第14話

「ぐっ……胸やけが……。」


 レジ打ちのバイト中、僕はしきりに胸を押さえていた。食べたものが今にも込み上げて出てきそうでたまらない。流石にあの量は無理があったか……。


 結局、僕は上杉の弁当を食べた。帰り際の「本当にこれどうしよう……」という上杉の顔は傑作だったが、アレを放っておくのも気が引けた。


 いや、心配していたほど味は悪くなかった。とにかく量が多いのだ。重箱三段、一段は米だったとしても、二段に渡ってぎっしりとおかずが詰められていれば、特に運動しているわけでもない高校生男子には普通に食い過ぎの量だ。


 弁当の中身はポピュラーな様相で、言ってしまえば茶色だった。しかしだし巻き卵やアスパラガスの塩ゆでなど、どう考えても3日越しに食べられないものも入っていたので、結果的には踏み込んでよかったのだろう。


 そしてもちろん、ハンバーグも入っていた。手作りだったのだろう、ナツメグがよく利いていた。話の中に出てきたハンバーグの事を気にしたのだろうか。そんな小さなことで遠慮するようなタマでもないと思うが……。


「あら、前崎くん体調悪い?」


「あ、いえ、大丈夫です。九重さん。」


 品出しがひと段落ついた僕の育成係、先輩おばさんパートの九重さんが声をかけてきた。人の少ない時間帯で仕事もこれといって無い時は、こうやって九重さんと駄弁っている。


「そう?なんだか顔色も悪そうだけど……あれだったら帰っちゃってもいいからね?」


「いえ、本当に大丈夫です。少し寝不足なだけで。」


「あら、ちゃんと寝なくちゃダメよ?子供の頃に夜更かしするのはよくないんだから。」


「あっ、はい。気を付けます。」


 なんだか距離がある気もするが、二回りも年齢が上の人とのやり取りなんてこんなもんだろう。


「最初の頃は怪我とかでなかなか来れなかったけど、基本的には真面目に来てくれるからね前崎くん。最近の子ってすぐ遊びに行っちゃったりしていないんだけど、助かってるわー。」


「……すみません、いろいろご面倒をおかけして。」


 バイト始まって数日で入院沙汰で休みがちになるとかとんでもない問題児ではあるが、その後は積極的に仕事にも取り組んで、こうして高評価をもらえている。どうやら他校ではあるが同じ高校生のバイトがいるらしく、しかし僕はそいつを一度も見たことが無い。


「いいのよ。前崎君は、本当に真面目に働いてくれるから。はちっとも働こうとしないんだから!」


「は、はぁ……。」


 九重さんは結構発言力のあるパートさんだから嫌われるとやりにくくなるんだが、どうやらもう片方の評価が低すぎて危ないようだ。一度も顔を拝めずに辞めるかもしれないな。


「それはそうと……今日は彼女さん来ないのね?」


「あれは彼女ではないんですが……まぁ、そうですね。」


 彼女さん、というのは上杉の事だ。奴はなんども移動中の僕をストーカーをして、このバイト先を突き止めたうえに通い詰めている。必ず安売りのジュースと88円のチョコバーを買っていくから、九重さんにも顔を憶えられている。


「彼女じゃないの?あんなにあなたに好き好きオーラ出してるのに?」


「好き好きオーラって……まぁ、告白されて、断って、つきまとわれているって感じです。」


「えっ……それって大丈夫なの?」


 九重さんの表情が歪む。今の話を聞いて普通の人なら間違いなくこういう反応だ。僕の周りがおかしいんだ。僕はおかしくない。


「今のところは刺される気配もないですし……幸いにも女子にモテる体質ではないので、危険はないですね。」


「あら、前崎くんならモテそうだけど。顔も凛々しいし。」


「冗談でもやめてください。シャレになりませんから。」


 そもそもいじめ動画をアップされた翌日に飛び降り自殺未遂するやつなんて、誰も近づこうなんて思わない。モテるモテないは別として。


 ……こうして話を整理すると、いかに上杉が何を考えているのかが読めないやつなのかがよくわかる。


「冗談じゃないわよー。前崎くん真面目だし、私がもうちょっと若ければなーとも思うわよ?」


 ちょっと頬を赤らめて、熱くなった頬に手を当ててクネクネする九重さんに、僕は一抹の悪寒を感じた。


「まぁその……褒めてもらってるってことにしときます。」


 僕は言うほど、真面目キャラではないんだが……。


「んー、前崎君はね、確かに顔もいいし真面目なんだけれど、それ以上に惹かれるところがあるのよ。たぶんあの子もそれなんじゃない?」


「惹かれるところ?何ですかそれ。」


 そんな事を言われると気になってしまうのは野郎のエゴだろうか。自分の魅力について考えたことが無いので、こういう話が聞けるのは貴重だったりする。


「えー……言うの?絶対に怒らない?」


「怒りませんよ。少し興味がありますし。」


「あら、前崎くんも男の子だねー。」


 九重さんが上機嫌になって、微笑んだように見えた。


 その微笑みは、照れや羞恥心というよりは、母親らしい微笑みだった。


「前崎くんはね、何だか守ってあげたくなるのよ。」


 僕は今日一日、その言葉を引きずりながらバイトに勤しんだ。



………………………。



 バイトが終わった後も、僕は九重さんの言葉が気になって仕方がなかった。帰り道の赤信号や、曲がり角を一つ通り過ぎるなどの凡ミスを繰り返しながら、奇跡的に無傷で家にたどり着いても、それは胸の内に引っかかったままだった。


(守ってあげたい……とは?)


 自分はそんなに庇護欲を掻き立てるような存在だろうか。はたまた何かしらの行動がそれを呼び起こさせるのか。少なくとも、顔は該当しないはず。凛々しいと言っていたし。


「あ、澄雄帰って来た!」


 自分の存在意義について悩みながら玄関に入ると、素っ頓狂な声の後に、ドタドタと足音が迫ってくる。


「母さん?今日は早いね。」


 やたら大袈裟に慌てた母が、血相を変えて飛び込んでくる。現在時刻は20時半、いつもならまだ仕事をしている時間のはずだが……。


「今日はたまたま休みになったの!それはいいんだけど、ちょっと!こっち来なさい!」


「へ?なにどうしたの?」


 脱いだ靴も揃えないまま、母に腕を引っ張られリビングに連行される。そして振り返った母が僕を見つめる顔は、いろいろな感情がせめぎ合ってカオスな事になっていいた。


「休みだラッキー!なんてくつろいでいたら突然ピンポンが鳴って、あんたと約束してるからってすんごい美人が訪ねてきたんだけど!とりあえず部屋に上がってもらってるけど、何あれあんたの彼女!?あんたいつの間にあんな美人と付き合ってたの!?」


「ちょ、ちょっと待って母さん……とりあえず一回落ち着いてくれ。」


 テンパる母親を何とかなだめながら、とりあえず飲み物とお茶菓子を用意してもらって自分の部屋に戻る。


 とりあえず晩御飯はまだだという事なので、必要があるならば用意するとの事らしい。


 ……まぁ、僕の部屋に無礼講で上がる奴なんて一人しかいないわけで。


「おい、母を困らせるなよ。」


 誰も居ない部屋の、こんもりとしている僕のベッドに向かって言うと、案の定それはむくりと起き上がりながら眠そうな目を擦って欠伸をした。


「ん……あぁ、おかえりなさい。先にここで待たせてもらっていたわ。」


「人がバイトで帰りが遅いのをわかっていて、待つと言っておきながらベッドの上でぐぅぐぅ寝てるやつが、「待たせてもらってた」とはどういう態度だ?」


 僕の悪態もほどほどに受け止めた麗人は、寝返りで乱れた長い髪を整えながらまた欠伸をする。


「最近よく眠れるの。お陰で体調が良いわ。」


「毎夜同級生の女の子の香りに誘惑されながら寝不足になる僕の身も、少しは考えて欲しいものだ。」


「あら、想像してもいいのよ。一緒に寝てる所を。」


「生憎そんな変態趣味はない。」


「あなたのベッドなのに、変態もへちまも無いと思うのだけど。」


「人の匂いを嗅ぐという行為に問題があると言っているんだ。」


「それではまるで私が変態みたいね。」


「違うのか?」


「違わないけれど。」


「否定しろよそこは。」


「エッチな女の子はモテると聞くわ。」


「品の無い女は嫌いだ。」


「そう、憶えておくわ。」


「お前は……。」


 僕が望めばなんにでもなるつもりか。とは、この状況では流石に言いづらい。そうだけど、なんて返されたら答えに困るし、上杉ならばそう言いかねない。


「それで、今日はどうした?いつもならもう帰る時間だろう?」


 現在時刻は21時に近づきつつある。いつも上杉は20時前には帰るのだが、今日はそれを大きく過ぎてしまっている。


「時間も遅いし送っていく。家は近いのか?」


「いいえ。その必要はないわ。提案はとても魅力的だけども。」


「何だ?タクシーでも呼ぶのか?それとも迎えが?」


 僕の問いかけに、上杉は首を横に振った。


「そもそも今日は、これの為に来たのよ。」


 そう言って上杉が自分のカバンから取り出したのは、数学のノートと教科書だった。


「前崎君、あなた中間テストの事すっかり忘れていない?」


「あっ。」


 言われて思い出した。そしてその瞬間を見られてしまった。月日はもう5月の中ごろに差し掛かっており、下旬には新入生初めての定期試験が取り行われる。


 ここでの成績は今後の進路にモロに影響してくる、と考える奴と考えないやつで大きな差が生まれるのだが、僕は考えない方の人間だ。


「だろうと思って、今日は勉強会をしようと思って来たの。」


 そう断言する上杉に、僕は呆然としてしまう。


 そんなこと言う奴が、その勉強会の会場でぐぅぐぅ寝ているのだから意味がわからない。


「はぁ……。で、なんでそれをここでやるんだ?別に立花とやればいいじゃないか。」


「菫花もここに連れて来いというの?意外と欲張りなのね。」


「そうじゃなくて、僕とする必要は微塵もないと言っているんだ。」


「どうして?あなたがいなければ意味がないわ。」


「いや、なんで?」


「あなたが勉強しなければいけないからよ。」


「は?どうしてそうなる?」


「あなたの成績、良くも悪くも真ん中じゃない。」

 

 確かに僕の成績は真ん中辺りだが……。なぜ張り出されもしない僕の成績を君が知っている?誰にも教えていないのに。


「別に、上の順位なんて狙っていない。」


「それが勉強しなくていい理由にはならないわ。それに、あなた序盤の授業には参加していないのだから、幾分か遅れているはずよ。」


「それは自習で対処しているから問題ない。」


「駄目よ、そう言って慢心しているとすぐに取り残されるわ。」


 しなくていいと主張する僕と、するべきだと主張する上杉の意見はいたちごっこを続ける。


「……と言うか上杉、それはバイトの無い日じゃダメなのか?」


「もちろんするけど、それじゃテストまで間に合わないわ。期間は一週間も無いもの。」


 テスト三日前から終了までバイトが禁止になるから、その間は今日みたいな日が続くことになる。


 ……もしかして今日からテストが終わるまで、ずっと家に来るつもりか?


「今日から毎日、あなたを見ながら勉強するわ。ね。」


「……は?」


 こいつ、今なんて言った?


「泊まり込み?バカなのかお前は。駄目に決まってるだろう?」


「どうして?」


「どうしてじゃないだろう。仮にも年頃の男女だぞ。同じ屋根の下はダメだろ。何かあったらどうするつもりだ。」


「何かするつもりなのかしら?」


「しないとも限らんぞ。」


「私は一向に構わないわ。」


「君はよくても君の親御さんはダメだろ。」


「もう泊まる準備もしてきたわ。この黒い袋の中には下着が入っているのだけれど、見たい?」


 そう言って上杉は鞄の中から黒い袋を取り出し、僕の目にチラッとピンク色のレースが映り込んでしまう。


 絶対にドキドキしてはならない。足元をすくわれる。


「早くしまえ。親御さんの許可は貰ってるのか?」


「ええ。大丈夫よ。」


「……本当に大丈夫か?」


「大丈夫よ。」


 はっきりと、断言した。だがその言い方は何かが引っかかる。


「……交渉は自分でしてくれ。」


「わかったわ。」


 僕はともかく、母さんがOKを出すかどうかだ。一般常識ならここでOKなんて出るはずもない。年頃の男女の同衾だぞ、何も起きないはずがない。


 上杉がとてとてと階段を降りてしばらくすると、ダダダと駆け足で階段を上ってくる音が下から響いた。


「ねぇ澄雄!あの子本当に大丈夫!?泊まるとか言ってるけど!!付き合って何日目!?まだ一カ月経ってないわよね!?早すぎない!?普通はもうちょっと段階と言うものを」


「母さん落ち着いて!あれは頭がおかしいんだ!帰れといえば素直に帰るから!」


 血相変えて飛び込んできた母が掴みかかってくるのを、何とか躱してなだめようとするが、よほどビックリしたのかパニックに陥ってしまっている。


「ダメよ!こんな時間に女の子を一人にするなんて!来た時になんか荷物が多いと思ったらそういう事だったの!?母さん別に青春するなとは言わない!言わないけどせめて健全なお付き合いをね!?」


「してる!少なくとも母さんが想像してる少女マンガみたいなことは一つもないから!ただあれは全部計算したうえで言ってるんだ!あれはしたたかなんだ!」


「もうこの際泊まってもらった方が安全だからいいけど!でも事前連絡ぐらいくれたっていいじゃない!もしかしたら結婚するかもしれないんだから、お食事ぐらい見栄張りたいじゃない!なんで言わないの彼女できたって!」


「わかった!突然彼女が泊まるって話になったのは謝るから!とりあえず一回落ち着いてくれ!あと結婚どうたらは飛躍しすぎだ!そこまで進んでない!」


 興奮する母をなだめ、なんとか黙らせることに成功した。身振り手振りがそれはもう激しくて、食事前に余計な体力を使ってしまった。どっと疲れが増してくる。


「本当?澄雄の事、信じていいのよね?絶対に手を出しちゃダメよ?空いてる部屋も無いから澄雄の部屋に泊まってもらうけど、絶対にダメだからね?」


「不安な気持ちになるのもわかるが、少しは息子を信用してくれ。大丈夫だ、いざとなったらリビングで寝る。」


 僕の言葉にこくこく頷いた母親は、しぶしぶながらも食事を用意しに下へ戻っていった。


 ……あれ?結局上杉が泊まることになってないか?


 僕が呆然と立ち尽くしていると、悠然と歩きながら上杉が、扉の向こうで微笑んでいた。


「お母様に、彼女と紹介してくれて嬉しい。」


「お前……憶えてろよ。」


 僕は自分の喋り方を忘れてしまうほど、強引な彼女の行動に怒っていた。

 

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