第4話 万書館/イドの守り手(4)

 人避けの結界。

 それは、魔法使いが忌み嫌われていた時代から続く、最も古い魔法の一つである。


 人間の意思決定は、ほとんど瞬間的に行われる。

 右に行くか左に行くか、その選択肢がほとんど等価値であるならば、その二つのうちどちらを選ぶかは、『なんとなく』でしかない。

 そして、その無意識の領域を支配するのが、魔法である。


 人避けの結界内にいる人間は、『なんとなく』落ち着かない気持ちになる。

 突然別の用事を思い出してしまう。

 そわそわと浮き足立って、ここに居たくなくなる。

 ただそれだけのことだが、その効果は絶大だった。

 人は、意識にのぼらないものに抗うことはできないのだから。

 だから例えば、住宅街のど真ん中であってさえ、それが機能したならば。


「ほっ。ようやく釣れたか」


 一時的にではあるものの、完全に無人の空間を作り出すことができた。


 異質な出で立ちの二人だった。

 目を引くのは、筋骨隆々の巨漢。

 肌は浅黒く、顔の彫りが深い。

 獣の革を使ったベストを裸に羽織り、麻のズボンを履いた、原始人さながらの格好である。

 まず、この国の人間ではない。


 そして、標識の姿を認めて奇妙な喜声を上げた小男。

 金髪碧眼は人工的なものではなく、おそらく自前のもの。

 フォーマルなスーツをきっちりと着こなして、左手にはステッキを握り、粘つくような笑みを浮かべている。


「初期対応まで二日ってところだね。流石はフルベの魔法使い。小間使いでさえ優秀だ」

「誰が小間使いだ」

『そりゃ標識でしょ。よっ、お使いマスター!』


 郵便屋の、標識以外には聞こえていないだろう茶々を、標識は無視する。


「うちのシマではしゃいでくれたんだ、それなりの覚悟は出来てるんだろうな」


 標識は、右手に持った身長程もある長く白い棒を無造作に突きつける。

 小男は大袈裟に怯えてみせた。


「おお、怖い怖い! 野蛮な国の生まれには、会話するという文化さえないらしい」

「言霊使いか。面倒だな」


 標識がぼそりと呟くと、小男の顔に張り付いていた笑みが引きつる。


「どうして、」

「どうして? 決まってる。あのお粗末な『焦燥フレット』と『風説ルーモア』。媒体がチラシであるなら、幾何魔術か言霊使いのどっちかだ。お前ら『バベル』は悪霊憑きと言霊使いの集いだろ。お前が言霊使い。後ろのデカブツが悪霊憑きだ」


 違うか? とばかりに眉を上げてみせる標識に、僅か感情の揺れを見せたものの、小男は不敵に笑った。


「素晴らしい洞察力だ! どうやら君は、それなりに物事を知っている側の魔法使いだったらしい。ならば教えてくれないか? 我々はこの地に眠る『イド』とやらを確認しに来たんだ。フルベの魔法使い」


 ぎしり、と。

 その場に立っていたなら、空気が軋むような音が聞こえたかもしれない。

 標識の表情が、鬼気迫るものに変わっている。

 先程までの気怠げな様子が立ち消え、完全に―――

 臨戦態勢に入っている。


「『井戸』のことをどこで知った?」

「どこでもさ。身内を割って争ったりしてるからそういうことになる。漏れるところから情報は幾らでも漏れるんだよ」


 標識の態度が変わったことに、小男は調子を良くする。

 言霊使いは、自分の言葉に絶対の自信を持っている。

 言葉で相手の心を操ることこそ真骨頂。

 揺さぶり、引きつけ、意のままに。

 なればこそ、相手の動揺は己が力量の指標でもあった。


(『イド』がこいつの急所だとは。実にやり易いことだ)


 小男は心の内でほくそ笑む。

 自分が虎の尾を踏んだとも気づかずに。


「……軽々しく喋りすぎだな、言霊使い。お前みたいな奴に『井戸』のことを喋り回ってもらっちゃ困るんだよ」

「こわいこわい! やる気満々、って感じだねえ?」

「悪いが逃す気はないぞ。お前らにはここで消えてもらう」


 標識の、棒を握る手に力が込められる。


「君の方こそ随分余裕かましてるけど……『背後がガラ空きじゃない?』」


 何気なく投げかけられた言葉に含まれた言霊。

 目の前の敵から目を背けることなど致命的な隙を晒すことに等しい。

 それなのに、標識は後ろを振り返ってしまう。

 同時に小男の袖口から、拳銃が生えるようにして現れる。

 銃声。


「バベル所属、13秘匿騎士が一、『唆しインタイス』のギムレット」


 狙いは過たず、標識の延髄目掛けて銃弾は襲いかかった。


「一瞬隙ができればそれでいいんだ。人間を殺すのに魔法なんていらない。コレで十分だからね」

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