第26話 世界の終りの前哨戦(5)
「前から三」
時計塔地下を走る天仙道の魔法使い達。
複雑に折れ曲がり、分岐し、合流する蟻の巣のような廊下を、まるで予め道を知っているかのごとく、迷いなく進んで行く。
先頭を走るのは、天仙道所属、稀代の結界使い、曲輪木顕。その空間把握能力は、迷宮の構造を立ち所に看破してしまうほどに、精密かつ、広域に作用するものだった。
その曲輪木が、小さい声で確認するように呟いた。
「後ろから七」
「七!?」
白い詰襟の少年、朽網神一が思わず復唱する。
「多いですね。迎え撃ちますか?」
走る足を止めずに、神一が問う。
否定の沈黙。
その瞬間にはもう、廊下の向こうから走ってきていたから。
表情のない男が三人。先行する一人と、追従する二人。
その走りは尋常の速度ではない。
「俺がやるっス。曲輪木サン。前の一人、転ばせれる?」
「善処しよう」
奉野の提案を、曲輪木が承諾する。
いつの間にか、曲輪木は右手の指に黒と白の碁石を一つずつ挟んでいた。
その手を振ると、走り来る男達の足元の空間が歪む。
ごく僅かな空間の歪みであるそれを確認した瞬間、男達は即座に上へ跳ぶ。
が。
「釣れた」
最前を走っていた一人の跳躍が突然不自然に止まり、バランスを崩し、前のめりに倒れこんだ。
まるでそれは、片脚を空中で掴み、固定されたような動きであった。
後ろの二人は空中で器用に姿勢を変え、転んだ一人を避けるようにして着地する。
「転んだな?『
奉野は、転んだ一人を左手の人差し指で指差し、その指をくるくると宙で回した。
すると、残りの二人も突然に何もない廊下でバランスを崩し、転んでしまう。
天仙道の七人は、その隙に二人の間を駆け抜けていく。
奉野は、斜め前を走る曲輪木を尊敬の目で追った。
「ナイス釣り……っつか、よくあの速度で動き回る人間の脚だけピンポイントで狙えるっスね」
「速いだけならどうとでも。追撃は」
「ないスね。呪いが十分に噛んだ」
走り去る曲輪木達の後ろで、表情のない男達は、何度も立ち上がろうとして転んでいた。
転ぶ際に腕や頭を強か打ち付けており、打撲傷が既にそこかしこにできている。
肉の魔女謹製の戦闘端末達は埒外の運動能力と、痛みを無視した人外の機動力を有する。
その性能を活かした端末達は、転倒から一瞬で立ち直り、追い縋ろうとして、一歩目を踏み出した瞬間に転倒する、というのを、既に何度も繰り返していた。
「『転倒の呪い』。あいつらはもう二度と立ち上がることさえできねー……きっきっき。後ろの七人もなァ」
得意げに奉野がそう言うと、後ろから響く、激しく床に身体を打ち付ける鈍い音が増える。
「いやはや、さすがは奉野。本当に呪いというやつは厄介だねぇ、しかし。うっかり手元を誤って、僕らまで転びっぱなしはゴメンだよ」
「朽網サン。俺ァあんたもあそこですっ転がしておいたほうが良かったんじゃねーかって思う」
「分岐だ」
言い合う二人をよそに、曲輪木が足を止めた。
道は二方向に伸びるY字路。
それまで、複雑に分岐する地下通路を、躊躇いなく進み続けてきた曲輪木が止まったという事実に、一同は緊張を高めた。
「先の空間が結界で閉じてる。構造が読めない」
「チームを分けよう」
今まで黙っていた卜部が突然、口を開いた。
「このまま進むと、ボクが痛い目に遭う」
「二つに分ければ回避できると?」
「三つに分ける。一つは曲輪木顕。一つはボクと沼園、そして朽網月彦。一つは残りだ。残りにはここに残って、退路を確保してもらう」
「承服しかねるな。もし『肉の魔女』に接敵した場合、結界と言霊が揃っていないのはまずい」
「『もし』と言ったか曲輪木顕」
卜部はあくまでも口調を変えずに淡々と、まるで既に決まった事を告げるように言う。
「卜部の前にそのような仮定は不要だ。未来はそうならないから言っている」
「信用ならないね。君の魔法の精度は、本当にそこまで高いのかな」
曲輪木の代わりを買って出る、とでも言いたげに、会話に割り込んでくるのは、朽網月彦。
あれだけ走って汗ひとつかかない顔に、僅かに湛えた微笑の裏に、何を目論んでいるのかは皆目見当もつかない。
「魔法使いに信用など必要ない。結果が全てを語る」
「魔法使いである前に僕らは人間だよ? 人間同士のコミュニケーションには、信用が必要だと思うね、僕は」
そう言って、卜部の肩に手を回す月彦。
卜部はその手を、払おうともせず、代わりに呟いた。
「いや―――
沼園が、馴れ馴れしい月彦の手を払おうとして、
足元に空間の歪みを。
エヴェレット収束の予兆を見てとる。
月彦と卜部を突き飛ばすようにして飛び退りながら、叫ぶ。
「結界!」
空間に、薄赤い壁が突如として現れ、三又の道を三つに分割する。
曲輪木顕は孤立し、曲輪木律、朽網神一、奉野逆巻は取り残され、朽網月彦と卜部灘は、沼園に抱えられるようにして地べたに這っていた。
それは、先ほど卜部が告げた通りの分かたれ方だった。
「裏切ったか、卜部……!」
神一は、白い肌を赤く染めて激昂した。
ポケットからインクの付いていない白い筆を取り出し、結界の向こうの卜部に突きつけるように構える。
奉野も、さながら藁人形に釘をさすかのように、左手の指先を卜部に向けた。
卜部はあくまでも表情を変えず、
「違う。この編成が最善なんだ。因みに分断されなかった場合、我々はこの奥に進むことを止め、引き返すことになっていた」
それだけ言うと、言うべきことは言ったとばかりに黙り込んだ。
神一は筆を下ろしたが、それでもきつく灘のことを睨みつけていた。
その横で、どこからか取り出した刀で、曲輪木律が結界に斬りかかり、弾かれていた。
「ふぬあー! だめだ! アキラ様! これ斬れない!」
「先に貼られてる結界は、後から結界で斬ることはできない……教えたでしょう、律」
「斬れるもん!」
口をへの字に結び、そう言い張る律を見て、曲輪木は肩を落とした。
「……分断したということは、その後に詰める手立てを置いているはずだ。心しろよ」
「なあに、所詮は雑種混じりの時計塔……肉体操作、物理干渉みたいな大したことない魔法ばかりだろう。
「既に結界使いに分断されてるだろうが」
月彦はくつくつと愉快そうに笑う。
「君が出し抜かれる所を見られてよかったよ、曲輪木。それじゃあ、また後で」
そう言って、卜部と沼園を伴って、廊下の奥に進んで行く月彦。
曲輪木は大きく顔を顰めて、それから残りの三人に向き直った。
「こうなっては、卜部の未来視を信じるか。君たちはここで退路を確保していてくれ」
「通れない退路を、ですか?」
「リツ。壁か床掘って退路を確保しなさい」
「はーい!」
「きっき。デタラメだなァ、曲輪木の結界術は」
奉野が頭に手を置いて笑う。
「まァ、あの手の端末なら何十匹出てこようが相手じゃねェ。なんとかするスよ、曲輪木サン」
「頼んだ、奉野」
「アキラ様! リツは? リツもがんばります!!!!」
「あー。任せたよ、律」
「あい!」
仔犬のように主人の言葉を求める律に、ぞんざいな言葉を投げかけて、曲輪木は一人、廊下の奥へと歩みを進めた。
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