第5話 万書館/イドの守り手(5)

 銃声の残響が響く中、かつん、と硬質な音が鳴った。

 ギムレットの手から放たれた弾丸、その弾体がアスファルトにぶつかる音だった。

 頸髄を撃ち抜かれたはずの標識は、何事も無かったようにギムレット達に向き直る。


「で? 御託はそれで終わりか?」

「……ッ! 無傷、だと」

「人間を殺すのに足りても、戦闘用の魔法使いとやり合うにゃあ足りねェんだよ、その程度じゃ」


 その手に握られた白い棒の先には、いつの間にか黄色く塗られた四角形の鉄板が付いていた。

 黒で縁取られた鉄板の真ん中に、黒で大きく『!』と描かれている。

 目の前の男から目を逸らしたつもりは無いのに、いきなり現れたそれを、ギムレットは警戒する。


「言葉に堪能でも交通標識は知らねェか。『一時停止』だよ。弾体そのものに加速力がないから、銃は俺には効かない」

「リキティ! 《権能》発現! 『暴食グラットン』!」


 それまで控えていた大男が、ギムレットの声に呼応して吼える。


「まあ、そうくるよな」


 獣のように襲いかかった大男、リキティの剛腕を、標識は手に持った棒で受け止めた。

 交通標識の棒程度、数本纏めて折りかねないようなリキティの一撃は、棒に当たった瞬間不自然なほど急激に停止する。

 標識はリキティの腕を搦めとるように棒を回し、体勢の崩れたリキティのこめかみを棒でぶん殴った。

 僅かにたたらを踏んだリキティは、しかしまるで堪えた様子がない。

 臆することなく、標識へと襲いかかる。

 その様子を観察していたギムレットが嗤う。


「なるほど……『一時停止』。それが君の魔法か! だがそれだけの強制力! 同時に二つは展開出来まい!」


 リキティの突進を、子猫をあしらう様に止める標識。

 そこに、再び銃弾を撃ち込む。

 眉間と心臓を狙って放たれた弾丸は、確かに命中したはずなのに、標識の身体に触れた瞬間、何を傷つけることもなくころりと落ちる。


「はずれ」


 再びリキティの頭を強か打ち付けるも、リキティは怯むことなくその棒を掴んだ。


「おや、こっちのほうが賢いな」


『一時停止』。

 あくまで『一時』しか止まらないのなら、初めから掴みかかってしまえば良い。

 リキティが口を大きく開く。

暴食グラットン』の権能。

 ありとあらゆるものを喰らい尽くす、底無しの牙口が標識に迫り。


「『最低速度:60km/h』」


 標識の持っていた棒ごと、時速60kmで思い切り吹き飛んでいった。

 民家の塀に激突し、リキティの口から、空気の漏れる音がした。

 ギムレットの首筋を、汗が伝う。


「バカな、12人の魂を喰わせた、悪霊憑きの魔人だぞ?」

「魔人って……こんなんただの身体操術だろ。大仰な」


 なんでもないようにそう言ってのける標識に、ギムレットは退くことを決意する。

 そしてじり、と下がろうとした脚が、全く後ろに下がらないことに気づく。

 標識がゆっくりと近づいてくる。


「一方通行。そこに立ってるだろ、標識が。ちゃんと守れよ、交通ルールだ」


 ギムレットが振り返ると、リキティと共に吹き飛んだ棒の先に、長方形の鉄板が付いていた。

 そこに描かれた矢印は、迫り来る標識の方を向いている。

 震える手で、ギムレットはしかし正確に狙いをつけて標識を撃った。

 銃弾は標識に当たると、何の力もなく地面に落ちる。

 何発撃っても、ただ歩いてくるだけの標識を、止めることさえできない。

 ギムレットは脚の力が抜けてしまって、その場に尻餅をついた。

 数分前の余裕は何処へやら、口汚く喚く。


「あり得ない……人間にも! 無機物にさえ強制力のある、こんな強力な魔法など! こんなもの、こんなもの、魔法ではない・・・・・・!」

「知るか」


 いつの間にか新たな棒を手に持った標識は、座り込んでしまったギムレットの股の間に棒を突き立てた。


「は、はは! 何を聞かれても私は喋らないぞ? 言霊使い相手に拷問が通じると思うな!」

「拷問? その程度で済ませると思うのか? これからお前の脳を洗う・・・・。その後はまあ、見せしめだ。二度と『井戸』に手を出そうと思わないよう、バベルの連中に思い知らせてやる」


 標識は淡々とそう告げた。

 それはつまり、ギムレットへの簡素な死の宣告であった。

 ギムレットはガタガタと震えたまま、懐に手を伸ばした。


「なんだよ。楽しそうなことやってるな、混ぜろよ」


 と、その時。

 人避けの結界を越えて、入ってきたのは焼失だった。

 右手に持ったライターを、片手だけでカチャカチャと開け閉めしている。


「お前、なんで手ぶらなんだよ。買い出しは」

「あ? あー……忘れた」

「忘れたじゃねえよ。後でいけよ」


 焼失は顔を顰めた。


「言うんじゃなかった」

「こっちは俺に任せるんじゃなかったのか」

「せっかく外から魔法使いが来てんだ。俺にも喋らせろ」


 そう言って、焼失はしゃがみ、ギムレットと目線を合わせる。


「んじゃ質問。存在消滅魔法を使える魔法使いを知ってるか?」


 唐突に現れた男から、全く関係のない問いかけが飛んで来て、ギムレットは頭を巡らせる。


(こいつは……千載一遇のチャンスだ! 言霊使いと会話したいだなんて、この灰色の男、あまりにぬるい。こいつを使って、この絶対の窮地を、乗り切って見せる!)


 僅かの間に生まれた決意を、悟らせないよう、混乱した様子を装いながら、慎重に言葉を選ぶ。


「は? 存在消滅……《虚空蔵追放ダムナディオ・メモリアエ》? アカシックレコードの記述ごと消失させる、大魔法のことか? は、はは、何を言い出すかと思えば、この国の魔法使いはそんな与太話を本気で信じているのか!」


 ギムレットは、懐に隠した魔導符に触れる。

 強力な攻性呪詛の込められたそれは、自決用に持たされたものであった。

 命を代償に発動する爆弾。

 しかし捧げるのは当然、自分の命ではない。このくすんだ灰色の男の命を使う。

 いくら銃弾の効かない化け物であっても、至近距離から放たれた呪詛までは防げまい。


(まずは時間を稼ぐ! そして、『唆し』で作った隙に……こいつを叩き込んでやる!)


 ギムレットは、隙を作るべく、目の前の男の心に言葉の刃を突きつける。


「はははははッ、こいつは傑作だ、そんなものを使える者が、現存しているわけが」

「あっそ。じゃあ燃えて落ちろ」


 ギムレットの言葉を遮るようにして、焼失がそう言うと、ライターの火が突然、ギムレットに襲いかかった。

 胸元から舐めるように火が回り、一瞬でギムレットは火達磨になった。

 声を上げる暇さえない。

 そして、あっという間に、まるで存在していた事さえ嘘のように、綺麗さっぱり焼けて、炎ごとこの世から消えてしまった。




 標識はしばらくぼんやりと立ち尽くして、壁に激突してのびたままのリキティを見て、それから焼失の手に持ったライターに火が付いているのに気づいた。


「……あっ、なんかおかしいぞ。さてはおまえ何人か焼いたな!」

「さあ」


 それは、目の前で焼き消えてしまったギムレットのことを、まるで覚えていないかのような口ぶりだった。

 まるで答える気のない焼失に、標識は摑みかかる。


「やめろよ勝手に焼くの! お前が焼いたら何もかもわかんなくなんだから! もし焼いちゃダメなやつだったらどうすんだお前!」

「そんな重要な奴なら、焼く前にお前が止めてるだろ」

重要だったか・・・・・・どうかすら・・・・・わかんなくなる・・・・・・・からやべえんだろうが! ほんっとーに、どいつもこいつもうちの魔法使いは!! ちゃんとしてくれ!」


 悲痛な叫びを上げる標識に、呑気な声が届く。


『終わったー?』


 標識はがくりと肩を落とす。


「わからん。遭遇戦なのに焼失が焼いちまった。もう殆ど覚えてねえ」

『ふーん。じゃ早く帰ってきて! お腹すいたよ。今日は春巻がいいな』

「買い出しは焼失に任せた。俺は帰って寝る」


 力なくそう答えると、標識はふらふらと歩き出し、角を曲がって消えてしまった。


「あいつなんであんな疲弊してんだ?」

『さあ。あ、焼失。そいつも焼いちゃっていいよ』

「お前、俺をゴミ処理係かなんかだと思ってないか?」


 焼失は不満げにそう言いながら、倒れ伏したリキティも焼き消した。

 後には、何も残らなかった。

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