第3話 万書館/イドの守り手(3)

 今や誰もが携帯電話を持っていて、電話ボックスになど目をくれる者はいない。

 だから、第三高校の脇にある電話ボックスが僅かに虹色に輝いたのを見ていた人間はいなかったし、誰も入っていかなかったそこから長身の男が出てきたことにも、誰も気付かなかった。


「あー、こりゃひどいわ」


 胸元に燦然と輝く一時停止のマークの描かれたTシャツを隠すようにして、標識はコートの前をしめた。


「このあたり全域か? 見境もなくまーよくもこんな大規模な魔法使っちまって。ほんっとお粗末だなこりゃ……『焦燥フレット』と、『風説ルーモア』だっけか。出来は悪いが」

『うわ。相変わらず馬鹿げた魔法探知だ。なんでわかるんだよ、変態。魔法マニア』


 独り言のように漏らした言葉に、宙から返事が返ってくる。

『糸電話』と呼ぶ、通信魔法。

 情報の伝達を司る魔法使い、『郵便屋』の魔法だった。


「普通わかるだろ、こんなにわかりやすいのに。戦士の勘だ」

『普通わかんないの。なんか魔法を使われてる、ってのはわかっても、どんな魔法が作用してるかとか、術者の力量までわかるのは変態だよ。ホントどうなってんのさ』

「……お前まーた試してやがったな。あ、ロクに情報よこさなかったのはそれか」


 標識は、先程の雑すぎる郵便屋の態度、その意図にようやく気づいたとばかりに手を打った。


『当たり前だろ。僕らは感覚なんて不確かなものに依存するわけにはいかない。標識のそれ、確かに今の所必中に近いレベルで当たってるけど……再現性がないんだよ! 君という特異な才能に、頼り切っているようじゃ、僕らはいつか窮地に立つことになる』


 真面目なことを言う郵便屋に、標識は眉を寄せた。


「本音は?」

『何言ってんのかわかんないからムカつく!』


 郵便屋の元気な返事を無視して、標識が何気なく宙に手をかざすと、風に吹かれて、一枚のチラシがふわりと飛んできた。

 面倒そうにそのチラシを眺め、そこに描かれた文面を見て大きなため息を吐いた。


『呪屋ばべる 憎い相手を呪っちゃおう! 嫌いな人消します ↓そいつの名前は何て名前?』


「決まりだな」

『……センスなさすぎじゃない? なにこれ、呪っちゃおうって』

「そうじゃねえよ。バベルってあれだろ。あの、アレ。悪魔がどうとかいう、外の奴らだ」

『正解。ほんっと、可愛げがないよね、標識って。せっかく隠してたのに即バレるし。ムカつく』

「隠すなよ」


 しごく真っ当なはずの標識の突っ込みに、しかし郵便屋は不満げであった。


『これじゃ、訓練にもなりやしない。標識が弱くなったらこいつらのせいだかんな』

「お前は俺を苦しめることに何らかの快楽を感じてるのか……?」


 標識は几帳面にチラシを折りたたむと、ポケットの内にしまいこんだ。

 

「さて、こっちの目星はあらかたついたし、先に焼失を見つけちまおう」

『えー、そっち優先しちゃう?』

「楽に片付くことは後回しだ。こいつは見つけられたがってる」


 そう言って、標識はポケットを一度叩いた。


『それも戦士の勘?』

「そうだ」

『脳筋め』


 郵便屋は簡単な標識の返事をばっさりと切り捨てた。

 そして、気を取り直したように話題を変える。


『にしても、焼失の行きそうなとこねえ。アテがあるの?』

「それは俺の台詞なんだが……ちゃんと仕事しろよ、ナビゲーター」

『僕は郵便屋だしー。宛先調べるのは僕の仕事じゃないもん』


 そんなじゃれ合いのようなやり取りを続ける二人。

 しかしそれを傍から見ても、ただただ長身の男が不機嫌そうに表情を歪めているだけにしか見えない。

 郵便屋の声はもちろん、標識の声さえ聞こえない。

『郵便屋』の魔法は、情報伝達の支配である。

 その力を持ってすれば、今のような普通の会話でさえ、指向性を与え、外に漏れないようにすることができた。


「まあ、とりあえず心当たりをあたってみるさ」


 標識の足取りは、そう言いながらも半ば確信を持ったものだった。




 薄暗い喫茶店の中は、しかし閉塞感というよりはどこか安心のできる空間だった。

 それは、僅かに漂う香ばしい珈琲の香りのせいだろうか。

 あるいは、意識の俎上を滑るような絶妙な音量で流れる、音楽のせいだろうか。

 店の真ん中のテーブルに、男が一人座っている。

 先ず何よりも特徴的なのは、その眼だった。

 人を射殺すような視線、という表現がそのまま似合うような、あまりにも尖すぎる眼光。

 どこかくすんだ灰色に輝く髪に合わせたように、灰色のシャツを着ている。


「音楽はいい」


 標識が店に入ると、それを待っていたかのように、男は口を開いた。


「楽譜を焼いても、CDを焼いても、歌ってるそいつを焼いても、音楽はなくならない。そういうものだけが本物だ」

 

 そして、手元のマグカップに口を付け、目を閉じるとゆっくりと味わう。


「珈琲も同じだ。豆を焼いても、ここのじじいを焼いても、なくならない。素晴らしいものだ」

「それがサボりの言い訳かよ、焼失」

「サボってない」


 焼失と呼ばれた男はしごく真面目な表情でそう答えた。


「俺は真面目にやっている」

「なら、糸電話を焼くなよ! 連絡が付かないだろが」

「嫌だね。あいつうるせえし」

「嫌だねじゃねえよ、ガキかお前は」


 焼失はぷいとそっぽを向いて珈琲を口にした。


「喫煙スペースがねえんだよ、あの塒には」

「塒言うな。『館』が泣くぞ。つうかねえよ、お前の喫煙スペースはこの世界のどこにも。お前は煙草を吸うな」

「火種を確保する合理的な理由だよ」


 標識は、火をつけようとした焼失の手からライターを奪い取ると、焼失の胸ポケットに突っ込んだ。


「またいつもの『捜し物』か?」

「捜し物だ」

「……お前が直接出て探さなくてもいいだろ」

「信用できねえな。郵便屋、あいつは万書館のためになるなら、ためらいなく俺から『それ』を隠す」


 そう言って、焼失は席を立つと、小銭をテーブルの上に並べた。


「その郵便屋がお前を捜してたぞ」

「あー? またぞろ雑用押し付けられるのがオチだろ」

「もう押し付けられてる」


 標識はそう言って、ポケットから折りたたんだチラシを取り出した。

 焼失がそれを受け取ると、開くこともせずにチラシに火が付き、あっという間に焼け消えてしまった。


「おい! 焼くなよ!」

「仕方ねえ。晩飯の買い出しは俺が行ってやる。さっさと片付けてこい」


 それだけ言って、有無を言わせぬ速度で、焼失は喫茶店から出ていってしまった。

 標識はため息を吐いて、テーブルの上の小銭を店主に手渡した。

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