第6話

 背中に柔らかさを感じながら、白い天井を見上げていた。


 まだ胃の中がゴロゴロするが、歩けないほどでもない。適当な理由をつけて早退するとして、この後どうするか。


「なるようにしかならないか……。」


 僕が撒き散らした物は、現場に居合わせたボランティアが処理してくれた。幸いにも胃の中から無理やり捻りだした物なので、感染症の心配もいらない。心配するとすれば、明日から僕のあだ名が「ゲロ野郎」になることぐらいか。


 とんだ安請負をしてしまったが、別に格好つけたかったわけじゃない。


 自分がやらなのなら私がやると、彼女が脅してきたからだ。あの時、彼女の掌に差し出された桜の花びらは、彼女自身を形容した物だった。桜の花びらを捨てるというのは、つまり自分の身を捨てるという事。だから僕は、大事に取っておけと言ったのだ。自分の立場もわからないような、正義感だけで偽善を振り撒こうとするアホに、くだらない事件を起こされてもクラスがざわつくだけだ。


 昼休みに昼寝しかやることのない僕に、安眠妨害なんて粋な事をしてくれるじゃないか。断固阻止する。


 さて、こうして僕は上手く口車に乗せられ、人生の瀬戸際に立つ破目になったのだが、これからどうしようか。


 ちなみに言っておくが、喧嘩には自信があるので、そういう解決方法もある。しかしそれでは彼ら猿山の群れと大差ない。もっと違う方法で彼らを叩きのめさないといけないのだが……。


「……負け犬なりのやり方でいくか。」


 頭の中で閃いたどうしようもなくみっともない勝ち方は、嫌になるほど痛そうだった。




…………………。




 誰にも見つからないよう静かに下校した僕は、特に面白味もない通学路を通って味気ない青春を過ごしていた。


 家につくなり、違和感が肌に貼りつく。


「……騒々しいな。」


 母は人並み以上に声が大きい。なので玄関先でちょっと喋っていたりすると、すぐ声が聞こえてくるのだ。


「帰ってください!あなたにお話しする事なんて何もありません!」


「いやでも、奥さん。ちょっとお話聞かせてもらうだけでいいんです。旦那さん、絶対なんかあったんでしょう?」


「帰ってください!」


 ……なんだ、また来たのか。というのが正直な感想だ。


「ただいま。」


「あ、澄雄!あんた早退したんだって?大丈夫なの?凄い吐いてたって聞いたけど……。」


「食べ合わせが悪かっただけだよ。」


 実際、昼飯にてんぷらと、水道の水では胸やけが止まらなくもなる。


 ま、それは終わってからの話だけど。


「あ、坊ちゃん。こんにちは。お元気で?」


「この顔色見て元気だったら、僕は早く入院した方が良いね。」


 気さくに気の利かない言葉をかけてきたのは、ちょっと事情があって我が家を調べている甚六さん。自称フリーのジャーナリストで、父親が死んで半年経ったもう何年も我が家に足を運んでいる。通報したい。


「そりゃ元気そうだ。ところで坊ちゃん、お父さんの事なんだけど……。」


「いい加減にしてください!警察呼びますよ!」


 母が怒り心頭な様子で、固定電話の子機を握り締めている。それを見た甚六さんも、流石に表情が青ざめた。


「おっと、それじゃあ今日はお暇しますよ。気が向いたらいつでも、お話聞かせてくださいね。」


 警察にお世話になるのは嫌なようで、そそくさと退散の準備をする甚六さんは、最後に僕に一瞥入れて帰っていった。


「……懲りないね。あの人も。」


「………………。」


「……母さん?」


 顔を手で覆い隠すが、その表情は見ているこっちが辛くなるほど悲愴だった。それではいつもは、無理に明るく振る舞ってますと言っているようなものだ。


 甚六さんが来る日は、ある意味母が正直になれる日なのかもしれない。そういう意味では、僕は甚六さんが悪い人には思えなかった。


「仕事は?」


「……今日は休みだから大丈夫。」


「そう。じゃあ、もう寝なよ。適当に食べるからさ。」


「……うん、ごめんね澄雄。体調悪いのに無理させて。」


「いいさ。そんな顔してる母親を、働かせようとは思わないよ。」


 実際、ゲロ吐きまくって消耗してるはずの僕よりも、今の母の顔色は悪かった。


 それぐらい、父さんの死に方がよくなかった。今でも彼女を、追いつめる程度には。


 とはいえやっぱり体はだるいので、とりあえず部屋に戻って着替え、ベッドに体を投げ捨てる。


 そして寝る。と見せかけて、とある電話に発信した。


【……もしもし。】


「もしもし、坊ちゃんですが。」


【ああ、澄雄くんか。ついにお父さんの事を話してくれる気になったのかな?】


「残念ながら、僕はその事に関してはよく知らないので。あなたがもう知っていることと、大差ないと思いますよ。」


【いやー、それでも話してみるだけ話してみてよ。何か新しい発見があるかもしれないしさ!】


 ……本当に、こういう人たちは遠慮ってものを知らない。


「……じゃあ、それよりも面白いものがあるって言ったら、どうです?」


【……どういうこと?】


 声のトーンが深く、厚くなった。


 どうやらうまく喰いついたようだ。


「最近の高校生のいじめ事情、知りたくありません?」

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