第5話 

 基本的に、学校と言う場所にあまりいいイメージはない。有象無象に詰め込まれた人間が、家畜のように時間を持て余してふらふらするだけの空間だと思っている。あくまでここは「学ぶ」場所であって、「育つ」場所ではないのだと思う。だが世間一般にここは「教育機関」と呼ばれる。


「おい支倉ァ、来いよ。」


「……うん。」


 もしこれが「教育」だというのなら、社会は日本語についてもう一度、研究の仕方を改め深めるべきだと思う。


「はぁ……。」


 ため息を吐いた。なんにせよ、これから何が起きるかがわかっていて無視を決め込むというのは気分が悪い。かといい、僕も立場上面倒事は避けたいからな。


 弱者を救うのは強者の仕事だ。


 僕はクソガキで、強さなんてものは無い。身の程はわきまえている。


「このままでいいの?」


 話しかけられた、そう認識するほど、彼女の声の距離は近かった。


 クラス中の注目が集まったのは言うまでもなく、それが「彼女が誰かに話しかけた」からだというのはすぐに理解できた。つまり注目されているのは彼女のはずなんだが―、


 それでも、この注視は眩しい。


「上杉澄玲……。」


「そうだけど。」


 このタイミングでなぜ?というのはわざとらしいだろうか。支倉が不良グループに連れていかれた所に、僕一人だけが溜め息を吐いた。彼女はそれを見ていて、その意味を尋ねてきた。


 いや、その意味が理解できているからこそ、ここに来たのかもしれない。


「目と耳が腐るぞ。」


「お互い様と受け取っていいかしら?」


 ……酷い皮肉だ。


「君は窓際で陽の光を浴びながら外を物憂げに眺めているのが美しい。」


「つまり陰で薄汚く物乞いをするのは似合わないのかしら?」


「僕の仕事だからな。」


「あら、そう。なら、こうするわ。」


 彼女はそう言いながら、左手に握ったそれを開いて見せた。


「……桜の、花びら?」


 舞落ちるところを掬い上げたかのような、汚れ一つない桜の花びら。どうしてそんなものを握って、隠していたのか。


「これをあなたにあげる。」


「……いらないが。」


 誰がどう考えても無意味ゴミだ。


「ちょっと前崎くん!?」


「いいのスミカ。……残念ね。あなたは違うと思っていたわ。」


 なぜか憤りだすスミカと呼ばれる腰巾着を、腕をかざして制止する上杉。その瞳がなぜか、失望の色で陰っていく。


「……君が何を思おうが君の勝手、それは僕も然りだ。ただ一つ、君は勘違いをしている。」


「……何かしら?」


 答えの見つからない上杉に、僕は言った。


「君は空にいる。僕は埋もれている。君にはどうすることもできない。桜の花びらが色づくのは一瞬だ。せいぜいその輝きを大事にすることだ。」


「……どういう意味かしら?」


「捨てるなよ、それ。」


「ッ!!?」


 上杉が豆鉄砲を喰らったような顔に満足して、僕は立ち上がる。


「……どこへ?」


「お花畑に。」


「……そう。」


 ただ単にもよおしただけなので、そう答えておく。


「あなたって、そういう人なのね。」


 嘘を言った。疲れるから、彼女と喋りたくないだけだ。

 

…………………。


 トイレが、何やら騒がしかった。話し声だけじゃない。壁を殴りつけるような物音がする。


 …………別の階のを使うか。


 踵を返し、階段を下りて下へ向かう。下の階からでも、天井から騒がしい様子が伝わってくる。


「……くだらない。」


 用を足して、軽く手を洗って上の階に戻る。


「……あ?なんだお前。」


「ここに来る用事なんて一つだろう?」


 トイレの前で立ち塞がる、見張り役の一人に阻まれる。


「下の階に行けよ。こっちは立て込んでるんだ。」


「すまない、我慢ができない。」


 股間を押さえてそれらしいアピールをする。


「あ?いいから早くいけよ!」


「すまん、限界だ。」


「はぁ?」


 大きく開いた口と勢いよく伸びた舌。直後に。


「おるえええええええええええええええっっ!!」


 ビシャビシャビシャッ!!と、僕の口から猛烈な勢いで吐瀉物が吐き出された。


 誰だって、う○このニオイを嗅いだら気持ち悪くなるだろう?


「うわああっ!!何してんだテメェ!!」


「君が通してくれないからだ。」


「ふざけんなよゲロ野郎!!」


 不良が殴り掛かってくる。なんて、随分青春らしいことしてるじゃないか。


 咄嗟に伸びてきた腕を受け流し、額を押さえつけて背中ごと頭を壁に叩きつける。


「ぐあっ!?て……てんめェ……ッ!!


「気分が悪いんだ。じゃれるなよ。」


 嘘は言ってない。


「おいどうした……ッ!?なんだてめぇオイ!!」


「おい、足。」


「その手離しやがれこの野郎!!」


 騒ぎを聞きつけたらしい不良グループの一人がトイレから勇んできた。が、ちょっとかわいそうな事をした。


「滑るぞ。」


「はぁ!?うおわっ!!」


 ズルッ!ベチャッ!!


 僕の吐いた虹溜まりに足を取られ、勢いよく尻餅をついたあげく虹色に染まる。


「なんだこれ!?うわっ、くっさ!!」


「おいお前たち!!何やってる!!」


 すぐに周りの生徒たちがざわついているのに気付いた教師が駆け込んできた。ジャージ姿の、ガタイの良い男性教師。


「おいそこのお前!!何やってる!!」


「体調が優れないので吐こうとしたら、トイレを阻まれてそこにぶちまけました。」


 嘘は言ってない。


「そんな事より代わってもらっていいですか?襲われそうになったんで押さえてるんですけど。」


「そんな屁理屈が通るか!!いいから離せ!!」


 状況的にはどう見ても襲ってる方の僕を押さえつけようとする。特に抵抗する様子もなく取り押さえられる。


 その隙を、不良生徒が見過ごすはずもなかった。


「このゲロ野郎!!」


 飛んできたけたぐりを太ももにモロに喰らった。地味に痛いが問題はない。


 男性教師は僕と不良の距離を離そうと、僕を羽交い絞めにしたまま後ろに下がる。だがそんな事をすれば僕は無防備で、自由な不良は容赦なく追ってくる。傍目から見れば、男性教師がひ弱そうな生徒を羽交い絞めにして、不良生徒に殴らせている様にも見える。


 というかこの体勢、非常に胃腸に悪い。


「あ、駄目そう。」


 警告はしたが、不良生徒の腕は寸手のところまで迫っている。


「おるえええええええええええええっっ!!」


 不良生徒と男性教師がゲロまみれになったところで応援が駆けつけ、僕は無事、保健室に連行された。






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