第19話
相談部を創部したものの、名も知れない生徒が適当に作った部活など知る由もなく、僕はいつも通りにバイトの日々を送っていた。
以前のように上杉と話すこともなく、部活動として17時まで教室に残らなければならない上杉達は、僕のバイト先に顔を出すことも少なくなった。九重さんは気にしてくれているが、部活だからと言ってごまかしている。
僕らの関係は、ただの他人に戻りつつあった。
そんなある日に飛び込んできたのが、例のボランティア活動である。
「あー……もう、疲れたよ~。ちょっと休もう澄玲ちゃん。」
「ダメよ。まだ半分も終わってないわ。」
「そうは言っても、「台風のせいで排水溝に土砂が溜まって水が流れないから取ってくれ」だなんて、三人でやることじゃないよ~。」
僕らは、ちょっと気の早い台風直撃の影響で、園芸部の用土やらが大量に流れ込んだ用水路の掃除をさせられていた。前日に言われたせいもあって、汚れてもいい服なんて中学の体操服ぐらいしか残っていなかった。そして僕らは割と思考回路が似ているらしく、三人揃って中学の体操服で作業をしていた。
僕は公立なので、襟が緑の白い半袖と黒のハーフパンツなのに対し、二人は袖や襟が朱色で、センターにT字のラインが入った白の半袖に赤のハーフパンツと言う格好だ。ちなみに、二人の格好は僕の小学生時代の格好でもある。見ていて懐かしい。
ただこの服の難点は、体のラインが素直に浮き出てしまう事だ。上杉は流石のスタイルだし、立花は出るとこが出る誘惑の多いスタイルをしていて、僕は極力彼女たちの方を見ないようにしている。
それもあって、彼女たちの話し声は、少し離れた場所の僕にまでよく聞こえる。
「前崎くんも少し休もー!休憩も大事だよー!」
「……そう言って君は20分おきに休んでるじゃないか。」
通常一時間の部活動がいつまで経っても終わらないのは、肉体労働が苦手な立花がちょくちょくデモを起こしているからだ。これでも30分オーバーしている。
「まぁ、どう考えても一日で終わる作業じゃないのは認めるけどな。」
用水路自体は直線で400メートルあるが、問題は流れた土砂の量だ。下手に崩すと全体に広がって、川へ向けた排水管が詰まってしまう。おまけに散乱した木の枝なども混じっていて、僕一人でも結構しんどいのだ。
底にずっしり4センチほど溜まった土砂と、用水路自体を塞ぐ推定30キロほどの土塊。真面目にやれば1時間でなんとか終わるはずだが、何せ駄々をこねる奴が居る。
土砂を引き上げるだけなら問題ないが、その土を園芸部の管理している畑まで戻さなければならない。立花と上杉にはそっちを担当してもらっているので、単純に歩き疲れたのだろう。
「それなら代わろうか?スコップで土を持ち上げるのは楽しいぞ。」
「それは絶対ヤダ。重いし、前崎くんのフォローで充分間に合ってるし。」
「上の方の土は片付いたのに、用水路の方はダメなのね。」
「予想以上に土が多くて水を吸ってる。まったく……どうして畑から丸々土が流れ出てるんだ……。」
「嫌がらせだよね絶対。なんで園芸部の人来ないの?」
「園芸部が今年で廃部になったからよ。」
「じゃあなんで土が新しいの!?」
「校長先生の趣味よ。」
「こーちょーせんせーぇ……。」
立花の肩に、ふくよかな校長先生の体重がのしかかった。疲れたようにしゃがんだままうなだれる立花、だがこの中で一番働いてないのは君だ。
とはいえ、疲労がきていないわけじゃない。
「僕も、少し休む……。」
そう言って足を上げようとした時だった。足裏からズルっという感覚が伝わり、蒸れた長靴に空気の層が生まれる。
「ん?」
もう一度長靴に力を込めてみるが、土に嵌まったらしく持ち上がらない。
「どうしたの前崎君。」
「いや、長靴が嵌まっただけだ。」
土に嵌まっただけなら、スコップで突いて水を入れれば問題ない。締め付けが取れて足が軽くなる。
冷静に対処して、さぁ上に上がって休もうとしたその時だった。
バシャン!
「……は?」
「え?」
「あっ、」
快い水しぶきの音とともに、何故か上杉が用水路の中へ入ってきた。
「……上杉?」
「足が嵌まって動けないなら、助けてあげようと思って。」
そう言って用水路の淵に足をかけた僕を棒立ちで見つめる上杉。
流れる水の音が、何にも邪魔されることなく空気を揺らす。
「別になんともないから上がってこい。」
「ええ、そうね。」
そう頷く上杉だが、その場から頑なに動こうとしない。
「上杉?」
「あ、あしがうごかないわ。」
「おい、悪ふざけはよせ。」
また構って欲しくて変な事を言っているのかと思ったが、声が震えていたり顔色がみるみるうちに悪くなっていく辺りもしかして……。
不安に煽られながら上杉の足元に目線をやると、右足が不自然に沈んでいて長靴が見えなくなっている。
「澄玲ちゃん!!?」
事態に気づいた立花が飛び入り、上杉の腕をもって支える。
「す、すみか。手をはなさないで。」
「大丈夫離さないから!前崎くん早く引き上げて!澄玲ちゃんが濡れちゃう!」
「こ、この姿勢は……足が滑って……。」
助けに入ったはずの立花までパニック状態に。二人で支え合いながらも、生まれたての小鹿のような上杉の膝は今にも折れそうだ。
「別に濡れてもいい恰好はしてきてるだろう?」
「鬼!外道!このまま濡れたら下着まで濡れちゃうでしょ!」
「上杉は鞄に替えの下着を常に携帯してるじゃないか。」
「ばっ!……前崎くんの変態!!」
「いくらなんでも理不尽すぎないかそれ。」
不用意な発言をした僕も悪いけれど。
「いいから早く助けにきてよ!元々は前崎くんのせいなんだから!」
「…………はぁ。」
思わずため息をついたが、念のためスコップは持って上杉に近づく。
周りの土は取れているが、どうやら一か所だけ深い溝があったようだ。少なくとも上杉のふくらはぎあたりまで埋まっていて、確かに自力で脱出するのは難しそうだ。
そしてスコップの入る幅も無く、掘りだすのは難しそうだ。濡れれば何も気にしなくていいんだが。
「とりあえず足を掘り出すぞ。」
僕は壁伝いに体を預け、身体を伸ばすようにして片手だけで掘り出す態勢をとる。
「ひゃん!!」
水を含んだ柔らかな土の感触に混じって、それとはまた違う瑞々しさを纏った柔らかさのある感触が伝わってくる。すべすべで心地いいのは、生地が良い物を使っているからだろう。
(これを気にしてるとどうにもならんな……。)
先程可愛らしい鳴き声が聞こえた気がするが、あえて触れないようにする。ちなみに僕は小鹿たちに背を向けているため、彼女たちがどうなっているのかはわからない。
何回か土を掴んで出していると、しっかりとした革の感触にたどり着いた。もうすぐだ。
さらに何回か掘り進めて、ようやく足首辺りにたどり着く。
「よし。上杉、引き抜けないか?」
「も、もう少し……なのだけど……。」
女子の力じゃ無理か。だが足は動いている。もう少しフォローしてやればなんとかなりそうだ。
「上杉、タイミングを合わせろ。」
「え、ええ。わかっ……ひゃうっ!」
足首を掴んで、上杉の足に力が入った瞬間に……真上へ一気に引き上げるっ!
ごぼぼっ!と大きな音を立てながら、手元が水の中に浮いた。
「よし。抜け……。」
「きゃあっ!」
気を抜いて体を支えていた手を離した、その直後だった。
僕の背中目がけて、のしっと程よい温もりを持った何かが倒れ込んでくる。
「ぐうっ!?」
心臓が跳ね上がる。どっちが原因なのかはわからないが、突然の出来事に思考が奪われ、瞬きをする暇もないまま時間が過ぎ、
ぺしゃり、と四つん這いになった僕は膝から下をびしょびしょにしてしまった。
いや、それよりもだ。
「前崎君……その……ごめんなさい。」
僕の背中にもたれかかった上杉の、当たるところが当たってしまっていてそれどころじゃない。
以前の僕なら言うまでもなく投げ飛ばしていただろうが、ここのところ、上杉の体に触れると途端に鼓動が早くなる。仄かな熱を帯びた柔らかな体の感触が、落ち着くようでせわしない。
「上杉、謝罪はいいから早くどいてくれないか?立てないし、この体勢はいろいろとまずい。」
「え、ええ。そうね。」
肯定する上杉の手が背中に当たり、ぐっと力が入って押さえつけられる。
「澄玲ちゃん、ゆっくりね。」
「わかってるわ。……絶対に手を離さないでね、菫花。」
声のトーンが尋常じゃないぐらい切羽詰まっている……。今上杉がどんな顔をしてるのかが気になってしょうがない。きっと普段の彼女からは想像もできない様な酷い有様が見られるぞ。
背中を押し付ける感覚が徐々に緩くなっていき、しばらくすると完全に消えた。
「もう大丈夫だよ、前崎くん。」
「はぁ……まったく、酷い目に遭った。」
立花に言われてゆっくり立ち上がる。転んだ上杉はしっかり立花の手を握って、若干震えながら足元を凝視している。
……唇をぎゅっと噛み締めて地面を睨みつける上杉なんて、なかなかレアなものが見れた一日だったな。
「さぁ、早く帰るぞ。」
「ええ、そうね。こんな所にいつまでも居られないわ。」
「澄玲ちゃん、ゆっくりいこうね。」
ゆっくりと用水路の淵に近づく二人を置いて、僕はそそくさと足を引っかけて登ろうとした。
また巻き込まれてしまわないように。
「菫花、絶対に手を離さないで……っきゃあっ!!」
「澄玲ちゃん!?ひゃあっ!!」
「んんっ!?……ぐっ……。」
後ろで悲鳴が聞こえた直後、今度は左右から衝撃に襲われた。
慣れない長靴に足を取られた上杉が立花を巻き込んで、二人で仲良く僕に抱き着くという大惨事。しかも上杉に限って、恐怖のあまり肩まで腕を回している。ようは一人だけしがみついている状態だ。
二人に思い切りよく後ろに引っ張られるので、前についた両手を話す事もできない。というかこれぐらいなら早く体勢を立て直せるだろ。
「上杉……いい加減に、」
「わ、わざとじゃないの。本当よ?」
「前崎くん絶対に意地悪しないでね?水の中に落ちたら一生恨むから!」
「いいから早く体勢を立て直せ。心配しなくとも僕も動けない。」
なんでこういう時に限ってこの二人はどんくさいんだ。さっさと帰って風呂に入りたい……。そう思って憂いでいた矢先だった。
「うん?あれ、前崎じゃね?おーい何やってんの前崎ぃー!」
どこからか聞こえる、男にしては少し高いが落ち着きのある優男の声に背筋が震える。
「げぇ……チャラ男……。」
思わず嫌味を出してしまった。例えクラスで孤立していようと分け隔てなく接して来る、誰彼構わず笑顔を振りまく八方美人。つまり僕の対極。
星野幾。ギャルたちに大人気の「いっくん」こと、陽キャグループのリーダーが、萌える夕陽をバックに大手と笑顔を振っていた。
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