第17話 天仙道の賢人会議(3)
「俺の魔法は『影鼠』。自分の影を使役する魔法です」
黒首が手をかざすと、袖のあたりの影が千切れ落ちるようにして剥落し、机の上にのっぺりとしたネズミの影が現れる。
「これで、市内の魔法反応を探ってネタを仕入れてます」
「へえ、かわいらしいね」
曲輪木は目を細めて机をとんとんと叩いた。
ネズミは動かない。
というか、動かないように黒首が制御していた。
「ネズミか。下賤な貴様に相応しい」
羽原は腕を組んだまま鼻を鳴らした。
黒首は手元のコップで唇を湿らせた。
「えっと、それで。その日は、妙な中学生が駆け込んできて。『肉の魔女』直筆の召喚状を持ち込んできたんです」
「ははあ。話が見えてきたね。つまり、羽原のご令嬢はその中学生に巻き込まれたってわけだ」
朽網が額を扇子で叩く。
軽い音が、重い空気の内に響き渡る。
「ならその中学生。そいつの一族郎党までに『報復』を?」
「横入りが多いな、君たち。まずは彼に話の続きを。そうだろ?」
沼園の物騒な提案を、曲輪木はこともなげに跳ね除けて、黒首に続きを促した。
「おそらくは。俺が目を離した僅かの隙に、その中学生――蔵部和馬は、俺の事務所から駆け出していきました。それなり以上の身体操術の使い手です」
「フン、どうだか。『目を離した僅かの隙』? それは本当に僅かだったのか?」
「『肉の魔女』が興味を示すくらいだからねえ。それなり以上っていうのに偽りはないんだろう。嘘の気配もしない」
またも落雷のような破裂音。
曲輪木が、碁盤に石を叩きつけた音だ。
「続きを。そうだろ?」
羽原が鼻を掻き、朽網が扇子を広げ、顔を隠す。
(もうやだ、こええよこの人たち)
黒首は泣きそうになりながら、続きを省略して口にする。
「一応、そいつにはネズミを一匹付けておいたんで。後を追って……まあ、時計塔にいるのはわかってたんですが。それで、近くから中を『覗いて』たら、上からご令嬢が降ってきた、というわけです」
「それをヒーローよろしく、受け止めたってことか。いやはや、見た目にそぐわずなかなかの体力をお持ちのようだ」
「俺も、フリーの魔法屋やってる以上はそれなりに荒事に巻き込まれることは多くて」
朽網は遠慮のない視線を、黒首の細い身体に向けてきた。
「隠さなくていいじゃないか。何かあるんだろう? 君の魔法、ただ覗き屋のネズミを出すだけじゃあなく……」
「ありがとう、黒首くん。概ね我々の把握していた通りだった」
蛇のように追求しようとする朽網を、曲輪木が遮った。
「魔法暴きはマナー違反だぞ、朽網。彼は天仙道の魔法使いじゃない。善意の協力者なのだから」
「仰せのままに」
朽網は仰々しく礼をしてみせる。
曲輪木は芝居がかったその仕草に色のない視線を向けた後、碁盤に軽やかな音を立てて石を置いた。
「さて。黒首くんの証言も得られたことだ。概ね事件の経緯については把握できただろう。次に報復範nhgasutjgangambufimgjxfxjkdah」
突然。
曲輪木の言葉が理解のできないものに変わって、黒首は目を見開いた。
違う。
言葉が理解のできないものに変わったのではない。
自分が変えられたのだ、ということに気付く。
(そう。ご明察だ)
耳元で囁かれるようにそう囁かれて、黒首は思わずそちらを振り返る。
しかし、誰もいない。
声は、忍び笑いを含むような調子で、黒首に語りかける。
(曲輪木は妙に君を信用しているようだが……僕は臆病者でね。君みたいな得体のしれない魔法屋に、うちの内情を知られるわけにはいかないんだ。
隔絶した実力の魔法使いの、魔法の影響下に立っていることを、今更ながらに自覚して。
黒首は、足元が崩れ落ちるような恐怖に苛まれた。
ああ、チクショウ。
なんで俺は、こんなところに来てしまったんだ。
(そりゃあ決まってる。危機感もなく、ふらふらとやって来るように招待したんだから。
黒首は戦慄する。
招待状。確かに読んだ。
しかし、そこに込められた魔法反応は、それこそくまなくしっかり検分したはずだ。
危機感を失わせる、本能さえも掌握してしまうレベルの、強力な呪いを、見逃すはずがないのに。
言霊使い。朽網の魔法。
ここまで『言葉』を支配してしまうものなのか。
ここまで『言葉』だけで支配してしまうものなのか。
そして同時に、不安は否応なしに募っていく。
朽網がこんな、種明かしをするその理由について、どうしようもなく思い巡らせてしまう。
それは、つまり、このまま自分は――――
(ああ。そんなことはしないよ。この会議が終わったら君は無事に帰れるとも。僕、
「――奉野には後で私から連絡を入れておこう。それでは、賢人会議を終了する」
言葉が戻ってきて、黒首はどっと汗が吹き出してくる感覚を取り戻したことに気がついた。
緊張で身体はがちがちにこわばり、口の中はからからに乾いていた。
そういった感覚の全てを、意識できないほどに余裕を失っていたことに、改めて気付かされる。
黒首が朽網にふと目をやると、唇に人差し指を立てて笑った。
黙っていろ。
それがそういう意味だということは、言われなくてもわかっている。
(何が表彰だ。ほとんど恐喝、捜査みたいなもんだったじゃないか)
心の内で何度目かのため息を吐いて、黒首は一礼し、逃げるようにして退室した。
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