第22話 世界の終りの前哨戦(1)

 紙束の海、と形容するほかないくらい、乱雑に積まれ、崩れた紙束の中、半ば埋もれつつある机に向かって、何やら難解な図形が大量に書き込まれた紙片を睨みながら、郵便屋は鉛筆を回していた。

 その脇に、一人の男が立っている。

 髪をオールバックに撫で付けた、細身の男。

 目立つのは、手に持った無骨で巨大な刈込み鋏だ。

 およそ外で作業するのにはそぐわぬ、着物に身を包んだ男だったが、しかしその鋏が妙にしっくりと馴染んでいる。


「面白い……うん。すごいよ。これはちゃんと、霊脈として機能してる。天仙道の人工霊脈とも干渉しないし、引き出すのに余計な手続きもいらない。まさに、次世代型の霊脈だね」

「御託はいい」


 興奮した様子の郵便屋を、男は一言で制した。


「これは、この薄汚い人工霊脈は、正常に機能する。お前はそう見るわけだな、郵便屋」

「するね。というか、恐らくもう機能し始めてるんじゃないかな」

「『井戸』の意思を踏み躙るか……侮られたものだな」


 男は、表情こそほとんど変わらなかったものの、その目の奥に灯った感情が何を意味するのかは、誰にでもわかった。


(うわー『庭師』めっちゃキレてるじゃん……)


 郵便屋は、張子の仮面の下で自分が汗をかいているのを感じた。

 できることなら早く、この場から逃げ出したい。


「郵便屋」

「は、はいっ!」

「標識と焼失を使って時計塔ごと焼いてこい」

「……本気? そんな大規模に存在消滅魔法を使ったら、反動のエヴェレット収束で何が起こるかわからない。下手をしたら、古部ごと消えちゃうかも」

「私の魔法を忘れたか?」


 男は、刈込み鋏をくるりと回すと、宙を一度斬った。

 じゃきり、という硬質な音を立て、鋏が鳴る。


「私は『庭師』。未来の剪定者にして管理人だ。不都合な未来は全て、切って払って棄ててやる」




「とか言ってさ。室内でブンブン鋏振り回してんの。めっちゃあぶないってのにさー。おこだよ庭師。おこ。マジギレ」


 郵便屋は、その時のことを思い出して、ぶるりと身を震わせた。


「まあ、人工霊脈とか、『井戸』の信奉者……狂信者か? 庭師にとっちゃ仇敵も同然だしな」


 大げさな身振りでその時の恐怖を表現する郵便屋を横目で見ながら、標識は湯呑みの茶をすする。

 焼失は煎餅を叩き割って、欠片を口に入れた。


「んー、旦那がマジギレって、いつ振りだ?」

「七年前じゃないか? 子供が『井戸』まで紛れ込んできて、俺が取り逃がして大目玉くらった」

「あー、あん時か……ひひ。お前涙目だったもんな、標識」

「うるせえ」

「……そん時、まだ僕いないし」

「お、じゃあ初めてだったのか。ひっひ、そりゃあビビるわな」

「び、ビビってないし!」

「話を戻せ」


 焼失に掴みかかろうとした郵便屋を、標識は片足を上げて止めた。


「要するに、時計塔が組んだ人工霊脈を焼いてこいって。標識は焼失のサポート……っていうか、露払いかな」

「『肉の魔女』の端末人形相手か……面倒だな」

「なに、まとめて全部焼いてやりゃいいさ」

「あんまりおすすめしないかな。人工霊脈を丸ごと焼き消したりしたら、生まれる歪みはあまりに大きい。何が起こるかわかんない以上、焼失の魔法を使うのは最小限にとどめておくべきだよ」

「なんだァ、郵便屋。お前まさかビビってんのか?」


 へらへらと笑いながら、気軽にそう言ってのける焼失に、郵便屋が声を荒げる。


「人間一人消すのとはワケが違うんだよ! バーカ! 脳筋! 放火マニア!」

「バカはお前だ郵便屋。そんなもん、生まれた歪みごと焼き消してやればいいだけだ」


 そう言って、焼失は煎餅の欠片を放り投げた。

 欠片は、空中で突然発火して、消えて無くなる。

 その空間が、泡立つようにして歪み始めたところに再び火が現れ、何事もなかったように、消え去った。


「……どうなっても知らないからね」

「いや知れよ。知るのがお前の仕事だろ」

「お前ら喧嘩すんな。んで? どこにあるんだ、霊脈の要は」

「その霊脈はこの世界に存在しない」

「は?」

「勿体ぶるな。要点を言え」

「ちぇー。雰囲気よんでよ」


 含みを持った言い回しを一蹴され、仮面の下で郵便屋は唇を尖らせる。


「ゲームの中って言えばいいのかな。仮想空間上に存在してるんだ。僕らはそのゲームを維持してるサーバーを焼けばいい」

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