第27話 世界の終りの前哨戦(6)

「それで? どうして曲輪木を孤立させたのか、教えてくれないかい」


 分かれ道をしばらく行って。

 明日の献立でも尋ねるような気軽さで、朽網は卜部に問いかけた。

 卜部は相変わらず、表情を変えずに答える。


「……朽網月彦とは出来る限り話すなと言われている。取り込まれでもしたら大変だ」

「はは。まさか。未来を知ることのできる君が、どうしてそれを避けられない?」

「認識を書き換える。言霊使いの魔法は、我々の天敵だ。虚実を逆転させ、見えていると思っていたものが全て偽りのもの―――ボクの視ている未来が、あなたによって造られたものでない保証はない。それくらいのことは、あなたならできると聞いている」

「お勉強熱心だね」


 朽網は、自分から話しかけておきながら、興味なさそうに欠伸をした。


「勉強熱心な、お犬様。卜部本家の飼い犬そのものだ。退屈だなあ君は。曲輪木を孤立させたのも、どうせあの偏屈じじいの策だろう」


 その振る舞いと言い様に苛立ったのか、卜部の眉が少し寄った。


「勘違いしていないか。やったのはボクじゃない。時計塔の魔法使いだ」

「でも、そう分割されるよう、状況を操作したろう」

「ボクを守るのが君たちの役目だ」


 前も見ずに、卜部の表情を見つめていた朽網は、貼り付けたにやにや笑いを止め、目を細めた。


「その『君たち』に僕は入ってないけど」

「だが、曲輪木はそうした」

「……あれは生真面目だからね」


 朽網はそう言って、大袈裟に肩を落としてみせた。


「何度外れクジを引かされても、余裕で乗り越える力があるのがタチが悪い。時計塔の手駒一つで落ちるようなタマじゃないよ、あれは。曲輪木を……否。曲輪木顕を敵に回したこと、いずれ後悔する日が来るぞ、卜部よ」




 集団と分断され、孤立した曲輪木は一人廊下を走っていた。

 注意深く見れば、その足が僅かに床から浮いた空間を蹴って走っていることが見て取れたかもしれない。

 瞬時に小規模な結界を形成し、その上を踏む。

 床面に設置された罠を警戒してのことだったが、


「(何もない、か)」


 端末の一人に出会うことさえなく、廊下を閉ざす防火シャッターの前までやってきていた。


「結界使ってまで隠蔽かけるんだ。鬼が出るか蛇が出るか……」


 シャッターの傍のボタンを押すと、意外にも、シャッターは素直に上がった。

 曲輪木は散歩するように軽い足取りで、中へと歩みを進める。

 かち、かちと、時計の振り子のような音が響く、広いドームのようになった空間に、男が一人しゃがみ込んでいた。


「あァ、来たか。母上様に、仇なす、魔法使い」

「逆だろう。そっちが仇なしてるんだ」


 男はゆっくりと立ち上がる。

 手足が長い、というのが最初の感想だった。

 肉の魔女の端末人間特有の、左右対称の整った顔立ち。

 しかし、その背丈は針金のように長い。

 平均的な女性よりやや高め程度の身長しかない曲輪木とは、頭二つぶんほども身長差があった。


「女か」


 男の粘つくような視線を断ち切るように、曲輪木は鋭く横に手を振る。

 指先には、黒の碁石。

 男は膝の力を抜き、糸の切れた操り人形のようにその場に伏せた。

 ぞ、と沈み込むような音と共に、遠く向こう側の壁が抉れる。


「結界使い……『曲輪木』だな」

「名を知られているとは光栄だね。天仙道所属、曲輪木顕」

「時計塔、所属。『愛し子』。苦慈、だ」


 名乗りが終わったと同時に、苦慈と名乗った男は、一瞬で十歩の間合いを詰めていた。

 静止状態から最高速度へと偏移する身体操術。

 見るものが見れば、それは。

 街外れの小さな道場、蔵部流の奥義『黒白』と呼ばれるものだったと気づけたかもしれない。


 超絶の加速により一瞬で間合いを詰めた苦慈は、速度を緩めることなく右手で貫手を放つ。

 驚異的な速度、その運動エネルギーが余すところなく乗った最速の一撃。

 人間の反応速度の限界を超えたその攻撃は、しかし。

 曲輪木の身体に触れる前に、透明な何かにぶつかって、その運動エネルギーをもって自分の身体を激しく損壊した。

 苦慈は、攻撃が失敗したと見るや、動画を逆再生したかのようなスピードで、曲輪木から距離を取った。


「『愛し子』ね。聞いたことはないが……所詮は『肉の魔女』の改造人間だろう。物理攻撃では私に傷つけることはおろか、触ることさえできないよ」

「ひ、ヒャハ、ハ。いい、な。その面」


 無惨にひしゃげた右手をぶら下げる苦慈は、しかし痛みなどまるで無いかのように、笑う。

 左手で、腹の辺りを抑えるようにして。

 我慢できない、といった様子で。


「その、お高く止まった、顔が。歪む所が、見」


 曲輪木が駆ける。

 その右手に黒の碁石を三つ。

 その左手に白の碁石を一つ。

 左に飛び退ろうとした苦慈が、宙に現れた見えない壁に阻まれる。

 そして、右腕がしなる。

 距離も硬度も無視する、空間そのものを切り裂く結界の斬撃が、放たれようとして、


「ぐ、くあああああッ!?」


 唐突な右腕の激痛によって遮られた。

 碁石を取り落とし、慌てて距離を取る曲輪木。

 目の前に既に、苦慈の蹴り足が迫っている。

 結界が発動し、攻撃を防ぐ。

 ごき、という鈍い音。

 それと同時に、曲輪木の右脚に再び、激痛が走る。


「いっ! なん、何、が」

「考えている、余裕が、あるのか?」


 苦慈の攻撃は止まらない。

 既にぐちゃぐちゃに潰れているはずの右腕を、乱暴に振り下ろす。

 おぞましいほどの速度で空気を斬りさく腕を、結界が防ぐ。

 既に骨が皮膚を突き破って飛び出していたその腕が、更にどうしようもなく破壊され。


「あああああああああああっ!!!」


 傷一つない曲輪木が、痛みに悶えてその場に膝をついた。

 その頭に、苦慈が軽く足を乗せる。

 結界が、曲輪木に触れようとするその足を止めた。


「ほう。まだ、維持できる、のか。大した、集中力だ、な? ヒャハ、ハ」

「な、めるな。この程度……!」


 がばと身体を起こし、再び距離を取った曲輪木を、苦慈は追わない。

 曲輪木は左手に、黒の碁石を持つ。

 そして、苦慈に向き直り。

 その右腕が既に治っているのを見た。


「治癒、能力までも……!」

「今、まさか、って思ってる? 『この私が』、『こんな雑魚に負けるなんて』、って? ヒャハ、ハ、どっこいお前は勝てない。俺に、負ける」


 かち、かち。

 一定のリズムを刻むその音が、静寂を穿つ。


「いい気になるなよ……!」


 曲輪木の髪が、解ける。

 普段頭の上で団子に纏めた髪は肩口まで広がり、ざわざわと波打つように動いた。

 左手の石を全て地面に落とし、白の碁石に持ち替える。


 苦慈は片側の唇を大きく歪めると、怒りの感情を露わにする、曲輪木の眼を指差した。

 曲輪木の表情が変わる。


「それ、は」

「『拡大エンハンス』」

「あああああああああああッ、があッ、あ、あああああああアアアアアアーーーーーー!!!」


 それは、正気の人間があげる声ではなかった。

 意味のある言葉でもない。

 意味のある行為でさえない。

 ただただ、目の前の痛みからほんの僅かでも逃れたいという。

 まるで無意味な、叫びであった。

 手足を振り回し、顔を抑えて地べたを転げ回る曲輪木を、苦慈は見下ろしている。

 その眼には暗い喜びが宿り、左右対称の美しい唇は、歪に歪んでいた。


「どんなに強力な、魔法使いでも、そもそも、魔法が、使えない、コンディションなら、雑魚同然、だよな? 高尚な意思も、老獪な手管も、『あたま痛い』、それだけで、塗りつぶされちまう、だろ?」

「が、あ、あああ、!!!! あ、アアアアあぁアー!!!! ぎっ、がっ、ふ」


 肺の中の空気を全て吐き出した曲輪木は、それでも声を出そうとして、声にならずに、悶えている。


「なあ、今、何を思ってる? 何も思えない、だろう。あたま痛い。あたま痛い。あたま痛い。それ、だけだ。お前にあるのはそれだけ」


 苦慈は、曲輪木の腹を蹴りつけた。

 結界の妨げはもうない。

 空気を求めて、激しく咳き込む曲輪木。それに満足したように、苦慈は乱暴に曲輪木の頭を掴むと、その耳元に口を寄せた。


「跪け。許しを、乞え。俺の、奴隷として生きるなら、命だけは助けて……ああ、こんな言い方じゃあ通じないか。『痛いのを』『やめてやる』」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る