぶれだ。娘がとんだじゃじゃ馬では、育ちがいいほど嫌悪されても仕方がない。
こいつ……全部わかっててやってないだろうな?
「……何かしら?」
「お前はとりあえずおじさんとおばさんに謝れ。」
来賓を置き去りに客間を後にする二人を見送りながら言う。発端になっておいて言うのもなんだが、この結果は流石に不憫だとしか言いようがない。
「お父様はまだしも……お母さんに謝る必要はないわ。全部好きでやったことだから。」
上杉は完全に開き直っている。おじさんには敬称をつけるところが、家での評価を完全に位置付けている。
もう何を言っていいかわからない暗黒な状況に、溜め息が我慢できなくなった。
「…………ふっ。」
不意に、気の抜けた誰かの笑い声が聞こえた。
「ん?」
誰だか気になって、声のした方向でおじさんが肩を震わせている。
……蛙の子は蛙だな。この場合は龍の子は蛇と言った方が良いか。
「……前崎君?」
「なんだ?」
「手を離して欲しいのだけれど。」
「諦めろ。」
「照れてしまうわ。」
「時と場合を考えろ。」
「なら、寄りかかっていいかしら?」
「立場をわきまえろ。」
「それをあなたには言われたくないわ。」
「確かに。だが悪いのは君だ。」
「悪女ほどモテるというじゃない?」
「君がダイナマイト抱えて走るからだ。追いかけるこっちも命がけだぞ。」
「どうせなら白い砂浜がいいわ。」
「打ちあがるのが汚い花火じゃロマンチックもクソも無いぞ。……考えておく。」
「楽しみにしてるから。」
しれっと夏の予定を入れられてしまった。本当に要領だけはいい。
「いい雰囲気のところすまないが、僕もぜひ、参加させて欲しいな。その花火。」
上杉の不敵な微笑みをぶった切って、会話に入ってきたのは北条さんだった。他の二人は……おじさんが出て行った時に一緒に帰ったのか。
「いいんですか?あっちに混ざらなくて。」
「いやいや、これでもお招きいただいてるからね。せっかく予定を開けたんだ。満喫させてもらうよ。」
「……見ての通り、とんだじゃじゃ馬ですよ?」
「あぁ、そうみたいだね。」
北条さんは、気のいい愛想笑いを顔に貼りつけたまま、僕がさりげなくしている牽制にも微動だにしない。
「一つだけ。どうして帰らないんですか?」
「おぉ、随分と直球じゃないか。いやなに、ライバルの名前も聞かずに帰るんじゃあ心もとない、と思ってね。」
ライバル、という言葉に反応しないほど、僕は我慢強くなかった。
「……前崎澄雄と言います。」
「前崎君、か。それじゃあ前崎君、一つ提案があるんだけどいいかい?」
「……突然ですね、随分と。」
「いやいや、先手は打っておかないと。」
気の良い笑顔は崩さない。だがこの人は、僕があえて関わろうとしていないことに気づいている。そして僕と上杉の仲も、これではっきりわかったはずなのに、まるで気にしているそぶりが無い。
何を考えているのかわからない相手がまた一人増えてしまった。それも、僕にとっては未知の相手だ。やりづらい事この上ない。
「……それで、提案とは?」
後手に回ってしまった以上、守りを固めたいが攻め方がわからない。内心しどろもどろな僕に、北条さんは気さくな笑みを浮かべて言う。
「次の週末、僕とデートしないかい?前崎君。」
「……………は?」
こうして、上杉のお見合いは大失敗に終わった訳なのだが……。
そのお見合い相手に、何故かホモデートに誘われる大波乱を巻き起こして、僕らの慌ただしい週末は終わった。
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