第4話
「じゃあ、前崎君だっけ?これからよろしくね。」
「よろしくお願いします。では、明日から。」
僕はそう言って店長さんに頭を下げ、その場を後にした。
バイトの面接の申し入れをしたら、今暇だからとすぐにすることになり、そのまま採用されることになった。家近くのスーパーのレジ打ちと品出し、やることはそんなに難しくはない。
指導係になるパートのおばさんとの簡単な顔合わせも済んだ。許可証の書類もその場で書いてもらったし、手際が良過ぎて怖いが、なんにせよ助かった。
帰り道、なんてことはなかった。ただ家に帰るだけの道のりに、同じく学校帰りなのか、道端で騒ぐ小学生の喧騒と時代錯誤の豆腐屋のラッパ以外は、当たり障りのない日常だ。
誰かが自分の後ろを付けてる感覚は、もう中学時代からいっこうに治らない。誰かが通り抜ける度に、背筋がゾクゾクする。
僕がまともな精神じゃないのはわかっている。なんでこうなったかは、だいたいだけど検討がついてる。でも、それをどうこうしてくれる誰かがいる訳じゃない。当事者以外には他人事、言い訳にしか聞こえない。
だから少しでも、自分の力でどうにかしたいとは思っている。
「澄雄、おかえり。」
「ただいま。」
同じく仕事から帰って来たのだろう母親が、リビングで着替えながら出迎えてくれた。
「晩御飯どうする?」
「簡単でいいよ。パスタとか。」
「はいはい。すぐできるから、早めに下りてきてね。」
僕は軽く手を振って返事をした。
我が家は二階建ての平家に住む母子家庭だ。父は数年前に他界しており、そのことについてはあまり触れて欲しくない。過労死したとだけ言っておく。それからは母が女手一つでここまで育ててくれた。とはいえ高校生にもなると何かと入り様になるので、自分で使う資金ぐらいは確保しておきたい。だからバイトをしようという訳だ。
荷物を下ろして部屋着になると、すぐに母親の呼ぶ声が聞こえてきた。バイトの保護者許可願いだけもって下に行く。
今日の晩食はレトルトのペペロンチーノ。に、簡単に調味料を足して味を調えただけ。後はちぎったレタスが小皿に一山。
「母さん、これ。」
「ん?……これって……。」
許可願いを差し出すと、母の表情が硬くなった。
「澄雄、お金の事なら何とかするから、部活とか入ったいいよ?」
「部活は文化部にした。運動部をやれるほどの体力も無いし。」
「でも、運動部の方が進路には有利よ?」
「別に文化部でも実績があれば関係ないよ。」
「実績って……どの部活に入るの?」
「文芸部。」
「全然その気なんてないじゃない。いいからバイトなんてしなくてもいい、お金のことは本当に気にしなくていいから。」
「母さん。」
強情なほど僕にバイトをさせたくない母の顔に、詰め寄った。
「これから先どうなるかわからない。少なくとも今は、やりたいことも目指したい事もない。それでも、何かあった時の為に、用意ぐらいはしておきたいんだ。」
「でも……。」
これだけ言ってもまだ懸念のある母に、最期のもうひと押し。
「それが、母さんと父さんの助けだけで、どうにかなるとは到底思えない。」
「澄雄……。」
遠回しに、「あなたたちを当てにはしない」と宣言したようなものだ。親の気持ちを少しでも考えられるのなら、決してこんなことは言わない方が良いとは思う。
それでも、僕が進学したことで働く量を増やそうと思うぐらいなら、せめて自分の分ぐらいはなんとか稼ぎたいと思うのが、普通だと思う。
「……はい、これ。私が言っても説得力ないけど、無理はしないでね?」
「ほんとだよ。この後も仕事?」
「うん。深夜まで帰らないから、先にお風呂とか済ませちゃって。」
「ん。」
母から押印を受け取って、さっさと許可証に打って返す。慌ただしく食事を終えると、母は簡単に口を漱いでまた慌ただしく出勤していった。朝、昼は書店のパートで夜は飲食チェーン店の深夜パートだ。いつも12時には切り上げて帰ってくるが、繁忙期になると2時ごろまで帰ってこないこともある。残業代が割にいいらしい。
「澄雄。」
「なに?」
玄関先で慌ただしく踵を直す母が、部屋に向かおうとする僕を呼び止めた。
「辛い思いばっかりさせてごめんね。でも母さん、頑張るから。」
そう言って、疲労で浮き出た薄いクマとやつれた頬でにこやかに笑って見せ、出掛けて行った。
「……それ、自分に言うべきだよ。母さん。」
愛する人に先立たれて必死に仕事する人間の心理なんて、子供でなくてもわかるだろうに。
本人が気付いていないのだとしたら、息子として、それは見ていられなくもなるだろう。
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