第33話 最愛の子供と繋がる絆(3)

「これでお前達は動けねェ」


 奉野の勝ち誇ったような宣言に、歩き出そうとしていた憂暮が足を止めた。


「……酷いなあ。母上様を慕う者同士、私たちは味方でしょう。なぜ私にまで攻性魔法を向けるんです」

「黙れよ雑魚っぱ。あの方に愛されるのは俺だけでいい……!」

「『呪詛』の奉野……面倒だなあ。まったく、母上様も節操のない」


 どこか熱に浮かされたような表情で、憂暮への敵意を剥き出しにする逆巻と、やる気なさげに愚痴をこぼす憂暮と名乗った男を、神一は仰向けのまま冷静に観察していた。


「う、うう……動けない……なんで……? 身体が、重い……」


『転倒』の呪いではないものの、何らかの魔法で無力化された律は、ぬいぐるみのように手足を投げ出して、座り込んでぶつぶつとつぶやいている。


(敵に操られる呪詛使いに、暴れられない狂戦士……無能のお守りは大変だな)


 血の臭気が酷い。

 まともな仲間は存在しない。

 神一は心の中で舌打ちをし、それから、そんな事はおくびにも出さず、微笑を浮かべた。

 神一が敬愛してやまない、天仙道最強の言霊使い、朽網月彦ならば。

 この程度の苦難で、笑みを絶やすことはあり得ないから。


「偉そうに勝ったつもりでいるようだが、気付かないのか?」


 虚勢で良い。

 偽りこそが言霊使いの真骨頂。

 そうと気づかれなければ、それは真実となる。

 自信に満ちたように響く神一の言葉に、逆巻は視線を下ろした。


「あん?」

僕の描いた文字・・・・・・・まだ生きてる・・・・・・


 逆巻の視界の端で、宙に描かれた文字が輝く。

 つられるようにして文字に向き直った逆巻は、一瞬遅れて気付く。


「……ッ、『唆しインタイス』!」

「正解」


 仰向けに伏したまま、笑みを浮かべる神一の右手は、床に『光』の文字を描いていた。

 それはただ、任意の場所を光らせる魔法でしかない。

 逆巻は、ただの光に騙されて、ついあらぬ方向を見てしまった。

 言葉にすればそれだけのことだが、言霊使いを相手にする場合、それだけでは済まない。

 言霊使いによる言葉に騙され、行動を動かされてしまったという事実が。

 まんまと騙されてしまったという負い目が。

 次の言霊に逆らうことを、許さない。

 慌てて神一を見てしまった逆巻の目に、早回しされた動画のように不自然なほど素早く、神一の右手が動くのが映る。

 描かれた文字は、『睡』。

 神一の描いた文字が目に入ると、逆巻はそのまま、板切れのようにその場に盛大に倒れこんでしまった。


「そのまま寝てろ」


 神一は続けて『解』の字を自分の腹に書く。

 何も起こらないことに、僅かに眉を上げた。


(……『転倒』の呪い。なるほど。奉野を僕が『転ばせた』ことで解呪の条件を満たしていたか)


 そう納得して、神一は一気に立ち上がると、憂暮に向けて不敵な笑みを浮かべてみせる。


「これで後はお前だけだな」

「……何を勝ち誇っているのやら。ただ、間抜けな同士討ちが終わっただけだというのに」

「『転倒』の呪い。警戒してるな、時計塔の。後は動けないお前を、僕が一方的に嬲るだけだ」


 そう言って、筆を見せつけるように構える。

 憂暮は眉を寄せ、首を傾げた。


「おかしいな……そろそろ効いてくる筈なんですがね」


 その唇が、いびつに歪む。


「何を……!」


 そこで初めて気付く。

 自分の両腕が、鉛のように重くなっていることを。


(バカな……奉野の呪いにこそ不発だったが、『解』の字を使ってるんだぞ!? 何故魔法が作動する……!)


「ああ、ようやく効いてきましたか。どうも個人差があって、面倒ですね」


 不服そうにそうこぼす憂暮は、立ち尽くしたまままるで隙だらけであった。

 それなのに、どうしても動けない。

 否、動きたくないと思わされている。


「とはいえ、これでは千日手ですね……困ったな」


 そう言うと、憂暮は左手を服の下に入れ、もぞもぞと腹の辺りを撫で始めた。

 その表情が、みるみるうちに蕩けてゆく。


「母上様……はい。呪詛で動けなくて。えへ。ええ。ですが私も止めて……えっ?」


 心の底から幸福そうな、緩みきった声をあげていた憂暮は、突然がたがたと震え出し、右手で自分の肩を搔き抱いた。


「そ、それは……私に、母上様の、ことを、捨てろと……? いやだ、やだぁ……すてないで……やだ……」


 理性をまるで感じさせない、幼児のような声色に、神一は背筋が凍るような思いを感じた。


「というか、気持ち悪……」

「……断腸の想いだ」


 突然。

 今までとは別人のように、理性を取り戻した声で、憂暮はそう呟いた。

 歯を嫌という程食いしばり、紅く染まった顔面は、今にも泣き出しそうな表情を浮かべている。


「許さないぞ、天仙道……母上様の命令とはいえ、私に、母上様との絆を自ら捨てさせるなんて。許さない。絶対にゆるさない」


 その言葉に込められた怨念とも言えるような強烈な負の思念を感じてしまったのは、神一が言霊使いであったからか。

 何か恐ろしいことが起ころうとしている。

 それでも、あるいは、それ故に。

 神一の身体は重く、動かない。


「ああ、酷い。酷いなあ。母上様。でも、この後、たくさん褒めてくれると言ってた。私は、あなたに、従います」


 その言葉と同時に、憂暮の腹から、ぼたりと何かが落ちた。

 蛇のように床を這って進むそれは、神一の横を通り過ぎて一目散に律に向かい、シャツの中に潜り込んだ。


「や、やあ! なんです、これ、や、やだ! やあ、ああ!!!!」


 悲鳴を上げた律は、しかし依然として手足を動かすことさえ出来ない様子で、もぞもぞと身悶えしていたが、やがて、


「あ、あン、や、やだ、あ……………………あは♡」


 艶かしい声と共に、立ち上がった。

 シャツを捲り上げ、自分の腹を見る律。

 その臍には、先ほど襲いかかった、肉の蛇が癒着していた。

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