第6話 万書館/イドの守り手 エピローグ

 存在消滅魔法。

 虚空蔵追放ダムナディオ・メモリアエとも言われるその魔法は、世界を塗り潰すに等しい大魔法の一つである。

 存在を消滅させるその魔法に消し去られたものは、紙やデータは勿論、人の記憶でさえ、あらゆる記録媒体から、消え落ちて、初めから存在しなかったことになってしまう。

 超現実的な技術を用いる魔法使いにとってさえ、絵空事と笑われるような、おとぎ話のような魔法。

 その使い手は、はち切れんばかりに食材を詰め込んだビニール袋を両手に下げて、のろのろと歩いていた。


「重すぎる」


 それは誰に向けるでもない独り言を漏らしてしまうほど、無茶な量の買い物だった。

 多少の文句をこぼすだけでこの苦行を続けていた同僚、標識の懐の深さに、静かに畏敬の念を覚えてしまうくらいに。

 それでももうすぐで家に着く。

 そう思って角を曲がると、電話ボックスのすぐ側にガードレールに腰掛けて、項垂れている少女がいた。

 焼失は盛大に舌打ちをした。




 鋭い破裂音が鳴ったような気がして、斎藤冬美はがばと顔を起こし、辺りを見回した。

 辺りはすっかり薄暗くなっていた。

 よほど深く物思いに沈んでいたらしい。

 あり得ないほど鋭い目つきの男が、大きく膨らんだビニール袋を両手に持って、何故か自分を睨んでいる。


「そんなところで何をしている」


 不機嫌そうな口調でそう言われ、すぐさまその場を離れようとした冬美だったが、その簡素な質問が、妙に心の奥に響いた。

 自分は何をしていたのか。


「わからない、です」


 気づくと、胸の内を口に出してしまっている。


「何か、とても酷い事をしてしまったはずなんです。私が、私のせいで、日夏が……でも、急にそれがわからなくなって」


 まるで、自分の罪が、焼き消えてしまったように。

 自分のしたことの責任を、唐突に奪い去られてしまったようなもどかしさを、冬美は説明しようとしていた。

 そして、全くの他人にそんなことをしようとしている自分に気づき、顔を赤く染めた。


「ごめんなさい。何言ってるかわかんないですよね」

「わかるよ。俺は、俺だけはあんたが何をしたか覚えていられる」

「え?」


 予想もしなかった答えに、冬美は身体を強張らせた。

 男は目を細めて、冬美を―――冬美の周りの何かを、じっと見ていた。


「あんたは人を呪った。呪い呪われる、魔法使いの世界に片足を踏み込んだ。人を呪わば穴二つ。あんたにはもう、人並みの安寧は存在しない」


 冬美は、その見透かされるような視線が、とてつもなく恐ろしいものであるように思えて、声も上げずにその場を走り去った。

 怖い。

 何故そんなことがわかるのだろう。

 一方的に酷い事を言われたはずなのに、何故かそれを受け入れてしまっている自分がいた。


『あんたにはもう、人並みの安寧は存在しない』


 その言葉がまるで呪いのように、冬美の心に突き刺さって、抜けてくれない。

 どこまでもついて来るようなその言葉を振り払うように、冬美は家まで止まることなく走り続けた。




「おかえり。焼失、標識起こしてよ。僕お腹すいちゃった」


 紙束の海の中、椅子にもたれかかるようにして鉛筆を回している郵便屋。

 焼失は、ビニール袋を投げ捨てるように放ると、郵便屋に近寄った。


「郵便屋。あいつら、『井戸』を知ってたぞ」

「……」


 郵便屋は、仮面越しにでもわかるほど、バツの悪そうに顔を伏せた。


「お前の『網』、抜かれてんじゃねえだろな?」

「……僕のとこから抜かれた気配はないよ。でもわざわざ喋る奴までは止められない……十中八九時計塔、っていうか、『肉の魔女』だろうね。アレは隠し事とか雑にバラすの大好きだし」


 そして、唐突に脚をバタつかせ、両腕を振り回した。


「あーもー! 僕がせっかくちゃんと情報管理してんのに! なんでベラベラ喋るかなー!? 本当あいつ嫌い! うーーーーあーーーーーもうムカつくムカつくムカつく!!」

「……うるせえ」


 奥の扉を開けて、標識がのそりと姿を現した。


「郵便屋、お前が仕事をちゃんとやってるのはわかっている。そんなことで俺が怒るわけねえだろ」

「標識~」


 顔を上げ、標識を呼ぶ声は若干震えた涙声になっている。


「だから、あれくらいの雑魚相手ならそうだと事前に言え……!」


 張り子の仮面の上から、拳骨。


「あた!」


 郵便屋が大袈裟に悶える。


「それで手打ちだ。飯にしよう」


 そうして、標識は焼失が投げ捨てたビニール袋をひょいと持ち上げると、再び扉の奥へと消えていった。

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