第19話 天仙道の賢人会議 エピローグ
「何もできなかった。俺は……ただ見ていただけだ。羽原さんの言った通りですよ。あの子は消えないトラウマと、『肉の魔女』の呪いを受けたまま、生きていかなきゃいけない」
黒首はそう言って力なく笑った。
曲輪木は、そんな黒首の手を取った。
そしてぎくりと身体を強張らせる黒首の目を真っ直ぐに見つめる。
「傷はいつか癒える。魔法の原理に従って、死者を生き返らせることはできないが、君は彼女の命を救ってくれた。ありがとう、本当に」
「でも」
「それに、羽原は『解呪』の専門家だ。彼女にかけられた呪いも、そう遅くないうちに解かれると思うよ。それもこれも、君のおかげなんだ」
「……そう言っていただけると、俺も救われます」
「ああー、そういう堅いのはナシにしよう!」
曲輪木はそう言って、笑顔を見せた。
「実は私、真面目な空気は苦手なんだよ。もっと気安く接してくれて構わないんだけど?」
「いや……恐れ多いっていうか、つーか手、離しません?」
「そーだ! 連絡先交換しよ?」
「話聞いてます?!」
強引な曲輪木に押し切られるような形で、黒首は曲輪木に連絡先を教えることになってしまった。
とはいえ、相手は天仙道のトップ。
その気になれば自分程度に連絡する術など、いくらでもあるはずだった。
だからこれは、つまり……
「よし! これでもう私たち、友達だよね!」
「押しが強すぎる……」
そういうことなのだろう。
黒首は、天仙道のトップという強力な人脈を得たというよりは、気の置けない友人ができたことを素直に喜ぶのだった。
曲輪木が黒首を見送った後。
「何をしてるのかと思ったら、君が鼠に芸を仕込んでいるとはね」
不可視の結界に居るはずの曲輪木に、外から声をかける者がいた。
「朽網。 彼に魔法を使ったろう」
不可視とはいうものの、曲輪木の結界は、それ以上のものである。
世界を切り取り、独立した空間を形成するに等しい超絶の魔技―――それを看破されたことに、しかし曲輪木はまるで動じていない。
「必要だと思ったからね。危機管理が薄すぎるよ、君は」
「彼が我々を害すると?」
「鼠に知恵は必要ない」
物陰から貼り付けたような笑みを浮かべながら、和装の男、朽網が現れた。
曲輪木はそれを無視して、歩き出す。
朽網は音もなくそれについて歩く。
「頭の働かない覗き屋は不要だ」
「随分とアレを買っているじゃないか」
朽網は口元を扇子で隠した。
「そんなにまでしてアレを手懐ける必要があるのかい? 我々には沼園という目があるじゃないか」
「沼園は、我々の目じゃない。天仙道の目ですらない。卜部の目だ。我々が見ているのか、我々が見られているのかわかったもんじゃない」
「それは曲輪木が天仙道に翻意あり、ということでいいのかな?」
「我々の歩む道が天仙道だ」
曲輪木は朽網に向き直る。
「本題を言え、朽網」
黒首と話していた時の、少女のような表情は欠片も見られない。
不要なものを切り分けて、削ぎ落としたように、その顔からは一切の感情を読み取ることができなかった。
「天下の曲輪木家、その当主があんな三流の魔法屋を手駒にする必要なんぞなかろう?」
「私は本当に、彼と友人になりたいと思っただけだ」
「なるほど。友人ね。友人友人友人、ゆ、う、じ、ん。ンンー。いい言葉だ」
朽網は何度も友人という言葉を口にする。
そして口元を歪めながら、扇子を広げた。
「いい言葉だ。友人。今までに一度だってあったこともない、存在すら知らなかったような、羽原の分家の娘とだって、友人だったような気がするよ、僕もね」
「嘘はついていない」
曲輪木の言葉を聞いて、朽網の唇がさらに歪む。
「白々しい嘘はやめろよ、曲輪木。僕に嘘は通用しない」
「誘いが見え透いているぞ、朽網。そんな挑発に私が乗ると侮ったか」
屋外であるはずなのに、その空間からはいつの間にかあらゆる音が消え去っていた。
張り詰めるような空気を崩したのは、朽網だった。
「軽い挨拶じゃないか。そんなに警戒しないでくれよ」
そう笑ってみせる。
まるで先の緊迫感などなかったかのような振る舞いに、毒気を抜かれたように曲輪木は息を吐いた。
「その安っぽいブラフが君の挨拶だというなら、以後私に挨拶は不要だよ、朽網」
「言葉に安いも高いもない。使えるものはなんでも使う、それが言霊使いだ」
「奇遇だね、私も使えるものはなんでも使うんだ。安い情も、白々しい嘘も」
曲輪木はそう言って、どこからか手の内にじゃらりと碁石を取り出した。
「置石の意味を口に出す者はいないだろう。だから、私が彼をどう置こうが、君の知るところではない」
その指の先には黒い碁石が挟まっている。
朽網は両手を上げて首を横に振った。
「いやはやごもっとも。その通りだね」
「用がないなら私は帰りたいのだが?」
「世間話だよ、曲輪木。せっかく集まったんだし、会話を楽しもう」
「言霊使いと会話を楽しむ? 無理な相談だね」
素気無い曲輪木の態度にめげることなく、朽網は笑顔を向ける。
「僕もよくよく、嫌われたものだ。きみが靡いてくれさえすれば、天仙道は僕らのものだというのに」
「僕ら? 僕、の間違いだろう」
「あの無能の化石ども、卜部なんぞにいいように使われているのは、いい加減納得いかないだろう? 優れた力を持っているものが人の上に立つべきだ。それは僕や君であって、奴らではない」
「おべんちゃらを言いに来たなら、私は帰るよ」
「卜部の奴らが賢人会議に来ないのは、未来を見る力が失われつつあるからだ」
突然出てきた確信的な物言いに、曲輪木は一瞬、言葉を失った。
「……それは、卜部が攻撃を受けているということか? 私の施した結界は無事だし、エヴェレット干渉も感知できない」
「そうじゃないよ。君の有能は疑うべくもない。未来視という魔法自体の限界が近づいているのさ」
曲輪木が何も言わないのを愉快そうに眺めながら、朽網は更に言葉を継ぐ。
「卜部に内緒で、君のとこにも何人か抱えてるだろ? 未来視」
「うちは結界が専門だ」
「『うちは結界が専門だ』なるほど、嘘はないな。だが、いるはずだよ。未来が見えなくなった未来視が、君の子飼いにもいるはずだ」
見透かすような物言いに、曲輪木は眉を顰める。
曲輪木の表情を変えられたことがそんなに面白いのか、朽網はいたずらを成功させた子供のようにくつくつと笑う。
「確認したんだ。僕の子飼いの未来視を。そしたらわかったよ。来年の夏より先を見れる未来視がいないんだと」
歌うような調子で、朽網はそう言った。
「存在しないものを見ることはできない。世界の終わりは、すぐそこなのかもしれないね」
「今回の『報復』が、関係していると言いたいのか?」
「さあ。未来を知る術のない僕にはなんとも」
そう言って、朽網は踵を返した。
話すべきことは話した―――
そう言わんばかりの態度だった。
「未来予知ができない天仙道が、この先も覇権を握り続けるには……それなりの準備が必要だ。些事にかまけて大局を見失うなよ、曲輪木」
「そちらこそ。下らない企みもそこそこにしておくことだな。朽網」
「僕はそんな悪いことはしないよ。なるようになるさ」
そう言って、朽網は去っていった。
誰に向けるでもなく、曲輪木は一人呟いた。
「嘘吐きが」
「いいや。僕が言った言葉が真実になるのさ」
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