第28話 世界の終りの前哨戦(7)

「待て。まだ向こう側の情報がない」

「だからさ、開ければいいんだよこんなもの。どうせ端末人間が群れなして待ってるだけなんだから」


 朽網月彦と卜部灘、沼園禊は、廊下の先に、防火シャッターが降りているところにたどり着き、それを開けるかどうかで揉めていた。


「慎重を期すべきだと言っている。卜部に万が一があったら困る」

「その卜部サマは何も文句を言っていないけど? 何かあったらすぐ『ボクを守れ』とか言うだろう。言い出さないってことは無事ってことさ」


 朽網は投げやりな調子でそう言うと、大きな欠伸をした。


「あまりボクの魔法を過信してもらっちゃ困る。ボクの未来視は、遠い未来を見通すのには向いてない。目先の最善を追い続けることは可能だが、大局を見誤ることはあり得るのだから」

「おいおい、あり得るのだから、じゃないぞそれは。何でもっと早くにそれを言わないんだ!」


 朽網が焦ったように大声を出す。


 その会話を、聞いている女がいた。

 時計塔の端末人間は皆、左右対称の整った顔立ちをしているが、女の左眼の下には、右にはない小さな黒子が二つ、横に並んでいる。

 ちょうど耳を隠すくらいの長さの髪の下には、胸ポケットから白いコードが伸びている。

 時計塔地下のあらゆる壁に仕込まれた集音マイク。

 それが、三人の会話を拾っているのだった。


「(結界使い―――『曲輪木顕』が居る間は、完璧な遮音結界が張られていて聞こえなかったが。どうやらこの三人は、結界使いが腐心して音声を遮断していた事にさえ気づいていないらしい。敵地で自分の魔法についてベラベラとよく喋る……雑魚そのものだ)」


 女は左手で自分の腹を撫でた。

 視線は防火シャッターに向けたまま、舌なめずりをする。


「ふふ。三人も倒したら、母上は私を褒めて下さるだろうか……」

「無理じゃないかな」


 唐突に耳元で囁かれ、女は瞬間的に反応する。

 首を回し、そこに和服の男の姿を確認。

 腕を裏拳のように振り回す。

 空を切る感触。

 だが、それは次の攻撃の予備動作にすぎない。

 そのままの勢いで回転し、ソバットのような回し蹴りを放つ。

 男は既に、脚の届くところにはおらず、その蹴りは空を切った。

 蹴りを躱した事に気を良くしたのか、にやにやとした表情を貼り付けている。

 だが・・これでさえ次の・・・・・・・攻撃の予備動作に・・・・・・・すぎない・・・・

 そのままの勢いで回転する女は、完全に男に向かって背を向けた。

 その背中が、爆ぜた。


「(くらえ!)」


 破れた服の向こう側から、隆起する肉色の鞭。

 鞭は飛びかかる蛇のように一瞬で伸びる。

 弧を描いて迫る鞭は、男に命中し、


「はずれ」


 鞭が当たった瞬間、男の姿がかき消えた。

 代わりに、紙でできた小さな人形が現れ、鞭によって二つに切り裂かれる。


「どこ狙ってるんだい。僕はこっちだよ」


 声のする方向に振り向くと、

 部屋の端の、黒くぼやけた霧のようになっている空間。

 その端を守るようにして、和服の男―――朽網月彦が立っていた。


「どうやって」

「まさか本気で僕らが揉めてると思った? 敵地の只中で? 君程度の魔法使いを恐れて、二の足を踏んでいるのだと、本当に思った?」


 疑問を零した女の言葉を遮るようにして、朽網は質問の形で女を詰る。

 感情を逆撫でするような物言いに加え、元から細い目をさらに細めてわざとらしくため息を吐いてみせる。

 そして、女の耳のイヤホンを、右手に持った扇子で鋭く指し示した。


「盗聴。相手に先んじて情報を得られれば、優位に立てていると思ってしまうよね? でも、僕に言わせりゃそれは、自分からすすんで毒を飲んでいるに等しい」

「言霊使い……『朽網』か!」

「いかにも。天仙道所属、朽網月彦だ」


 朽網は大袈裟に、深々と礼をしてみせた。

 人外の速度で動くことのできる、時計塔の端末人間を相手にして、視線を外すことは致命的ですらある。

 にも関わらず、視線を切ってみせるのは、余裕か、誘いか、それとも驕りか。

 衝動的に飛びかかりそうになる自分を抑え、女は左手を服の中に入れて、臍のあたりでもぞもぞと動かした。

 一瞬だけ。目を瞑り、息を吸って、吐く。

 そして目を開き、目線だけで状況を把握する。

 見れば、防火シャッターはいつの間にか完全に開け放たれていた。

 いつの間に、幻術にかかっていたのか。

 わからない。

 だが、幻術が来るとわかっているのなら、対処は容易い。


「時計塔所属。『愛し子』。母上から賜った名は葛葉よ」

「へえ。葛葉、ねえ。そりゃあアレだろ、妖狐の名前だ。君の背中の可愛い尻尾……もしかして九本あったりするとか?」


 その質問に、葛葉が言葉を詰まらせる。

 朽網は笑みを深くする。


「わかりやすいな。やはり、時計塔には言語センスのある奴がいない」

「……お喋りは終わりだ、言霊使い!」


 貼り付けたようなにやにや笑いを止めない朽網を睨みつけて、葛葉は背中から細い肉の触手を二本生やすと、躊躇いなく自分の耳に突き立てた。

 赤い血が垂れ、床に染みを作る。

 その目は怒りに塗れていた。


「これで貴様の言葉は私に届かない。私の前で、母上を侮辱したこと……後悔させてやるぞ!」

「わあ、痛そう」


 怒気を隠そうともしない葛葉を前に、朽網はあくまでもふざけた調子を崩さぬまま対峙していた。


「後ろの二人は隠れたまんまやる気無さそうだし……仕方ないなあ、やるしかない」


 口調は嫌々ながら、しかしその眼に子供じみた喜色を浮かべた朽網は、筆を持つようにして扇子を構えた。

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