第18話 天仙道の賢人会議(4)
「あーーーマジでほんっとマジで、災難だったぜ」
「そうだね。君には大変迷惑をかけた」
魑魅魍魎の集う賢人会議からなんとか逃げ帰ることができて。
黒首が、気を抜いてしまったのも無理はない。
それでも、普段通り。
影のネズミを周囲に配して、魔法現象には人一倍気を配っていたはずだったのに。
市庁舎から出て、とぼとぼと歩く自分の隣に、いつの間にか女が立っていることにも気づけなかった。
「うわッ!」
「いや、全く申し訳なかった。どうにも気難しい人間ばかりで大変なんだ。まったく……奴らに変わって謝罪しよう」
そのまま頭を下げる女の顔を、黒首は知っている。
団子に結った髪型……曲輪木家当主代理。
まさか、自分を追いかけてくるなんて。
「ああ、すまない。移動の時は不可視の結界を張る癖がついているんだ。どうにも後ろ暗いようで恥ずかしいんだが、我々には熱心なファンが多くてね」
困ったものさ、と肩を竦めてみせる。
その身体は半分、透けてしまって見ることができない。
「話しながら歩こうか」
「いいんですか」
「何が?」
「俺なんかと……話してて、とか。お供も付けずに」
何せ、あの天仙道のトップの一人である。
命を狙おうという不逞の輩は決して少なくないはずだし、何より、黒首自身がそういう企みを持っていないとも限らないのに。
「ウチはその辺ドライでね」
曲輪木はひらひらと手の平を振って答えた。
「必要なことは自分でやれ。死んだらそいつが弱かった。そんなもんだよ。私の座を取って代わりたいという身内も山ほどいるし、わざと警備を薄くされてるっていうか……まあめんどくさいんだよね、いろいろ」
(知りたくねェーーー!)
偉い人の身内騒動の情報など、黒首には使いこなせない厄ネタである。
知っているだけで身の危険が降りかかるようなことを、知らされるのではないか?
「ああ、心配は要らないよ。どうせ外からは見えないし、聞こえない」
曲輪木はそう言って、右手を上げた。
白い碁石が二つ、指の間に挟まっている。
「二人ぶん、ね。ここは今、世界で一番安全な空間だと、私、曲輪木顕の名の下に誓おう」
そう言って、曲輪木はウィンクしてみせた。
黒首は、ネズミを通して自分達を眺めてみて、その言葉が正しいことを知る。
まるで何も見えない。
そこには人の姿も気配も声もなく、影や気配も存在しない。
魔法現象が発生している時の、僅かなエヴェレット干渉痕さえも、確認することができなかった。
「なんで、あの……まだ何か、俺に用ですか」
「単純に聞きたかったんだ。あの子を見て、君がどう思ったのか」
その口調に、普通以上の感情を感じ取り、黒首は眉をあげる。
「アイリ。彼女は私の数少ない友人でね。私はこういう立場だ、外でも内でも、言葉に衣を着せねばやっていけない。本当に気の置けない友人というのは、ほとんどいなかったんだ……」
そうこぼした曲輪木の顔は、巨大結社のトップのそれではなく、ありふれた、年頃の少女のように儚く、傷つきやすいものであるように見えた。
黒首は答える。
「俺は……俺は彼女を、助けられませんでした」
「あークソ、本当に乗り込む奴がいるか? 時計塔だぞ? あの『肉の魔女』のホームだぞ!? 死ぬ、絶対死ぬ……死ねるならまだマシだ、あのクソったれの『働き蟻』にされちまうのは、絶対御免だ!」
時計塔周辺は、大きめの自然公園になっていた。
夕暮れ時を過ぎると一気に暗くなるこの辺りには、不自然なほどに人気が少ない。
そんな中、黒首は、小声でぶつぶつと己の内心の葛藤を吐き出していた。
「行きたくねえな……でも、目覚めが悪ィだろ、あんなただのバカなガキを、むざむざ見殺しにすんのは……ああ、でも! 『肉の魔女』だぞ!? 死にたいのか、俺は!?」
『肉の魔女』の情報は、高く売れる。
それだけ恨みと、恐怖を買っているからだ。
かの魔法使いの悪評は、魔法使いなら子供でも知っている。
人間を資源のように使い潰す、最低最悪の魔法使い。
死ぬより酷い目にあうという事がどういう事なのか、実例を持って示し続ける、邪悪の極致にいる魔女。
『影鼠』を付けた蔵部和馬が時計塔の内部に潜り込んだのは、『肉の魔女』の情報を得る千載一遇のチャンスであった。
黒首が迷っている間にも、蔵部和馬は勇敢に最上階にたどり着く。
『肉の魔女』謹製の戦闘端末を数秒の内に打ち倒したのを、和馬の影に潜ませておいたネズミを通じて、見る事ができた。
(『肉の魔女』に目をつけられるだけのことはある)
しかし、それだけである。
戦闘端末を倒せるレベルの身体操術の使い手ならいくらでもいる。
それは、蔵部和馬が選ばれる理由にはならないはずだが―――
そこまで考え至ったところで、黒首は見てしまう。
和馬の目を通じて、影のネズミが感知した、『肉の魔女』の姿を。
その瞬間、胃の中身が急激にせり上がってきて、黒首は盛大に吐き出した。
(なんっっっだあの化けもんみてえな呪いの数は!!)
美しい。
確かにそうなのだろう。
蔵部和馬も、赤面している。
それはそうだ。
あれは、『肉の魔女』は……美しく見える呪いを、十重二十重に被せ続けているのだから。
見るものの美的感覚に侵入し、改竄し、掌握するような、呪いの群れ。
二重に間接的な観察にまでも影響を及ぼす、圧倒的な『気持ちの悪さ』に、黒首は身体の芯が震えるのを感じた。
(無理だ。逃げよう)
それまでの葛藤など完全に忘れ去って、黒首は素早く決断した。
蔵部和馬に付けた『影』は失われてしまうだろうが、どうでもいい。
今すぐここから、逃げ出したい。
黒首が立ち上がり、駆け出した瞬間。
大音量と共に、時計塔展望台のガラスが割れた。
呆けていたのは刹那だった。
落ちてくる人影を見た瞬間。
逃げ出したかったはずの脚は、いつの間にか時計塔に向かって走り出している。
「くそが!」
何かに向かって悪態を吐く。
それは恐らく自分に。
見ていることしかできなかった、己の非力さに―――
蔵部和馬に付けていたネズミを引き剥がし、塔の上から飛び降りさせる。
物理法則に従わない影のネズミは、塔の壁面の影を伝って、一瞬で落ちてくる少女の身体に潜り込んだ。
「止まれ!」
黒首の声に応えるように、少女の影が爆発的に増殖し、幾又もの触手のように枝分かれした。
影が時計塔の壁面に突き立つようにして、落下の勢いを削ぐ。
しかし、足りない。
僅かに撓んだ影の触手は、次々に千切れてしまい、少女の身体は再び宙に投げ出される。
黒首の渾身の魔法は、ほんの少しの猶予を稼いだだけにすぎなかった。
「ふんっ!」
黒首は自分の影を編み、網を作る。
乱暴にそこかしこに貼り付けたそれは、すぐに千切れてしまう。
しかし、確実に落下の勢いを削いでおり。
なんとか少女を、抱きとめることに成功したのだった。
「おい、大丈夫か、」
そして、見てしまう。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいカズくんカズくんカズくんごめんなさい」
この世の全てに見放されたように虚ろな目をして、ひたすらに謝り続ける少女の目を。
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