第9話
「届きましたか。はい、それじゃあ手筈通りに……。」
数日後、僕は自室のベッドの上で甚六さんと連絡を取り合っていた。支倉も取り込んだし、これで僕を止める者はもういない。
後は、僕自身が覚悟を示すだけだ。
「……………。」
大きく胸を膨らませて深呼吸をした。湿った部屋の空気がそこはかとなく纏わりつくようで煩わしい。
「僕には、こうするしかない。」
誰も頼らないというのは、酷く自分の行動が不安になるものだ。今にも吐き出したくなるような、気が飛びそうになるような自己嫌悪。
学生とは、きっと誰もが、この孤独に呑み込まれそうな錯覚と戦っているのだろう。
「澄雄ー、ごはんよー?」
母に呼ばれたので食卓につく。今日のおかずは、サバの塩焼きとちぎったレタス。
殺風景な献立だが、いつもよりおいしそうに見えた。
「……澄雄、学校で何かあった?」
「いや別に。」
母の不自然な詮索を軽くあしらう。だがそれは、状況を余計に悪くしてしまったようだ。
「別に。じゃなくて、そのケガどうしたの?」
「階段で転んだ。」
「そんなわけないでしょ!どう転んだら、そんな横殴りの痣がほっぺにできるのよ!」
「凄くアクロバティックに転んだ。」
「嘘つくなって言ってるの!!あんたまた学校で何かあったんでしょ!今度という今度は吐かせるから!!」
自分の言い訳が下手くそなのは理解しているが、遠回しに詮索されたくないと言っているのがわからないのだろうか。
思春期のせいだろうか、こういう風に自分に踏み込まれるのが本当に嫌気がさす。
「ちっ。」
誤魔化すのが難しいとなると、舌打ちが我慢できなくなった。
「澄雄……お願いだから変な事しないで。お父さんがいなくなって、辛い思いをさせちゃてるのは本当に悪いとは思ってる。でもいい加減にしなさい!やり返したくなる気持ちはわからなくもないけど、あんたは昔からやり過ぎなの!どうせまたろくでもない事考えてるんでしょ?」
「さぁ?」
「なっ……このっ、」
母さんの怒りは深かった。まったく相手にしない態度を取り続ける僕のサバを取り上げ、嫌でも視線を向けようとする。
「いい加減にして!あんたはもっと大人を頼りなさい!私が頼りないからいけないかもしれないけど馬鹿にしないで!あんたに見下げられるほど落ちぶれちゃいない!こっちにだって親の威厳ってものがあるの!!」
シワの寄った眉に険しい目つき、激しい口調に荒々しい手振り。但し言ってる事は至極まともで、子を心配する親としては当然出てくる大人の意見だ。
あぁそうだ。それは大人の意見だ。
「ありがとう。でも気にしなくていい。気づいた時には全部終わってる。」
「なっ……。」
母さんは黙って息を呑むしかなかった。僕は遠回しに拒絶したのだ。お前にできることはなにもない、引っ込んでろと。
優しい言葉に見えるが随分トゲが立つ。このまま僕と母の関係が悪くなってしまったら、それはまだボキャブラリに乏しい僕の責任だろう。
これは僕の持論だが、親に見放された子供の人生なんてたかが知れている。子供は本能的に、親を頼って生きていかなければならない。それがどれだけ理不尽でも、不平等でも、それが親ならば、僕たち子どもは頼らなければ生きていけない。ただ家に帰って飯を食べ、風呂に入って寝る事すら困難を極めるのだ。
だからこの先生きていくつもりならば、嫌でも子供は親に嫌われないようにする。
生きていく、つもりならば。
「心配しなくていい。僕は自分の力で解決できる。自分のことぐらい、できる限り最小限の他力と自力で乗り越えて見せるさ。だから―」
僕の言葉は遮られた。
とても強い力で、抱きしめられてしまったから。
耳元ですすり泣き始めた母の嗚咽に、僕は喉奥で溜め込んだ言葉を飲み込んだ。
「―だから、泣くのは勘弁してくれないか?」
母の細く痩せ気味の背中を手の平で叩く。服越しでもむくんでいるのがわかる肌の感触には言葉が詰まる。
「お願い澄雄、もうお母さんにはあんたしかいないの。だから勝手にいなくなるなんて絶対にやめて。心配かけて悪いと思ってる。でもね……人は一人じゃ生きていけないのよ。だから澄雄も。一人になったりしないで。」
肌に食い込む指の感触が刺さるようで、そのまま心の痛みを分け与えられているようだった。
抱きしめられながらいろいろ考える。父の葬儀で、控室で一人力なくへたり込んだ母の背中も、それを慰める事もできない自分の手の小ささも、僕の人生で生涯後悔し続けるだろう。
僕は強くなければならない。人間として、一つの存在として、誰の為でもない、ただ自分であり続けるために。
「……心配しなくていい。あなたを置いて、消えたりはしない。」
抱きしめられた腕を引き剥がして、もぬけの殻になった食卓に一人残した母の姿はあまりにも弱々しく、その場を去るのがあまりにも残酷な気持ちにはなった。
だが、それとこれとは話が別だ。
「いじめ」は、大人が関わっていい問題なんかじゃない。
これは、クソガキ共の人生を賭けた、戦争だ。
………………………。
一夜明けて、僕はいつもより少し遅い時間に登校した。
周りの反応を見るために、できるだけギリギリの時間を選んだのだ。事前に教室にいると、何かあった時に無意味に騒がれるかもしれない。
反応とは無論、僕の反撃についてだ。
僕は表情が顔に出やすい。必死に顔をしかめて、教室の扉を開いた。すぐに喧騒が聞こえ、人だかりが目に入る。
彼らが見ているのはスマホの動画。別々で見ればいいものをそうしているのは、見ているものが同じだからだろう。
「ねぇ……これうちの学校だよね?」
「中庭でしょ?絶対ヤバいよねこれ。」
「うわぁ……結構殴られてる。痛そー。」
リア充女子グループの数人が噂をしている。さすが流行に敏感なだけはあるということか。どこから拾ったかは知らないが、本当に嗅ぎつけるのが早い。
おかげで、手間が省けそうだ。
「皆さん席についてくださーい。」
ガラガラと開かれた扉から担任が教室に入ると、噂はパタリと止んで、一同が一斉に自分の席に戻る。
ホームルーム始まりの合図。号令の時、一人の長髪の麗人が、確かに僕を睨みつけていた。
…………………。
その噂が大事になったのは、昼休みに入ってからの事だった。皆が弁当を広げながら談笑をしていると、血相を変えた担任が飛び込んできた。
「皆さん聞いてください。昼休み終了後、緊急で全校集会を開きます。全員体育館に集合してください。」
担任の慌てように、全員がただ事でないのを察知した。
ただ一人、僕を除いて。
そして慌ただしく教室を後にする担任ののち、すぐに教室がざわつき始める。
「ねぇ、全校集会って絶対にアレのことだよね?」
「だよねー。やっぱりヤバいんじゃない?」
「たぶんだけどさ……この前のあいつらだよね。アレ。」
無駄に声が大きいリア充女子グループの談笑が聞こえる。完全に部外者な彼女達でも、話の中心にあるネタは顔が青くなるものだった。
「あの動画、この学校でいじめがありますって、言ってるようなもんだよね。」
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