エピローグ/ネクストステージ(中)

「未来を知っていれば、死の危険を回避することができる。わたしが死ぬ可能性を減らすことができる」


 床に崩れ伏し、痙攣を繰り返す女。

 上気した頬を隠すように俯き、傅く男。

 その中心に在る人間を歪めて固めたオブジェに座るのは、『時計塔』が首魁『肉の魔女』、その成れの果て――あるいは転生体とも言うべき少女だった。

 見た目の幼さに見合わぬ妖しい魅力を有する唇から、鈴のような声が流れ出る。


「私は、ずっと欲しかった。天仙道が独占しつづけていた『未来視』の魔法が」

卜部うらべの魔法……ですが奴らは、母上がわざわざ危険を冒さずとも、既に掌握し終えていたのでは」


 未来視の魔法。

 遠い未来を垣間見るその魔法は、天仙道という魔法結社が最大の勢力を維持し続けることができた理由の一つであり、絶対的な優位を意味する。

 しかし、未来を感覚してしまうその知覚範囲故に、卜部一族の『未来視』たちは、強力すぎる感覚――――肉の魔女によってもたらされた快楽に絡め取られ、精神を隷属させられていた。

 配下の指摘に、『肉の魔女』は出来の悪い子を慈しむような包容力をたたえた笑みで応えた。


「そう思っていたんだけどね。この魔法はそれではダメだったみたい」

「……? それはどういう……」

「『8月31日。世界は終わる』……信じられる?」


 主の突然の問いかけに、男は伏した顔をがばと上げ、高らかに肯定の言葉を口にしようとして、停止した。

 視線を向けられた『肉の魔女』は笑顔のまま小さくうなずくと、再度男に問う。


「じゃあ次。私が今、なんて言ったか答えられる?」


 男は黙り込んだまま、顔面を蒼白く染めていた。額からぞろりと汗が吹き出してくる。

『肉の魔女』はわなわなと震えながらなんとか言葉を絞り出そうとする男に近寄ると、その唇にそっと人差し指を寄せた。

 男の震えが止まる。頬にみるみる血色が戻ってきて、怯えまじりの瞳がとろりと蕩けたように悦楽の色に染まる。


「この通り。未来視で得た情報を他者に伝えることはできない。あなたたちには神の言葉に等しいはずの私の言葉だというのに、信じることはおろか、覚えていることすらできない」


 男の顔を指で撫ぜるように手遊びしながら、『肉の魔女』は言葉を続ける。


「未来視を持っている配下では足りない。私自身が使えるようにならないと。

 だから、卜部の有する『未来視』の魔法使いと直接接触する必要があった」


 男の顔から指を離す。

 名残惜しそうに顔を突き出す男を無視して、『肉の魔女』は先程まで腰掛けていたオブジェの端の頭骨に触れる。


「そうは言っても、天仙道の最終兵器。本来ならば奥深くに潜んだまま出て来ることはない……そんな、出てくることの許されていない卜部の人間を引き摺り出してまでも倒したい、強力で、敵対的な魔法使い」


 かつて生きていた頃、卜部灘と呼ばれていたそれは、悦楽の極みに達した瞬間を切り取られ、脳をまるごと引きずり出され、二度と動き出すことはない。

 彼の脳は、宿る未来視の魔法と共に余すところなく喰らわれた。


「私くらいしかいないでしょう?」

「母上の仰せの通りです」


 最悪の魔法使い、『肉の魔女』に。


「後は簡単なこと――――未来を覗いて、『未来の記憶を持っている』私の複製を、ここに産み出せばいい」


 最悪の魔法使いは、最悪の未来を嬉々として語る。

 配下の男は、突拍子もない主の言葉に、次ぐ言葉をなんとか探し出す。 


「そん、なことが」

「できるよ。人間の記憶が物理的な形で脳に保存されるものである以上、『肉の魔女』たる私の魔法なら、脳細胞の一つに至るまでを組み上げることができる私なら。それくらいのこと、できないはずがない」


 少女のシルエットが細い指を指揮者のようについと振る。

 肉を固めたオブジェ――『人の算盤』から、湿った音と共に肉の管が生える。

 部屋に散在していたオブジェ同士が、肉の管で繋がれていく。


「未来の私は必ずその準備をする。私が未来を覗くことを知って、『設計図』を用意してくれるはず……ほら」


『肉の魔女』の眼の周りの空間が僅かに歪む。

 魔法現象が発生したことを表すエヴェレット収束と呼ばれる空間の歪み。

 余人に視ることのできない何かを視たのだろう。

 魔女の指が手元の頭骨に沈み込む。


「全ての未来を知った私が、『井戸』を巡る戦いを完全に支配する。楽しみだね」


 同時に、肉の管で繋がり、一つの巨大なオブジェと化した『人の算盤』から細い音が徐々に流れ出した。

 算盤の駆動音とでもいうのだろうか。

 少しずつ強く、大きくなっていくその音色は、人の上げる嬌声に、あるいは断末魔の叫びによく似ていた。 

 算盤の一部から肉の瘤が発生し、少しずつ膨れていく。

 果実が熟れていくように。何かが結実しようとしている。


「さあ、おいで」


 爛々と輝く瞳でその様子を見ていた『肉の魔女』。

 その言葉に応えるように、唐突におぞましいコーラスが止まる。

 張り詰めた瘤が内側からの圧に負け、裂ける。

 その中から現れたのは、人の背丈ほどもある大きな白い卵だった。


 目の前の奇跡的な、悪夢的な出来事に、配下の男はただ見入ることしかできない。


 卵に罅が入る。

 ばき、という音と共に、殻を破って腕が生える。

 中から出てきたのは、液体に濡れた浅黒い肌の腕だった。


『肉の魔女』は眉を顰めた。


 腕はべきべきと引き込むようにして器用に殻を砕きながら、穴を広げてゆく。


 この腕は、自分の美意識に合っていない。

 


「あ? 卵の殻? まあ卵殻は確かに生体の物質で作れるだろうけど……人間がこんな卵から生まれるわけねーだろ」


 くぐもった声が響く。

 男の声だった。

 粗野で乱暴な口調。

 ひときわ強い破砕音と共に、卵の殻を脚が突き破った。


「てめーら魔法使いってのは、万事この調子だよなァ。芝居じみてるっつーか……演出過剰っつーか」

「誰だ、貴様は」


 卵の中から身を起こした未知の存在から主を守るように、配下の男は主の前に立ち、誰何した。


「俺を示す名前は失われた」


 明確な敵意を向けられているにも関わらず、生まれたばかりの男は唇の端を持ち上げ、不敵に笑って見せた。


「だから俺はここにいる」

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