第20話

 星野は、あの事件以来僕に話しかけてきた唯一の男子生徒だ。元々気の良い奴で、僕にも分け隔てなく接してくる。


 性格は奔放だがやることはやる生真面目。遊んでるようで抜け目のない、油断ならないやつだ。頭はそんなに良くないようだが、「参謀長官」というメガネ君とコンビを組んで、無類のコミュ力で女子を虜にしている。


 そんな彼が、読書中の僕の目の前にいる。


「前崎って部活やってたんだ。運動とか得意そうだから運動部だと思ってたけど……あ、もしかして上杉さん?最近めっちゃ仲良くね?っていうかどうやってそうなったの?なぁ前崎?まーえーさーきー?」


 ガン無視である。わかりやすく言うと、僕は陽キャが嫌いだ。生理的に合わない。


 陽キャには人の話を聞かないタイプと、とりあえず自分の話にもってく奴が多い。僕みたいに話を深めて、ディベートみたくもっていくことができない相手には、頭の中でいくら考えても話を合わせられないのだ。


 そういう勝手な偏見もあって、僕はこの男を避けている。


「っていうか前崎って、もっと話しにくい相手だと思ってた。なんか自分の世界で生きてるって感じだし。あ、俺そういうやつ結構好きだから気にしないで良いよー。」


 ……こいつ、年下だったら絶対に殴り飛ばしていた。気にしないでいいならまずその失礼な口を閉じて欲しい。


「……それで、僕の貴重な読書の時間を潰しにかかってまで何の用だ?」


 時刻は朝のHR前。いつもなら上杉が茶々を入れてくる時間だが、中間テストが終わって以降、僕らの間には少し距離ができている。


 それはそれでいいのだが、まさか別の客がやってくるとは思わなんだ。


「んー、ぶっちゃけ俺も上杉さんと仲良くなりたいな。ってのじゃダメ?」


「一生煙たがられるだけだからやめておけ。」


「きっつー。んじゃそれは諦めるとして……、」


 切り替えの早い奴だ。仲良くなりたい気は微塵もないなこいつ。


 僕が頭の中で嫌味なツッコミを入れると、突然に星野の目つきが険しくなる。


「前崎ってさ……上杉さんと付き合ってんの?」


「……そんなくだらないことを訊きに来たのか?」


「んじゃあ、立花さんと付き合ってんの?」


「…………。」


 凄く真剣に、僕は二股の疑いをかけられてしまった。


「……君はどっちだと思う?」


「俺は、上杉さんだと思ってる。」


「残念ながらハズレだ。上杉とは、僕のただの憧れだ。立花はまぁ……体裁的に、何故か付き合っていることになっているが。」


「……あれ?状況が結構複雑?」


 予想もしない答えが返ってきたと、星野の表情がきょとんと呆けた。


 確かに、自分でも何を言ってるかわからない。だが、今の僕らの関係を明確にするとしたらそうだ。


 上杉には告白されただけ。立花は、そんな上杉を諦めさせるために彼女のフリをしてもらっている。どちらかというと、立花が、上杉が僕に近づかないように牽制したいのだが。


 そして上杉には、告白の答えを催促されているのだが、これは別に言わなくていいだろう。


「ふーん……じゃあ前やんはさ、上杉さん?」


「「前やん」ってなんだ「前やん」って……。」


 呼び名はふざけているが、星野は真剣みたいだ。


「……別に、告白したいなら勝手にどうぞ。僕の知る事じゃない。」


「でも、上杉さんは前やんに好き好きオーラ出してんじゃん?あれはなんなのさ?」


「知るか。それで目を覚まさせるために、こっちは色々苦労してるんだ。」


「ふーん…………。」


 半ば疲れたような愚痴を漏らすと、星野が不機嫌そうに口を尖らせる。


「……なんだその口は。」


「前やんはさ、上杉さんの事好きじゃねぇの?」


 どくり、と心臓が跳ねた。

 

 好きじゃない、そう答えればいいはずの問いだ。それなのに、ここにきて嘘を吐きたくない自分が居る。


 僕も自覚はしている。僕は上杉が好きだ。だが社会には、感情論ではままならないことだらけだ。


 数間、沈黙が僕らを支配する。


「……ぷっ、どぅははははははは!!」


「なっ、何がおかしい!?」


 大口を開けて大爆笑する星野に、クラス全員の視線が注がれた。その時にふと上杉と目が合ってしまい、僕は頬が火照るのを感じながら目を逸らしてしまう。


「なんだよ!前やんただのツンデレじゃん!!やーいムッツリー!ムッツリデレやんー!!」


「おっまっえ……わぁ……!!」


 星野にもてはやされ、そこはかとなく馬鹿にされた気分になって腹が立つ。


「はぁーあ、今年一番笑った。いやぁ……前やんがこんな面白いとは思わなかったわ。ぷくくっ。」


「てめぇ……おっぼえてろよ……ッ!!」


 口に手を当てて笑いを堪える星野に握り拳を見せる。


「いや待って、怒んなって!前やんがいいやつなのはなんとなくわかったからさ!」


 星野は僕の拳を両手で包み込んで抑えようとする。


 流石にこいつを殴ると空気が悪くなるか。殺すのは最後にしよう。


「……なぁ、なんで上杉さんを避けようとすんの?立花さん騙してまでさぁ。」


「誤解だが、騙してるわけじゃない。持ち掛けてきたのは立花だ。それに……。」


「……それに?」


 僕は言葉に詰まった。教室には、上杉もいる。前にも言った気がするが、今言うのとでは意味が違ってくる。


「……あぁ、悪い。言いにくいなら場所を……。」


「いや、ここでいい。」


 場所を移そうとする星野を制止したのは、僕自身が逃げないためだ。


 上杉も、僕を見ている。


「……上杉と僕では、生きている世界が違い過ぎる。僕らはもう、昔のようにはなれない。」


 今自分がどんな表情をしているかはわからない。だが今の言葉を聞いた星野が、お茶らけた雰囲気を欠片も残さず表情から消したことで、大体の察しはつく。


 これは罰だ。僕は人間の弱さから逃げた。今なら、それは人同士が支え合ってい行くことで乗り越えていけるものだったとわかる。でも幼い僕の心は、それに耐えきれなかった。


 僕は父を殺した人の弱さを、ずっと恨んで追いまわしていたのだ。


 それに支払った代償は、あまりにも大きい。


「……もういいか星野?気が済んだなら席に戻れ。」


 僕は冷たく言い放った。星野は見た目はアレだが、いいやつだ。目配りも効くし、だからこそのコミュニティだ。彼は人の気持ちを笑わない。僕も上手く乗せられてしまったようだ。


 だが、君のおせっかいではどうにもならないことがある。僕は君に、それを知って欲しかったから話したんだ。


 わかったら、もう関わらないでくれ。


「……前やんさぁ、いい?言っちゃって。」


「……なんだ?」


 そう切り返した時、僕の足が宙に浮いた。


 普段怒ったりしない星野が、顔に般若を浮かべている。


「ダセぇこと言ってんじゃねぇぞ。見ててキモイんだよクソが。」


「……あ?」


 星野に襟首をつかまれた腕を握り返し、お互いに一触即発の空気が流れる。


「あんまりさ……こういうこと言いたくねぇけど、何人かさ、上杉さんに告ってんのよ。で、全滅してる。「返事を待っているから」ってさ。お前だろ?前崎。」


「……関係ないな。それがどうした?」


「気に入らねぇんだよ。嫌ならさっさとフっちまえよ。何期待させてんだ趣味が悪いぞ。」


「そんな簡単な問題じゃない。」


「簡単だろ!!てめぇが上杉さんを好きなのか!嫌いなのか!それだけだろ!!」


 星野の怒号が学校中に響き渡ると、校舎中から野次馬のように顔が出てくる。普段キレない星野の異様な迫力に、陽キャグループはおろか彼と仲のいい女子グループの面々まで、驚愕を顔に浮かべている。


「俺さ……こんなんだからさ、よく女の子に告白されんの。でもさ、みんな幸せにはしてあげられないわけ。俺が適当な事やってたらさ、後でみんな悲しむじゃん?そんなの俺が許せないわけ。わかるよな?前崎。」


「……あぁ、そうだな。」


 そんなこと、クラスの女子達が泣きそうなのを見ればわかる。この中の何人かは星野に告白して、夢破れただろう。星野はそういう所はきちんとしてる。


「じゃあなんで何も言ってあげないんだよ!お前そんな奴じゃないだろ!」


「そんなこと……ッ!!」


 僕は喉元まで出かかった言葉を、すんでの所で飲み込んだ。


 星野はいいやつだ。だが僕たちが本音をぶつけ合うには、時間が少なすぎる。


 僕は冷静を装って、いつも通りを意識する。


「……星野、もうやめろ。お前が気にすることじゃない。」


「はぁ?なに澄ましてんだよ。ちゃんと言えよチキン野郎。」


「お前にわかる訳無いだろ!!僕がどんな気持ちで上杉を拒んでいるか!!」


 胸が、張り裂けそうな程に痛い。


 教室中に無音が反響した。膝を伸ばすことや、ノートをめくる事すら許されない静寂。


 僕は唇を噛み締めていた。


「前崎……お前、」


 星野が何かを言おうとして、遮られた。誰かに肩を叩かれたからだ。


「星野君、その辺りにしてくれないかしら。」


「上杉さん……。」


 上杉に制止され、星野が開き変えていた口を閉ざす。


 僕は、上杉の目を見れなかった。


「……頭を冷やしてくる。」


 その場から逃げるように、早々と足をトイレへ向けた。


「前崎っ!待てって!」


 星野が咄嗟に前崎の跡を追おうとする。だが教室を出ようとしたところで、誰かに腕を掴まれ止められてしまう。


「立花さん離してくれ!まだ話は終わってないんだ!」


「ダメだよ星野くん。もうこの話は終わり。」


「でも……それじゃ君や上杉さんが!!」


「黙れよ。殺すぞ。」


「ッ!?……くっ。」


 可愛らしい童顔からは想像もできない様なドスの効いた声と眼光に、圧倒された星野はその身を引いて立ち尽くす。


「……皆さんごめんなさい。ちょっとした痴話喧嘩だから、気にしないで欲しいわ。」


 澄玲がクラスメイトに微笑みかけて冗談を交えると、誰も彼もがそれは笑えない冗談だと、苦笑いを返したのだった。



…………………………。



 昼休み。僕は立花に、中庭へと呼び出されていた。


 何を熱くなっていたんだろうか。星野の言う事は最もじゃないか。僕が煮え切らない態度を見せれば見せるほど、上杉の気持ちを踏みにじるだけだというのに。


「甘えているだけの僕が、よくもまぁあんな事を言えたものだ。」


 僕は上杉の気持ちに、甘えているだけだ。彼女が僕を好きなのだと知って、たぶらかしているだけのクズ野郎だ。


 それなのに、どうしてこんなに心臓が痛い?


 そんなの、最初からわかっているじゃないか。僕は最初から……。


「へぇ、逃げずにちゃんと来たんだ。」


 可愛い声で、随分と厳しい事を言ってくれる。


「君から逃げる理由なんてないさ。」


「澄玲ちゃんからは逃げてるくせに?」


「……返す言葉もないな。」


「……こりゃ重傷だ。星野くんがつっかかってくるのもわかるよ。」


 しおらしい僕の態度に、嫌味な彼女は呆れた様子で首を振った。


「それで、何の話だ?」


「あー……うん。そうだね、結論から言おっか。」


 立花はたぶん、今の関係について僕を呼び出したんだと思う。今日の星野のように、僕と上杉の関係を誤解している者は多い。もっと上杉を突き放すため、作戦を変えなければいけないという話だろう。


 立花は無表情のまま、僕の目を真っ直ぐ見て切り出した。


「あのさ、もうやめようと思う。前崎くんを澄玲ちゃんから引き剥がすの。」


「…………は?」


 僕は立花が何を言っているのか、さっぱり理解できなかった。


「立花、君は上杉が大事じゃないのか?」


「まぁ、そりゃ澄玲ちゃんが一番ですとも。でもさぁ、澄玲ちゃんが一番大切にしてる人が、澄玲ちゃんを一番大事に考えてるって知ったら、二人が両想いだって知っちゃったら、どうやったって澄玲ちゃんを悲しませちゃうじゃん。それはさ、私の本意じゃないんだよね。」


 立花の様子は、憂鬱という言葉が一番ふさわしかった。


 僕は愕然とするしかなかった。


「立花……君は上杉が、僕みたいな最低のクズ男と一緒に居てもいいって言うのか?」


「前崎くんってさ、自分で言う程クソじゃないよ。あとさ、私の大事な人が大好きな人の悪口、イラつくからやめてくれないかな?」


 立花の嫌悪は本物だった。いつか、上杉が僕に近づき始めたころと同じような目つきをしている。


「……正直さ、無理だよ。前崎くんがどれだけ遠ざけたって、澄玲ちゃんがあなたを追いかけちゃうもん。どんなに地獄に落ちたって、澄玲ちゃんはもう前崎くんを見失わないよ?そんなの、どうしようもないじゃん。」


 だんだんと陽の目が隠れ、雲行きが怪しく影を落とす。そんな僕の隣を、立花はゆっくりと通り過ぎていく。


「あの子さ、中学時代引きこもってたんだよ。前崎くんがいなくなってから心のバランス崩しちゃって、私以外の誰とも話そうとしなかった。だからさ、前崎くんには凄く感謝してる。澄玲ちゃんの世界に、帰ってきてくれてありがとうって。」


 ……上杉が、中学時代に引きこもっていた?


 そんな話は聞いたこともない。上杉が、どうして僕がいなくなって引きこもる必要がある?彼女が、僕の何を気にしていたんだ?


「だからお願い。もう地獄に堕ちようなんてしないで。澄玲ちゃんが幸せになる未来は、もうあなたの隣しか残ってないから。」


 立花は背を向けたまま、肩を震わせていた。 彼女の肩を掴んで事情を問いただす事も出来ず、曇天の湿っぽい風に背筋を撫でられ寒気がする。


 ゴロゴロと、空が鳴った。


「……一雨、きそうだな。」


 僕たちはどうなってしまうんだろう。一つ片付けば一つ出てくる、次々と疑問が噴出するこの関係を、僕はただ見上げることしかできないのか。


 追い立てるように差し迫った台風の目が、愚かな僕の顔を覗いている。

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