第21話 それぞれの思惑/霊脈について

 探偵、黒首禄郎は、眉間に深い縦皺を寄せながら、疎らに乗客の座る古部市内循環バスに乗っていた。

『影鼠』の魔法を持つ黒首は、自分のことを安楽椅子型の探偵だと考えている。

 外回りにあくせく歩き回るのは、自分のスタイルではない。

 影のネズミたちが持ってきた情報を、統合し、考察し、真実に至る。

 それが自分の役割なのだと。

 そんな言い訳をしながら、生来の出不精気質を十分に甘やかし続け、事務所に引きこもって情報を集め続けている黒首が、わざわざ出かけざるを得なかったのは、単純に呼び出されたからである。


 曲輪木顕。

 国内最大規模の魔法結社のトップの一人。

 黒首には、その規模が測りきれないレベルの殿上人だった。

 別れ際に無理やり交換させられた連絡先に呼び出しが来たのだ。

 黒首の知らないゲームかアニメのキャラクターが、コミカルに頭を下げている画像付きで。

 天仙道の魔法、その一端を身体で味わうことになった黒首は、逆らう事の無意味さを文字通り肌で感じていたため、素直に呼び出しに応じることにしたのだが。

 それにしても、なんというかこう。


(呼び出しが、雑すぎないか……? なんというか、友達呼びつけるみたいじゃないか)


 そして、思い返す。


 曲輪木顕。

『結界』の魔法を得意とする、古い魔法名家の当主代理。

 あの魑魅魍魎犇く賢人会議を、取り仕切るほどの存在。

 それにしては、気さくな人間であった。

 そして、容姿から年齢が推し量れない。

 中学生の羽原アイリと『友達』と言っていたが、まさか中学生ではあるまい。

 頭を団子に結っているせいか、若く見えたが……高校生?

 それもどうにも、しっくりこない。

 なにより、高校生に、十代そこらの人間にあれ程の圧力が出せるものだろうか。

 しかし、それでは一体、曲輪木は何歳だというのだろうか―――


「何か失礼なことを考えていないかい?」


 突然声をかけられて、がばと振り向けばそこにいた。

 桐のような、爽やかな香りが黒首の鼻をくすぐる。

 曲輪木は、細い垂れ目を、悪戯が成功した子供のようにさらに細めていた。

 というか距離が近すぎる。

 椅子を僅かにズレて、距離を離して、黒首は気まずさをごまかそうとした。


「ちょ、近……なんでいるんですか」

「単純な推理だよ。君の所持する移動手段を考えれば、市内循環バスに乗るであろうことは予想できる。そして君の性格上、遅刻はしないまでも、間に合うギリギリまで動き出さない。つまり、このバスに乗ってるんじゃないか。そう思ったけど、正解だったね」


 声を顰めて問いかけた黒首に、曲輪木は嬉しそうに解説した。


「ああ、周りは気にしなくていいよ。ここの乗客はみな、偽物だから」


 曲輪木は、手の中の白い碁石を上に放った。

 碁石が手から離れた途端、さっきまでそこここにいた乗客達の姿が、半透明にゆらぐ。

 落ちて来た碁石を曲輪木がキャッチすると、乗客の姿は元に戻った。


「幻術……!?」

「君が乗るバスの時間が分かっていれば、バスをウチのものと入れ替えるくらい造作もないことさ」


 そう言ってのける曲輪木に、黒首は改めて戦慄する。

 造作もない。

 そんなはずがない。

 どれだけ未来を見通していなければならないのか。

 そしてどれだけの横紙破りを許容されるほどの権力を持っていなければならないのか。

 少女然とした見た目の、目の前の存在が、改めて想像の埒外にあることを、黒首は痛感した。


「心臓に悪いですよ」

「ごめんごめん。でも秘密の話をするには、こういう場所が一番いいんだ。誰かに聞かれる心配も少ない」


 黒首は、唾を飲み込んだ。

 これだけの大掛かりな仕掛けを用意するということは、つまり。


「依頼ですか」

「頼みごとだよ。友達だろ?」

「金出さない気かよ!」


 ウインクして見せた曲輪木に、思わず大きな声を出してしまう。


「ここのところ、私もなかなか厳しくてねえ……うそうそ、冗談だよ。そういう事じゃないんだ。天仙道、『結界司』の曲輪木顕として探偵黒首禄郎に依頼するのではなく、ただのアキラちゃんとして、友人のロクローくんにお願いがあるってことだよ」


 怨みがましい視線を向けてくる黒首に、少し焦ったようにして、曲輪木は早口で答えた。


「アキラ"ちゃん"って……あの、曲輪木さんって何歳なん」

「その先を口にする勇気が君にあるかい」


 ぎしり、と。

 突然に周り中の空気全てが敵に回ったような圧力を感じて、黒首は固まった。

 そして、あさっての方向を向いて、何もなかったことにした。


「なんさいなんさいなんくるないさ……」

「面白い歌だね」


 目を逸らした黒首は、曲輪木の顔をまともに見ることができなかった。

 怖すぎる。


「黒首くんは、この古部という街をどう思う?」


 唐突に話題を転換する曲輪木。

 黒首は、背筋を正して座り直した。


「魔法使いが―――強大な魔法使いが、多すぎますね。俺みたいなはみ出し者が、十分すぎるおこぼれにあずかれるくらい、ここの魔法使いは他と一線を画している」

「その通り。古部の魔法使いは、他の魔法使い達とは別物だ。外の国でいえば最強クラスの『バベル』や『IVアイヴィー』でさえ、この地では霞んで見える」


 曲輪木は黒首の隣で小首を傾げて、再び問いかける。


「それは何故だ?」

「なぜ、とは?」

「何故、古部の魔法だけがこうも発展しているのか、考えたことはあるかい」

「……それは古部が、類稀なる霊脈地だから、その上にいる人間は、魔法に適性を持ちやすい、と聞いたことが」

「その通り。教科書みたいな答えだね―――しかし、古部にそんな強力な霊脈は流れていない」

「え?」


 黒首は間抜けな声を出してしまったことを誤魔化すようにして、咳払いをした。


「そんなこと……あり得ませんよ。現にこうして、強い魔法使いがたくさん生まれている。天仙道にもいるでしょう、魔法名家のお歴々が。あの人らもみんな、古くから古部にいる魔法使いの家系だ」

「その通り。そう認識されるようにできている。軽い、しかし驚くべき広範囲に影響する認識阻害の呪い―――古部の魔法使いは強力で、それは強力な地脈によるものである。そういうものだ、という先まで、認識できないような呪いが、この地にはかけられているんだ」

「……あなたから聞いた話じゃなかったら、ホラ話だって笑ってましたよ、俺」


 黒首は僅かに唇を尖らせて言った。

 曲輪木は小さく首を横に振った。


「だが、地脈学からしても、探知系魔法使いの調査にしても、この地にはそこまで強大な霊脈が流れてくる元が存在しないはずなんだ。そんな大霊脈は、古部の周囲にはない。しかし、存在している。あり得ないことが起きてしまっている――まるで・・・魔法のように・・・・・

「それは」


 その言い方に、黒首は気づく。


「霊脈を作る魔法がある、ということですか」

「魔法というよりは、技術だね。個人のレベルでどうこうできるようなものではないはずだ。我々天仙道は、古くから『それ』を研究し続けた。結果、出来上がったのがこの古部の街だ」


 曲輪木はそう言うと、スマートフォンを取り出し、古部の地図を開いて見せた。


「この古部市を循環するように周る、古部循環バス―――大量の人間が、思念が、毎日毎時、同じルートを周り続ける。その流れが、擬似的な魔力回路として働くことにより、魔力を吸い上げる魔法を発動させ続けているのさ。いやはや、有能な魔法使いというのは恐ろしいね? 狂気の果てとも言えるような都市計画だよ。この街並み、交通路こそが、我々天仙道の作り上げた人工霊脈だ」


 途方もない規模の話に、黒首は絶句して、それから疑問を投げかける。


「でも、それはおかしくないですか? その都市計画だって、たかだか100年かそこいらの話だ。古部に強力な魔法使いが生まれたから、人工霊脈を作ることができたのでしょう。順番があべこべだ」

「そうだ。飲み込みがいいね。実は、我々のこの大魔法でさえ、オリジナルの模倣にすぎない」

「オリジナル?」

「それは『井戸』と呼ばれている」


 誰が聞いているわけでもない。

 空間の隔絶さえも成してのけるはずの、結界使い、曲輪木顕は、外界と隔絶しているはずのバスの中で、誰かに聞かれることを恐れるかのように、声を顰めてそう言った。


「井戸、ですか」

「そうだ。普通ではあり得ないほどの霊脈を、どこかから汲み出す『井戸』。それは自らの存在を隠すため、強力な認識阻害の呪いを振りまき、代わりに我々に魔法の才を与えた」

「……そんな、おとぎ話みたいなものが、本当に存在すると?」

「そう。『井戸』の魔法を解析することで、人工の霊脈を作り上げることができた以上、それは存在すると考えなくてはならない」


 曲輪木はそう言って、小さく息を吐いた。


「ここまでが『前提』だ」

「あの……話の規模が、デカすぎてついていけてないんですが。俺を何に巻き込もうとしてるんですか」

「なによー、いいじゃんいいじゃん~」


 唐突に馴れ馴れしく肩をぶつけてくる曲輪木に、黒首は顔を顰めた。


「それに、ここまで聞いちゃったらもう後戻りできない……後戻りなんか絶対させないって~」

「マジで最悪すぎる」

「それじゃ続きを話すね」


 そんな黒首の様子など気にもとめないように、曲輪木は表情を正した。


「天仙道が所有しているこの人工霊脈は、天仙道にだけ許されたリソースだ。そういうように作られている。だが、それを羨む奴が―――柳の下のドジョウを狙う奴が現れた」

「人工霊脈魔法を……? 都市レベルで発動させるような超大規模魔法を、真似できるような奴が、いるんですか」

「いる。『肉の魔女』だ」


 黒首の顔色がみるみるうちに悪くなった。


「無理無理無理無理!」

「まだ何も言ってないじゃないか」

「無理です! 無理ですって! なんだそれ! 天仙道と時計塔のバッチバチの戦争じゃねえか! 俺なんかが潜り込んだら100%死ぬ!!!」

「まあまあ、話は最後まで聞いてくれよ」


 今にも暴れ出しそうな黒首を、手で制して、曲輪木は言葉を続ける。


「君に依頼したいのは、時計塔の動向調査じゃない。別口だ。我々と時計塔との戦いに、横槍を入れようとする、第三勢力……これについて、調べてもらいたい」

「……第三勢力?」

「そうだ。『井戸の守り手』とでも言うべきかね? 人工霊脈を激しく憎む魔法使いが、この古部には隠れている。『井戸』の拙い模倣を許せないのか、はたまた、霊脈が増えることを良しとしないのか……それは確かに存在している」


 曲輪木は、遠いどこかを睨みつけるように目を細めた。

 見えない相手に敵意をたぎらせる様な、不穏な気配を感じて、黒首は身を縮こまらせた。


「……なんか、それはそれで、化け物相手にするようで嫌なんですが」

「報酬もあるよ」


 そう言うと、曲輪木はじゃらじゃらと手の中に碁石を取り出し、黒首に手渡した。


「黒が『剣』。白が『盾』だ。五個ずつあるから大事に使ってね」

「これって……」

「天仙道最強の結界使い。曲輪木顕謹製の、結界石だよ」


 要するに、この世界でも最高峰に属するような魔法具であった。

 しかし、それはつまり。


「こんなものが、必要になるくらいヤバい相手ってことじゃないすか!!!」

「はっはっは、はっはっはっは」

「笑い事じゃねえ!」


 雑に笑って誤魔化そうとしている曲輪木に、黒首は席を立って怒りを現した。


「怒ってるんだろう?」

「怒りもしますよ! 嫌です、やめます、いくら天仙道の頼みだからって、命までは」

「……何もできなかった自分に」


 続いた曲輪木の言葉に、黒首は言葉を失った。


「話してわかった。君はそういう人間だ。君は傲慢だ。関わった全てを、解決しなければ気が済まない。先の事件で己の弱さを痛感させられた君は。羽原アイリの絶望を目の当たりにした君は……羽原アイリの代わりに、『肉の魔女』に復讐するチャンスを探っている」


 見透かすような視線を向けながら、淡々とそう言う曲輪木を見ることができなくて、黒首は視線を伏せた。


「……俺は、そんな大それた魔法使いじゃない」

「賢人会議の後ずっと、君は事務所から出ていないそうだね?」


 しかし曲輪木は、そんな黒首を逃すまいとするかのように追って質問を投げかける。


「それは、ただ、ネズミ共に情報収集をさせているだけだ」

「『肉の魔女』は諜報系の魔法を無視しがちだが……本拠地の時計塔にあれほど大量のネズミを潜ませようというのは、なかなか度胸がいるね」


 それは。


「それは、『時計塔』周りの動きが、不穏だから。天仙道が報復行為に走るなら、警戒も薄れる。肉の魔女の情報は高く売れる」

「なるほど。君の復讐は、そういう形で果たされるのか」


 納得した様子で頷く曲輪木に、黒首は返す言葉が見つからなかった。


「それなら、やはり。頼むよ、黒首くん。私は―――曲輪木には既に『井戸の守り手』の監視がついてる。人工霊脈の維持を行っている私は、奴らに警戒されすぎている。君が奴らを抑えてくれれば、私が『肉の魔女』に一発おみまいしてやれるからさ」


 そして、曲輪木は頭を下げた。

 黒首は、縮れ毛の頭を乱暴に掻いた。


「……わかった。わかりましたよ! 報酬は前払いで石10個。それと、『肉の魔女』の討伐だ。それなら、受けてやりますよ」

「やったー! 流石黒首くん。私の見込んだ男だ!」


 渋面で承諾した黒首に、曲輪木は両手を上げて抱きついた。


「ち、ちょっと! 近い近い近い! 近いって!」


 腰に抱きつく曲輪木を強引に引っぺがして、黒首は大きく息を吐いた。

 そんな黒首を眺めながら、曲輪木は猫のようにゆっくりと首を傾げて微笑んだ。


「君ならそう動いてくれると思ったよ」

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