第41話 不死の彼女の望むもの(4)

 突如として速度と右腕を失った標識は、転がるようにして腕を抱えると、飛び退った。

 切断面から、血が溢れるのを、震える手で抑え、再び『停止線』で止める。

 そんな標識のことなど目にもくれず、新たな闖入者は右腕と、昏い感情に塗れた視線を肉の魔女に向けていた。


「だれ?」


 先程までの喜びようが嘘のように、魔女は作り物めいた無表情でそう問うた。


「あれは…羽原、アイリ」


 離れた場所から、顕がぽつりと呟いた。


「誰? 誰だって? 忘れたとは言わせない、言わせない! カ、カズくんを、返してもらうわ…!」


 黒い痣が這うように顔を侵す。

 怒りからか口の端を震わせながら、狂気じみた口調でそう叫ぶと、アイリは猛然と魔女の側へと近づいていった。

 魔女は興味なさげに目を逸らすと、ため息を吐いた。


「知らないよ。その辺に転がっているんじゃない?」


 その言葉に、アイリはがばと辺りを見回す。

 頭の横から触手の生えた肉塊が、かつて人間だったものだということに、ようやく気付いたようだった。

 そのうちの一つを見て、電撃に撃たれたように身体を震わせると、アイリは駆け寄った。


 蔵部和馬。

 かつてそう呼ばれていた少年の身体は、小さく折りたたまれた状態で、恍惚の表情で触手を生やし、死んでいた。

 肉体に栄養を供給していた肉の管が、魔女の命令で触手として変じたその時に、彼だったものの生命活動は、停止していたのだった。


「あ、ああ、あああああああああああ」


 肉塊を抱きしめ、穴からこぼれおちるように悲哀の声を漏らすアイリを、肉の魔女は退屈そうに眺めている。


「許さない」


 地獄の底から響くような声で、アイリはそう宣言した。


「私はおまえをゆるさない」

「そう」

 

 震える指で指し示し、怨嗟の言葉を紡ぐアイリを、肉の魔女はまるで相手にしていない。


「邪魔だから、もういなくなっていいよ。ばいばい」

「我が名は羽原空理アイリ! 」


 いつかと同じような、一方的な別れの言葉を投げかけられ、アイリは髪を逆立たせんばかりに声をあげた。


「我が真名、我が生命を賭して! 彼のものを護る全ての魔法よ、去れ!」


 そして、部屋に入ってきた時と同じように、右腕を魔女に向けた。

 静寂が部屋を満たす。

 何も、起こらなかった。

 震える声で、アイリは必死に、問いを紡ぐ。


「な、ぜ。おまえ。おまえは! 肉の魔女! おまえは、永き時を生きる魔女! その身を魔法で補って、辛うじて生きながらえていただけじゃあないのか!」

「違うよ。誰に聞いたかわからないけど、無駄だったね。ご苦労様」

「そんな…」


 絶望と共に、少女の身体は力なく崩れ落ちた。

 顔を蝕む黒い痣が、彼女の身体を蝕み、肉が崩れ落ちた。

 肉の魔女はそれをつまらなそうに一瞥すると、小さく手を叩いて、朗らかに笑った。


「さあ、無粋な横やりが入ったけれど、もう一度やり直そう!」

「焼けて失せろ」


 答えの代わりに飛んできたのは、炎だった。

 肉の魔女。

 その身体は、あっという間に炎に呑まれ、消え失せた。

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