第37話 最愛の子供と繋がる絆(7)

「……時計塔では、ないな。どこの魔法屋だ?」


 標識と律による僅か十数秒の戦闘を黙って見ていた神一は、標識に向けて油断なく言葉の刃を向けた。

 標識は神一に向けて肩を竦めてみせる。


「命を助けられといてその態度。随分と不遜だな、天仙道」

「あんたは僕に借りがあるはずだ。さっき僕が叫ばなきゃ、腕の代わりに落ちていたのはあんたの首だ」

「あんな言葉一つで恩を売るつもりか…いや待て」


 標識は眉を顰め、宙空から新たな白棒を取り出した。

 その先には黄色い四角に感嘆符のマークの描かれた、『その他注意』の交通標識が付いている。

 槍のように構えたそれを、標識は神一の鼻先に突きつける。


「天仙道の言霊使い、ということは、『朽網』か」

「……敵対の意思はない」


 言霊を使う前に、物理的に排除されては話にならない。

 目の前に居るのが相当に『使う』魔法使いであることを改めて認識し、神一は両手をゆっくりと上げた。


「僕を助けたということは、交渉の余地があるとみた。そちらの要望を聞く」

「交渉したい事などない」

「ならば何故僕を助けた」


 正面からそう尋ねる神一に、標識は返す言葉を探すように視線を彷徨わせた。

 戦力差は歴然。

 それでも、会話の主導権は握らせない。

 それは、言霊使いの意地にかけて。

 決意のこもった神一の言葉はしかし、


「理由なんざねえよ。どっか行け」


 誰もいないはずの宙から響く声に遮られた。


「なっ、『隠形』!?」

「おい、出てくんなよ!」


 宙空からの声に驚く神一と、嗜めるように声を荒げた標識の前に、炎が一瞬瞬いて消えた。

 そこに、男がいた。

 灰色の髪に、灰色の服を着た、灰色づくめの男だった。

 くすんだ色彩の、妙に存在感の薄い身体に、燃え上がり、射殺すような眼だけが不似合いな男。

 なぜか、灯油を入れるようなポリタンクを片手に下げている。

『焼失』の魔法使い。

 その周りに、仄かな燐光が明滅しながら舞い続けている。


「息止めろ標識。この辺一帯、碌でもねえもんだらけだぞ」

「……魔法の気配はしないが」

「別口だよ。薬だのガスだの、なんでもあんだろ。『害があるもの』に反応して火が熾きてる」

「『怠惰レサジー』」


 焼失の言葉を聞いて、神一が言葉を漏らした。


「先程の戦闘中、突然動けなくなった…否、『動きたくなく』させられた。時計塔の奴らが空気中に何かを散布していたということだろう」


 そして、口元を歪める。


「という情報を、先の戦いの対価として支払う。これで貸し借りなしだ」


 嘲りのニュアンスを目一杯込めて、焼失はほっ、と息を吐いた。


「バカかこいつ? なんでてめえの下らねェ独り言が命の恩と釣り合うんだよ」

「情報は価値だ。そうだろう? 炎使い。まあ、猫に小判とは言ったものだが」


 売り言葉に買い言葉、神一の皮肉を聞いた焼失の、ただでさえ鋭い眼が、更に鋭さを増す。


「誰が猫だ、あぁ?」

「やめろ」


 神一に凄んでみせる焼失の視界を遮るようにして、標識が前に立った。


「あー、『情報は価値だ』。その通り。『だがそれでは足りない。質問させてもらおう』」


 そして、まるで下手くそな役者が、自分の台詞を思い出せずに、後ろで誰かに小声で教えてもらっているような口調で尋ねる。

 不自然さに僅かに眉をひそめながら、神一は頷いた。

 標識はそれを気にせず、床に倒れ伏している律を指差した。


「そこで倒れてる結界使いは、天仙道か?」

「元は。三流以下のだが……腹に触手が食いついた途端、『肉の魔女』の人形に堕した」

「触手……『肉体操作』。存在しない器官でさえ、『肉体』の一部として操作でき」


 標識は何かを確かめるかのように独り言を漏らすと、唐突に、まるで外部から音をぶつ切りにされたように黙り込み、宙を眺め始めた。

 その様子を胡乱げに見ていた神一から、目をそらさせようとするかのように、焼失が再びかみついた。


「やけに口が回るな。情報は取引に使うんじゃなかったのか」

「おたくらが油断して人形になったら僕は即死だ。自分の命を守るための情報は共有する」


 茶々を入れた焼失に、神一は薄い笑みで応じた。

 焼失は鼻を鳴らし、片手に下げたポリタンクを揺する。


「炎使いが油を切らすわけねえだろ」

「分かりづらいレトリックだね」

「ああ?」


 焼失の周りに舞っていた火の粉が、ごうと音を立ててその量を増す。

 明らかに視認できるほどの空間の歪み、強大なエヴェレット収束。

 神一は内心の動揺を隠すように、静かに筆を構えた。


「助けたり脅したり、一貫性のない連中だ」

「やめろ、焼失」


 標識は制するように、交通標識を焼失に向けた。

 焼失は答えない。

 緊迫した空気。

 それを破ったのは、強か打ち付けられ、意識を失っていたはずの律だった。

 ゼンマイ仕掛けのおもちゃのように突如として跳ね起きると、脇目も振らずに走り出す。

 標識たちがやってきた方とは逆―深部に向けて。

 後ろ髪をはためかせ、明らかに人間を超えた速度で走る律は、あっという間に視界から消えていった。


「な」


 反応し、声を漏らした神一は、目の前の炎使いが味方に向けて大きな炎を放ったのを見て、さらに大きな声を上げる。


「なああ!?」

「世話ァ焼かすな」


 炎は一瞬で消えてなくなり、中からは焦げ跡一つない標識が現れた。


「何か焼いたのか」


 炎の中から現れたのに、今起こったことに気づいてさえいないような物言いをする標識に、神一は声を失った。


「精神操作だ。浮つかされてたぞ」

「ああ、そうか。悪かった」

「何やってる、逃げられたぞ!」


 驚愕をごまかすように、神一は律が消えた方を指差す。


「は。たぬき寝入りを起こすためにわざわざ下手な芝居打ってやったんだ、逃げて貰わなきゃ困る」


 神一の声に、煩わしそうに手を振って応えると、焼失はのんびりとした足取りで、地下の奥へと歩き始めた。

 まるで堪えた様子のないその背に、さらに神一が言葉を投げかける。


「……人形を逃したんだ、奥で罠を張られるぞ」

「罠ァ?」


 焼失は大仰に振り返ると、喉を鳴らすようにして笑う。


「敵の本拠に乗り込んでんだ、罠の一つ二つ、越えられなきゃあ話にならん。実戦経験が足らんな、ガキ」

「……そんな精神論。わざわざ無駄なリスクを背負う意味があるのか」

「どう思う? 標識」


 突然水を向けられた標識は、それでも淀むこと無く、


「俺が受けて、お前が全部焼けばいい」


 そう答えた。


「そうだな。それで行こう」


 神一は、歩き始める二人を、しばし呆然と眺めていた。

 言霊使いだからこそわかる、言葉の真意。

 今のやりとりには、衒いも自惚れも、存在していなかった。

 万全に構えた時計塔―肉の魔女相手に、身構える素振りがまるでない。

 ただただ冷え切った、事実の確認といった様子だった。


「(ここまで強力な魔法使いを、卜部を擁する天仙道がマークできていないということがあり得るのか)」


 それはつまり、天仙道全てを出し抜けるほどの魔法使いということ。

 神一はそっと大きく息を吐いて、それから笑みを浮かべた。


「……僕も行くか」


 敬愛する月彦ならば。

 その程度の事に臆して歩みを止めることは、ありえないから。

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