第38話 不死の彼女の望むもの(1)

 悠然とした歩みの先、T字に分かれた道の壁裏に人の気配を感じた月彦は、足を止めて声をかけた。


「僕を待っていてくれたのかい。嬉しいね」

「気配を察知したから待っていたまでだよ」


 声に応じて現れたのは、曲輪木顕。

 空間を支配する結界使いである彼女にとって、魔法的に遮断されていない身内の気配を感じ取ることなど造作もない。

 現れた顕に、ちらと視線をよこして、月彦は呟いた。


「随分苦戦したようだね」

「まさか。軽くひと撫でさ」

「髪のほつれは直せても、涙の跡が消えてない」


 指が一瞬だけ動いてしまったのを、見られたか。

 ゆっくりと眼を細める月彦に、顕は無表情を装った。


「たとえ嵐が来たってこの髪型は崩れないよ。結界で固めてる」

「『嵐が来ても』ね。なるほど、その程度には暴れたわけだ」

「お前の意味のないカマかけに付き合う気になれない程度には疲れているよ」

「敵地の只中、ちょっと緊張を解そうと思っただけなのに」

 

 さも傷ついたと言わんばかりの声色と表情で、月彦はそう言ってみせた。

 顕はそれに応えず、歩きだした。

 月彦がついてくるのを確認して、必要な情報を共有する。


「私の相手は音を媒介した痛覚刺激の魔法を使ってきた」

「ふうん。それで泣いちゃったんだ……ああ、いや。こちらの話」


 射殺すような視線を受けて、月彦は笑みを深めながらそう言った。


「僕のところは何の工夫もない、ありきたりな触手使いだったな」

「触手……肉体操作か」

「あれを肉体って言えるのはズルだよね。なんでもアリじゃないか」

「不可能を可能にする。魔法使いなら当然だ」

「しかし、どちらも『肉体操作』の域を出ない、か。これは肉の魔女も大したことないかもしれないね」


 妙に楽観的な物言いに、顕は眉を顰めた。


「どういうことだ」

「肉の魔女。最強最悪の肉体操作魔法使い。正体も、術式の詳細も、敵対したが最後全て取り込まれてしまうが故にわからない……しかしここにきて、その手の内は大体見えてきた」


 月彦は指を三つ立てた。


「直接接触による洗脳能力があることは周知の事実だ。おそらくは、対象の身体に触れることで、脳を直接弄るような魔法だろう。これも、肉体操作といえば、その通りだ」

「おぞましい話だがね」


 腕を組んでそう口にする顕に、月彦は頷いた。


「それに加えて、音波による痛覚刺激。触手による物理攻撃と、もう三つも種が割れている。その全てが、肉体操作魔法ということで説明できる。つまりまだ隠し球があるとしても、おそらくそれも、肉体操作の域を出まい」

「らしくもない発言だな。その二、三個の隠し球で、全滅することだってあり得るというのに」

「そこはそれ、僕ら二人がいればね」


 そう言って目配せウィンクをする月彦に、顕は冷たい視線を投げかける。


「一人が犠牲になればいい、と?」


 月彦は笑いながら、何かを味わうように何度も頷いた。


「会話ができすぎる相手というのも困りものだね?」

「お前がこういう物言いをするときは、口にしなかったことにこそ真意がある。そうだろう」

「君にわかってもらえて嬉しいよ……さて」


 一本道を進む二人の先、突き当りに一枚の扉があった。

 無骨な鉄のドアには、『コンピュータールーム』と書かれた白いプレートが付いている。


「コンピュータールーム、ね。どう見る、曲輪木」

「単純に考えるなら例のゲームのサーバーが、ここにあると考えていいだろう」

「そう単純にいけば最良だね」

「ただまあ、十中八九罠だろうな」

「その心は?」

「この部屋に来る以外の道が存在しなかった。どうしても我々をここに招待したいんだろうさ」


 顕はしばし口を閉ざし、それから首を振った。


「不可視結界が張られている。外から中を覗けない―知りたければ入ってこい、そういうことだろう」


 月彦はそれを聞いて、懐から扇子を取り出した。


「それじゃあ行くしかない」


 不敵な笑みを絶やすことなく、ドアノブに手をかける。


「さあて、鬼が出るか、蛇が出るか」


 小さく折りたたまれた人間の群れ。

 小学校の体育館ほどの広さの部屋に、何百という数の人間が、隙間なく並べられていた。

 床に伏すようにしている人間達は、痩せ細り、ほとんど筋肉を失いながらも、まだ生きているのが見て取れた。

 忙しない小虫のように動き回る眼球は、何を見ているのか。

 頭の横から生やされた、不気味に拍動する肉の管が、人間同士を繋いでいる。

 その光景と、人間たちの発する熱気と体臭に中てられたように、月彦と顕は身体を硬直させていた。


「どこまでも、趣味の悪い……!」

「実益を兼ねた趣味というべきだろうね。なるほど、これが『コンピューター』」


 笑みを消して、月彦が呟く。


「人間の脳を直列繋ぎで演算機械にする……人間を資源とする、『肉の魔女』らしい考え方だ」

「お気に召したかしら」


 珠を転がすような玲瓏な声。

 刹那の間、警戒を忘れて声に聞き入ってしまっている自分に気がついた二人は、跳ね跳ぶようにして声に向き直り、身構えた。


 いつの間にか、女がいた。


 黒天鵞絨のように深い黒髪に虹の光沢を備え、切れ長の瞳は夜空のように黒く輝き。

 濃桜色の唇からは愛らしくも艶かしい色気が漂っている。

 身体には羽衣と言えば良いのか、ほとんど透けてしまっているような大きな淡い雪色の布一枚を纏い、そこかしこの女性的な膨らみが露わになっている。

 布の隙間から見える肌は吸い込まれるほどに白く、きめ細かい。


「幻術じゃあないね」

「だがまともに見ていると取り込まれるぞ」


 美しい。

 だが、その美しさが、魔術的な効果を備えていることを、顕も月彦も理解していた。

 最大限の警戒をとる二人を前に、女はくすくすと笑いを零した。


「ようこそ、天仙道のお二方。あなたたちを待っていました」

「肉の、魔女」

「そう呼ぶ方もいますね」


 思わずこぼした名前に笑みを向けられて、顕は青褪めた。

 ただ目の前に立たれているだけで、恐ろしい。

 その理由に気付いた。


『ものすごい量の呪詛だな』


 同時に、月彦から、言霊が届く。

 眼前の相手にさえ気取られない、秘密の通信。


『……まともじゃない。あれだけの呪いを一身に受けて、尚、無事でいられるものなのか』

『臆するな曲輪木。ビビったら負けだ』


「ならば話は早い。我々は天仙道の使者だ。貴殿に伝えることがある」


 顕に言霊を飛ばすのと同時に、月彦は肉の魔女に向けて声を発した。


「貴殿ら時計塔の構築している人工霊脈は、社会の、ひいては魔法社会の平穏と安寧を著しく犯すものである。即刻その霊脈を封じ、消散せしむるよう求める」

「ことわる、と言ったらどうなるのかな」


 蕩けるような微笑みとともに、拒絶の意志を示す肉の魔女に、月彦は器用に言霊でため息を吐いた。


『こりゃダメだ。やるしかないか』

「力で押し通る」


 顕はそう言うと同時に、結界の斬撃を放った。

 空間を隔てることで発生する不可視の斬撃。

 律とは違い、顕はそれを、全く動くことなく放つことができる。

 黒の碁石を使うこともなく、腕を振るうこともない。

 ノーモーションで放たれた、必殺の一撃は、


「お母(アキラ)様に、触るなああああああ!」


 顕たちが入ってきたのとは別の扉から現れた影によって防がれた。


「律……!」


 結界による斬撃を唯一防ぎ得るのが、結界による防護。

 結界は、先に存在する結界に割り込むように発生することができないからだ。

 瞬間的に結界の斬撃を放つことのできる律は、顕の斬撃を、剣士がするように、己の結界斬撃で受けた。


もう違う・・・・!」


律の姿を認め、一瞬、動きの鈍った顕を叱咤するように月彦が叫ぶ。

 その言葉に、即座に正気を取り戻した顕は、懐から黒の碁石を四つ取り出す。

 碁石が砕けると、四つの結界が同時に発生する。

 日本刀を媒体に、一つしか結界を発生させることのできない律では、防ぎ切ることはできない同時攻撃。

 律が一撃を払い受ける。

 残り三発の不可視の斬撃を、肉の魔女は、予め知っていた・・・・・・・かのように・・・・・、最小限の動きで躱してのけた。


「いい子。君の魔法は使いやすいね」


 そこに至り、顕と月彦はようやく気付く。

 肉の魔女の傍らに、狛犬のように傅いている、卜部灘の存在に。


「……なるほど。狙いは、卜部だったか」

「狙い? ああ、これ・・のこと?」


 納得したような顕の物言いに、肉の魔女は、片手で卜部の顎を撫ぜながら首を傾げた。


「確かに未来視能力は欲しかったけれど……もっと先まで見通せないなら、なくてもよかったな。一番見込みのある子をよこすように伝えておいたんだけど」

「伝えておいた、だと」


 月彦は目を見開いた。


「誰にだ」

「あの子たち、なんて言ったかな? ほら、天仙道にいるでしょう、この子のお家の人たちだよ」


 顎を撫でられ、恍惚の表情で己が主を見つめる卜部を見下ろしながら、肉の魔女はこともなげにそう言った。


「卜部の本家が、既に取り込まれていたというのか……!」

「ありえない! 私の結界を越えて、肉の魔女が侵入できたはずはない!」

「結界に侵入? そんなことはしてないよ。私はまだ・・・・何もしていない・・・・・・・


 声を荒げた顕に、諭すような柔らかい口調で、魔女が告げる。


「未来が視える。未来を知覚する。だとしたらそれは、いずれこの世界の全てを手に入れる私に、支配される悦びを先に知ってしまうということだよ」


 傲慢極まりない台詞を、ただの事実であるように、淡々と語る。


魅了された自分・・・・・・・を予知してしま・・・・・・・……未来で受けた魅了を、この時間に持ち帰っちゃったんだね。かわいい子たち」

「そん、な」


 理屈の上ではあり得ないこともない。

 しかし、心情が理解できていなかった。

 あり得ないことはあり得ない。

 それが、魔法使いという存在のあり方であると知っているはずの顕でさえも、信じられずにいた。

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