少年の人生は自己犠牲と偽善を憎んでいた。

第1話

 桜の花も咲き乱れる、掌が赤らむような厳しい北風を耐え忍んで、待ち望んだ日の出をようやくかと祝い賑わう四月。多くの思春期は、この日この瞬間から、人生において限りなく少ない貴重な「青春」という時代の始まりを迎える。中学生から一回り大きくなっただけなのに、どこか大人びた格好にも思えるブレザーは、慣れないネクタイの結び目に初々しさと若さを連想させる。


 電車で二駅、だがしかし市町村を二つも跨いだ先にある新天地に向けて改札を出る。


 ここで引っかかって止まりでもすれば、誰かが僕の顔を憶えていてくれるのだろうか。


 そんなことを思いながらキヨスクに気を取られていると、ピンポーン!と鈍い電子音が鳴った。


【うおっ!……あぁマジやめて欲しいわ。めっちゃ焦ったぁ~。】


 後ろでいかにもチャラそうな、ろくに電車も乗った事もない癖に、粋がって電子きっぷを使いこなせないでいるアホが、同じくアホそうなチャラ男たちと三人組を結成しながら、まだ通っても居ない通勤ラッシュの改札の前でだべっていることに、僕はたまらなく気だるさを覚えて溜め息を吐いた。


 マジでやめて欲しいのはお前らの方だ。僕と同じ制服で、しかもちょっと格好つけて袖とかまくりあげて、堂々と公共の場でマナー違反をしながら学生生活を満喫しないで欲しい。まるで僕まで同程度だと思われるじゃないか。


 巷で噂になりそうなDQN達は放っておいて、駅のホームを下りて通学路へ歩き出す。何の変哲もない住宅街なのか商店街なのかよく判らない通りを淡々と歩いていく。こういう所に行き着けのお店とかがあれば、学生時代の思い出とかいって、ふらりと立ち寄った時に昔を懐かしむ伏線でも張れるのだろうが、どうやら過去を振り返るなと言うお告げらしい。


 と、くだらない考察をし終わったところで、まるでテーマパークのような凸凹の建物が目に入った。赤や黄色、緑や青といった、とにかく目立っておけば目に留まるであろう色をあしらった頭の悪そうなビジュアルはインパクトに富んでいて、しかしそんな悪印象を吹き飛ばすかのような、充実感を連想させるテナント看板の入り様が、僕の青春に期待する何かを刺激する。


 なるほど、遊ぶ分には困らなさそうだと、少し満足気に頬を緩ませた。


 そういう所が、自他共に認める「生意気なクソガキ」という僕の性格をよく表している。


そんな見下されているとも知らないそれを横目に、僕は横断歩道を渡って立ち止まった。


目の前には校門。橋渡しされた先にあるいかにも学校という建物らしい真っ白な壁を見上げ、少しの間思慮にふける。


学校というものにあまりいい印象はないが、僕の過去を知る人間がいないこの学校を選んだのは、僕にやり直したいという願望があったからだろう。


それすら今は間違った選択に思えるほど、舞い散る桜の花びらは柔らかな日差しに照らされ、美しく散っていく。


覚悟を決めたら、踏み出すことだ。


僕が校門をくぐって学校の敷地に入った、その時だった。


「………………。」


何か言葉を発しようとしたが、それは咄嗟に吹いた春風にさらわらてしまった。


かわりに春風に誘われた先に、僕は目を奪われてしまう。


少し肌寒い陽気の下で、赤いカーディガンを制服の上から羽織る黒髪がたなびいて、耳元でざわついたそれを搔き上げた時、うっすらと見えた杞憂の眼差しか、それとも哀愁の表情かという奥ゆかしさが、舞い散る桜に彩られながら微笑んでいた。


僕は高校進学の記念に契約してもらったスマホを咄嗟に取り出してカメラを起動した。


レンズの向こうにいる彼女もまた、僕の頭から言葉を奪っていく。


「…………いや、やめよう。」


それを懐に収めるのは、何だか罪深い行いのような気がして、スマホを何事もなかったかのようにポケットへ入れた。


それが運命のいたずらか、レンズの光がちらついたのか、彼女が不意にこちらを振り向いたのだ。


「……何か用かしら?」


麗人は無表情でも麗人だ。平民とはかけ離れたその美貌は、一眼千金の経験である。


僕が彼女と関わることは、今後一切ないだろう。


「……いや、桜を追った先に君がいたんだ。」


僕は本当も嘘もごちゃ混ぜにしたようなことを言った。もちろん、真顔で。


「……そう。私も、桜を待っていたの。」


すると麗人は、まるで取ってつけたような事を言って、もう一度微笑んで見せた。


取ってつけたようなのは僕も同じだが、何故だか僕は、それがとてつもなく気持ち悪かった。


「そうかい。それじゃ、さよなら。」


「ええ。またどこかで。」


僕達は限りなく会釈に近い挨拶を交わして、それぞれの行く先へ歩き出す。


それが、この学校に入学した僕の始まりだった。




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