第32話 最愛の子供と繋がる絆(2)

「随分と強力な結界だな……時計塔とはいえ、腐っても本部ということか?」


 古部市自然公園の外れ、時計塔の入り口に、二人の男が立っていた。

 短髪に刈り込んだ頭をした、彫りの深い顔の男が、手に持った白い棒で閉ざされた正面玄関の自動扉をごつごつと雑に叩いている。

 灰色のシャツに灰色の髪をした男は、その言葉に答えることなく、扉を乱暴に殴りつけた。

 がきん、という扉らしからぬ音を立てて弾かれた手を、ぶらぶらと振る。


「こりゃ時計塔の仕業じゃねえな。『碁盤』かその直系レベルだぜ」

「何やってんだお前。殴って開くわけないだろ」

「開いたら楽なのにな」


 そう言って、足元に置いてあったポリタンクを開き、玄関の扉に勢いよく液体をかける。


「消えろ」


 灰色の男が呟くと、ぼん、という鈍い爆発音と、閃光と共に炎が一瞬だけ上がり、消え去った。

 扉には何の焦げ跡もついていなかったが、自動扉は今まで閉ざされていたのが不思議なくらい滑らかに開いた。


「行こう」


 端的にそれだけ告げて、灰色の男はポリタンクを片手に下げ、扉を開けて中に入った。

 長身の男は何も言わずそれに続き、扉が閉まる際、入り口の床に白い棒を突き刺していった。

 棒の先には、交通標識が付いている。

 白地の上に、赤の二重丸が描かれており、内側の円の中にはバツ印と青い『通行止』の文字。

 あらゆるものの立ち入りを禁止する、通行止めの交通標識であった。




「ああ、もうキリがない!」


 長く伸びた廊下の向こうから、新たに四人の端末が駆けてきて、朽網神一は苛立ちを隠さずにそう毒づいた。

 純白だった彼の服は飛び散った血飛沫でまだらに紅黒く染まっている。

 神一の血ではない。

 それは、端末人間達の血液だった。


「来るです来るです来るです……ほいさぁっ!」


 間抜けな掛け声からは想像もできぬ速度で、突進してくる端末たちに突進しかえすのは、曲輪木律であった。

 すれ違いざま、横薙ぎに乱暴に振るわれた日本刀が、冗談のようにやすやすと、端末たちを二つ斬りにする。

 突進の勢いのまま、溢れ出た血が辺りに飛び散る。

 神一は袖で顔を覆い、汚れるのを防いだ。


「おまえも! 少しは後始末を考えろ、曲輪木!」

「まあまあ。楽でいいじゃねェの」

「楽なものか、こんな、気持ちの悪い……うっ」


 気楽に笑う奉野逆巻に言い返そうとして、血と、肉と、臓物の臭いを吸い込んでしまい、神一は吐き気を堪えて口を閉ざした。

 既に二十かそこらの死体がそこらに転がっているのに、端末たちは臆することなく向かってくる。

 死を恐れないという精神性。

 端末人間たちの、その異形と言ってもいい精神構造も、気持ちの悪い、悍ましいもののように思えた。


「うーん! リツ、大活躍ですか? アキラ様に褒めてもらえるですか?」


 血に濡れた刀を拭う事もせず鞘に収め、嬉しそうに飛び回る律の高い声が、神一の頭にガンガンと響いた。


「本当に……こいつら、無駄だということがなぜわからないんだ!」

「思考能力が奪われてるから『端末』呼ばわりされてんじゃなかったっけか? 言霊使いらしくねェな、きみ」

「五月蝿いな! そんなことはわかっている!」

「……ああ、ああ。酷いなあ」


 ヒステリックに叫んでいた神一と、笑っていた逆巻が、突然響いた陰気な声の方を振り返る。

 そこには妙に肌の白い、細身の男がいつの間にか立っていた。

 長い髪の先をくるくると玩びながら、男は辺りを見回し、ため息をつく。


「こんなに汚しちゃって……酷いなあ。だいたい、人の家に入り込んで、中の人を殺しまくるって、あなた方どういう教育してるんですか? 犯罪ですよ、犯罪」

「曲輪木! こいつも敵だ! 斬れ!!」

「う、うう……リツ、なんか……動けねーです」


 神一が律を振り返ると、律は刀を置いて、壁に背を持たれかけて座り込んでいた。


「こいつ……酷いなあ。こんな私でも『愛し子』ですから。名前があるんですよ。母上様から直々にいただいた『憂暮ゆうぐれ』という名前がね……覚えなくてもいいですけど。どうせすぐに、何もしたくなくなる」


 憂暮と名乗った男は、淡々とそう告げると、構えるでもなくただ立ち尽くしていた。

 その左手は、何かを確かめるように自分の腹を撫ぜている。


「曲輪木! 曲輪木! クソ、全く……肝心の時に使えない!」


 神一は、動かぬ律に舌打ちすると、懐から大きな筆を取り出し、構えた。


「奉野! 行くぞ!」

「あいよォ」


 逆巻はへらへらと笑いながら、神一の隣に立ち、身構えた。


(一度転ばせられればそれでいいんだな?)


 口には出さず、言霊使いにのみ行使できる念話を通して、神一は逆巻にそう尋ねる。

 逆巻は小さく頷いてみせた。

 神一はそれを横目で確認すると、ただ立ち尽くしている憂暮を見た。


「見せてやる―――天仙道の言霊使いの戦い方を」


 神一が筆を宙に滑らせると、その軌跡が文字となって宙に残る。

 車偏に云。

 象られたその文字は。


「『転べ』!」

「おめェがな」


 神一が叫ぶのとほぼ同時に、横に立っていた逆巻が、後ろ回し蹴りを神一に放ち、転ばしていた。


「なッ」

「『拡大エンハンス』」


 仰向けに倒れた神一に、突き刺すように指を突きつけた奉野は、笑みを浮かべていた。

 我ここにあらずと言ったような、惚けた笑みを。

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