第16話 天仙道の賢人会議(2)

 観音開きの扉の向こうには、既に四人の人間が円卓の席に着いていた。

 上座に近い席に座っていた女が立ち上がると、黒首に向かって微笑みかけた。


「やあやあ。急な召喚に応じてくれてありがとう。ご足労すまないね。曲輪木家当主代理、曲輪木顕くるわぎあきらだ。よろしく。さ、かけてくれたまえ」


 曲輪木。それはつまり、ありとあらゆる結界を司る、最強の結界魔法使いの一家。

 その当主代理が、こうまで若い女だとは――


(おちつけ禄郎。下手な詮索をするなッ! お前は何も知らない、知る必要はない!)


「し、失礼します」


 商売上ついた観察癖を恨めしく思いながら、黒首は頭を下げて入り口に近い末席に腰を下ろした。

 黒革張りの椅子は驚くほど柔らかく、しっかりと黒首の身体を支えてくれた。

 椅子の座り心地を楽しみながら、黒首は油断なく、円卓の向こうに座った女に視線を向けた。


 頭を団子に結い、柔和な笑みを浮かべている。

 幼子のように無垢な微笑みとも海千山千の老獪な笑みとも思える表情からは、本心の一端すら掴ませない。

 年齢不詳。黒首の頭にそんな単語が浮かんだ。

 全身を黒いスーツに包んでいるパンツルックだが、黒首とは違ってシワ一つない。

 黒首はちらと視線を落として、自分の服のシワを伸ばそうか逡巡して、小さく首を振ると、再び視線を元に戻した。

 彼女の目の前、机の上にはなぜか、立派な碁盤が置いてあった。

 黒首の視線に気づいたのか、曲輪木は碁盤にちらと目をやった。


「おやおや、もしかして君は、打てる口かい?」

「いえ、ルールもわからないです」

「それは残念だ」


 そう言って曲輪木は笑った。


「さて。先の事件、最大の功労者である君を呼びつけるようになってしまって申し訳ないね」

「……いえ、俺は褒められるようなことは、何も」


 過るのは、全てを奪われた少女の瞳。

 黒首は胸を刺す痛みを自覚しながら、正直に己の感想を述べた。

 曲輪木家の当主は、さも愉快そうに笑みを深くした。


「欲のない男だな、もっと己を誇示して恩を売ってもいいものを! 君が助けた少女は、我らが天仙道の最古参が一家、羽原家のご息女なのだよ。なあ、羽原の」


 曲輪木はそう言うと、円卓につく男に視線を向ける。


「そうともそうとも、羽原の家を代表して礼を言わせていただこう。ええと、クロカベくんだったかな? おかげでうちの分家の娘は、二度と消えぬトラウマと、『肉の魔女』謹製の呪いを抱えながら、苦難の生を送ることができるよ。ありがとう」


 にこやかとは言い難い表情でそう言ってのけたのは、高級そうなスーツに身を包んだ恰幅のいい中年の男だった。

 羽原の代表を名乗った男は、多分に険の含んだ眼差しを黒首に向けて注いでいた。ゴテゴテとした飾りのついた指環を幾つも填めた手を組んで、まるで対話を拒絶する壁のように、身の前に置いている。


「あっはっは、ありがたいだなんて思ってもいないくせに。嘘はいけないよ、嘘は。魔法使いなら、口を慎むことだね」


 嫌悪を隠すつもりもない羽原家代表、その横に座る和装の男が、扇子で口元を隠しながら軽薄そうに笑った。場にそぐわない、不自然なほどに滑らかな口調に、流麗すぎる発声であった。

 狐のような目は、何がおかしいのか笑みの形に歪んでおり、どこを見ているのかわからないほど細められていた。

 羽原は片方の眉だけを上げてみせた。


「方便といってくれたまえ。君ならわかるだろう、朽網君。天仙道の賢人になんとか恩を売ろうとする輩というのは絶えぬものでね。正直、毎度毎度煩わしくて仕方がないのだよ」

「もちろんわかるともさ、羽原どの。つまり君は、この探偵どのが君に何かを要求しに来たのじゃないかと怯えているわけだ」

「私はそんなものに怯えはしないがね、ただただ迷惑しているのだよ」


 目の前で行われる応酬、それに多分に含まれた棘に気づけないほど、黒首は愚かではなかった。思わず声を荒げる。


「俺は! そんなつもりじゃ」

「『うるさいな』」


 朽網と呼ばれた和装の男が顔を顰め、ついと扇子を持った腕を振ると、黒首の声が中断した。

 中断。不自然に、唐突に、まるで、その一瞬で声の出し方を忘れてしまったかのように、唐突に、音が掻き消えてしまう。


「そんなに大きな声を上げなくても言葉は伝わるよ、探偵どの。言葉には言霊が宿る……君も知っているだろう? 僕は特に敏感でね、無粋な大声は苦手なんだ。お静かに願うよ」


 玉の転がるような美声は変わらないはずなのに、そこには有無を言わせぬ圧力が含まれていた。

 朽網。

 天仙道最強の言霊使い。

 その特殊な魔法体系の一端をその身をもって実感した黒首は、背筋に浮き出る汗を感じながら首を何度も縦に振ってみせた。

 朽網は満足そうに一度頷いた。


「はは、そんなに何度も頷かずとも大丈夫だよ、探偵どの。『もう声は出る』からね。君が声を荒げたくなるのももっともだ」

「まあ、私はクロカベくんがそうだと言っているわけではないのだがね。少ないが、幾らか包んでおいた。これを持って礼とさせてもらうよ」


 羽原は懐から厚い封筒を取り出すと、ついと円卓を滑らせた。

 封筒はゆっくりと回転しながら卓上を滑り、黒首の目の前でぴたりと止まった。


「つ、謹んで、受け取らせていただく……きます」


 やりきれない思いを胸に押し込みながら、黒首はその封筒を受け取った。

 声が出せるようになったことに、安堵しながら。


「さてさて、あらかた紹介も済んだようだし、卜部は来ないようだ、会議を始めよう」

「ん? 他の連中は来ないのかい?」


 紹介というにはいささか刺激の強すぎるやりとりを尻目に、暢気に手を叩いてそう宣言した曲輪木に向かって、朽網が尋ねる。

 黒首は不揃いに席の空いた円卓を横目で見やった。確かに四つほど、席が空いている。


「今日は黒首くんもいるし、通常の議題ではないからね。射手矢の爺様、奉野なんかは呼んでいない。卜部は……卜部が来ないということは、必要がないということだろうさ」

「なるほど、雑用は僕らに任せるということか。優雅で結構なことだ」


 二人の会話を聞いて、黒首は小さく息を吐き、胸を撫で下ろす。

 下手をすれば、彼女を無事に救えなかったことで、口封じでもされるのかと心配していた黒首であった。

 あの悪名高い、『邪視』の射手矢や、『呪詛』の奉野が来ないのであれば、そうそうそんな展開にはなるまい。

 そう、思った黒首の耳元で、


「今、安心したな?」


 粘り着くような低い男の声が響いた。


「舐められたもんだな、三流。射手矢と奉野がいなければ、我ら天仙道の魔法使いは脅威ではないと?」


 首元には何か硬いようなものが突きつけられているが、それが何だか判別することができない。見えているはずの、感じられるはずのそれが、あやふやにぼやけている。

 黒首は内心で己の迂闊に舌打ちをした。完全に手の内だ。認識阻害の魔法。諜報と暗殺に特化した魔法だった。扉を開けた時、確かに四人を確認したはずだったのに、何時の間にかその存在すら、忘れさせられていた。


「席に着きたまえよ、沼園の」

「己は舐められるのが嫌いでなァ。貴様みたいな平和ボケした若僧なら尚のことーー」


 突然、雷の炸裂したような大きな音が会議室に鳴り響く。


「座れ」


 それは曲輪木が碁盤に手元の碁石を置いた音だった。


「石の分際で私を煩わせるな」

「……申し訳ありません」


 一転、素直な謝罪と共に、男の姿が明瞭なものになってゆく。

 くたくたのビニールのジャンパーに、ジャージ姿。

 肌には生気がなく、痩せぎすの不健康そうな男が、黒首の横に現れた。

 沼園と呼ばれた男は黒首を見ると、鼻を鳴らして黒首の隣の席に着いた。


「さて、今日の賢人会議の議題は、どのようにして羽原のご令嬢が攫われたか、認識の共有。そして、報復範囲の決定だ」


 何事もなかったかのように、笑顔に戻り、会議を始めようとする曲輪木。

 やはり、並ならぬ魔法使いというものはどこかズレている。

 黒首の内には既に、並ならぬ心労が嵩んでいた。

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