第36話 最愛の子供と繋がる絆(6)

「魔法具というものは、何だって構わない。自分に相応しいと思えるものなら、何だって」


 顕は、眉をハの字に歪め、頬に手を当てながらそう言った。

 そして、その前に座っている律は、顕とは対照的に鼻息荒く喜びの色を隠さないでいた。

 明らかに顕の話など聞いていない。それでも、顕は一応、説明することにした。


「私が碁石を使っているのは、結界が陣取りに似ているから、というイメージ上の類似からだ。魔法によっては近しい概念を表す道具を使うとより発動が楽になる、というものもあるからね。でもね、だからってわざわざ、そんな嵩張って重たいものを選ばなくてもいいんだよ、律」


 律は結界を用いた斬撃の練習として、『切断』の概念を持つ道具……顕から借り受けていた日本刀を、両手で抱きかかえるようにして、何度も首を横に振った。


「いいえ、アキラ様。リツは、これがいいです! これが、リツに一番相応しい道具です!」


 必死にそう、訴える。

 刀というものは、斬るための道具だ。

 それだけのために生み出され、それしかできない。

『それがいい』と、律は思った。

 ただ一つ。

 瞬間的に結界を生成することで、ものを斬るしかできない自分に、ふさわしいと。

 そう思った。


「……私ももっと考えて渡すべきだったね。まあいいさ。刀を持って斬撃を放つ魔法使い―――結界術だとバレるまで、一手稼げるかもしれないし」


 そう言って顕はため息をついて、刀を正式に律に譲り渡すことにしたのだった。




 果たしてその偽装は、効果を発揮していた―――万書館最強の戦闘用魔法使い、『標識』に対して。

 刀による物理的な攻撃を模倣した、結界による斬撃。

『内と外』を分ける結界術という魔法、その術理から言えば、それは切断というよりは、剥離に等しい。

 どんな剣豪よりも滑らかに斬り離す。

 発動は一瞬。

 故に、あらゆる魔法を放たれてから感知できる『標識』の特異な才をもってしても、事前に気付くことは不可能。

 切断されてようやく、標識は、自分の腕を斬ったのが、刀でなく結界であることを理解した。

 そして、返す刀を避けるより早く、


「手ェ出すな、郵便屋!!!」


 叫んだ。

 斬り上げの一閃を、標識は弾けるような勢いで後ろに跳んで回避する。

 その腕が、落ちていない。

 確かに切断されたはずの腕は、重力に引かれて地面に落ちることなく、あるべき所に収まったままであった。


「あれ……?」


 刀を構え直す律は、その構えとは裏腹に、気の抜けた声をあげた。


「なんで、斬れてないですか? リツは、リツが、斬ったのに」

『うわ、えっげつなー! 結界斬撃?! 刀関係ないじゃん』


 声変わり前の高い声は、律には届いていない。

 情報を司る魔法使い、『郵便屋』は、自分の声を『郵便』のように送りつけていた。


「『停止線』―――おい郵便屋! 手ェ出すなっつったろ!」


 宙に向かって声を荒げる標識。

 その左手が、切断された右腕を押さえるように掴んでいる。

 よく見れば、その腕に、太く白い線が描かれているのが見えた。

 怒鳴る標識に対して、郵便屋はご丁寧に鼻で笑う空気を標識に送りつけてきた。


『はァ? 出すに決まってんじゃん。標識が動けなくなったらウチは焼失まで失いかねないんだよ? リスク考えたらここは僕が痛みを処理すんのが正解なの』


 痛みというのは、末梢部から脳に向けて発せられるシグナルが伝達されることによって感じられるものである。

 ならば、伝達される情報を、『郵便屋』が差し押さえてしまえば。

 標識は痛みを感じず、戦闘機動に集中できる。

 それが、標識には許容できなかった。


『今のは俺のミスだ。俺のミスで、お前が痛むことはない』

『そうだね。今後三ヶ月、僕に毎日プリンを貢ぐように』


 郵便屋はすげなくそう答えて、返事を打ち切った。

 話し合う余地はない。

 そういう意思表示であった。


「『郵便屋』、ですか? 変な名前です。そいつが律の斬った腕を、継いだですか? ゆるせ、ない」


 叫ぶ標識の言葉から、状況を推量しながら、不規則に身体を揺らす律。

 その身体が、消えた。

 否、それは消えて見えるほどの高速移動。

 速いのではなく早い。

 静止状態から最高速度に移行するまでが、早い。

 だから視界に捉え直した時には既に遅く、這うような低い姿勢で接近した律の剣撃は、逆袈裟の軌道を描いて標識に迫って―――


「『最徐行』」


 唐突に、その動きが止まった。

 止まってはいない。

 スローモーション再生のように、ごくゆっくりと進んではいるものの、それだけだった。

 標識は軽く地面を蹴って、二歩ほどの距離を空けた。


「その荒い術式じゃあ、お前が『斬撃』を作れるのは精々2mって所だな」


 そう言ったのとほぼ同時に、標識の爪先の床が斬れた。

 律の目が、ゆっくりと驚愕に見開かれる。

 紙一重の見切り。

 たった一度、ほんの一瞬の結界展開で、標識は律の魔法の性質と射程を完璧に見切っていた。


「大当たりだな」


 標識がいつの間にか右腕に持っていた白棒には、丸に60の文字の描かれた交通標識が付いている。

 標識はそっと放るようにしてそれを投げた。

 その軽い動きとは裏腹に、交通標識は時速60km/hですっ飛び、未だ前傾姿勢のままゆっくりと逆袈裟に斬り上げる体勢でいた律の顔に直撃した。

 骨の折れる鈍い音の一瞬後には、律は縦回転するように後頭部を床に打ち付けて、仰向けに倒れた。

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