第15話 天仙道の賢人会議(1)
古部市庁舎のすぐ隣、古部市民病院の裏手。
大通りから一本裏の道に入るだけでそこには、地方都市らしい閑散とした空気が漂っていた。
そこに、ふらりと一人の男が歩いてくる。
随分と年季の入ったジャケットを着て、皺だらけのスラックスを履いた、黒尽くめの青年。
生まれてこの方手入れされたことのないような、乱雑に散った縮れ毛は、普段の彼を知っているなら、今日は少し努力の痕が見られなくもない仕上がりだ。身体の線は細く、どこか儚げな印象すらある。
黒首探偵事務所所長。
探偵、黒首禄朗である。
道の端にはタクシーが止まっており、中では運転手が顔に新聞紙を乗せて眠っている。
黒首はそれをちらと傍目で見ると懐から封筒を取り出した。
封筒を逆さに二、三度振って、中から白い便箋と安っぽいキーホルダーを取り出す。
デフォルメされた猫のキャラクターを象ったビニールのキーホルダーには、黒の染料で大きく『くろこべ』と描かれていた。
黒首は何度か便箋の上に目をやると、運転席側の窓を強めに三度ノックした。
音に反応して運転手がもぞもぞと動く。新聞紙が運転手の腹の上に滑り落ちた。
「市庁舎まで」
「……あ? 何言ってんだ兄ちゃん」
運転手は寝ぼけ眼で窓を開けると、不機嫌さを隠そうともせずにそう言った。
「市庁舎なんざすぐそこだろう。え? 馬鹿にすんなよ、兄ちゃん。まさか、そんなイタズラのために人を起こしたってのか? ああ?」
「市庁舎まで」
凄む運転手の態度をまるで意に介さず、黒首は再びそう口にした。
運転手の瞳に不穏な色が宿る。
そこにはもはや、敵意と言っていいほどの熱が浮かんでいた。
「おいおいおいおい。人を虚仮にするのも大概にしろよ、兄ちゃん。なあ、もっぺん言ってみろや。あ? ただじゃァすまさんぞ、ああァ!?」
運転手は語気を荒らげると、乱暴にドアを開けてゆっくりと車外に出た。
向かい合って立つと、運転手は黒首よりも二回りほど大きい。
白いワイシャツの上からでも、その上半身が厚い筋肉に覆われているのがわかる。
運転手の怒気は、昼下がりの涼しげな空気を焦がさんばかりに膨れ上がっていた。
肉厚の拳は静かに、しかし白く硬く握り締められ、目の前の黒首に振るわれる準備が済んでいる。
そんな運転手の様子など柳に風、といった調子で黒首は、
「三度目は市庁舎までとは言わないよ」
と言うと、手に持っていたキーホルダーを運転手に手渡した。すると、運転手は、
「ようこそ、お待ちしておりました クロコベ 様」
と今までのやりとりなどまるでなかったかのように、途端に表情を消してそう言った。
「こちらへどうぞ」
運転手はまるで割れ物でも扱うかのように丁重にキーホルダーをしまい込むと、ドアを手で開け、恭しくお辞儀をして見せる。
その動きは熟練の奉仕者のように洗練されており、声色は無礼でない程度に感情が廃されていた。
先程の不機嫌で粗暴な振る舞いは欠片も感じられず、まるで別人のようであった。
黒首が無言でタクシーの中に乗り込むと、運転手は音もなくドアを閉めた。
乗り込んだ車内、後部座席の足元には、大きな穴が空いている。
外から覗き込んだくらいでは見えないように隠されたその穴の端には、下へと続く金属製の梯子が設置してあった。
地獄の底までも続くかのような長い長い梯子を一瞥すると、黒首は僅かに鼻を鳴らし、梯子に触れないよう注意しながら、穴の中に身を滑らせた。
底知れない深さを持つように見えた穴は、実際には3m程の深さで、黒首はよろけながらもなんとか着地した。
魔法屋にしては身体能力の高くない黒首であったが、それくらいの運動神経は探偵の嗜みである。
穴の底は奇妙な弾力があり、着地の衝撃で身体を痛めないよう、配慮がされているらしい。
床の感触を確かめるようにして、足踏みをしてみる。
ゴムとも粘液ともつかぬその感覚をしばし確認し、黒首は何らかの魔法的処理がなされている、と判断した。
つまるところ、正体不明である。
落ちてきた穴を見上げれば、梯子のあったはずのところにはびっしりと赤く輝く符札が貼ってあり、梯子など影も形も存在していなかった。
(おそらくは、幻術だな)
上から見る者には、そこに梯子があるように見せるという魔法がかかっていたに違いない。
黒首は口に出さずにそう考えた。
赤々と禍々しく輝く符印がどのような効果を持っているかはわからないが、攻撃的な呪いが込められていることは想像に難くない。
どれもこれも、一流の魔法使いの手による、恐るべき警戒装置であった。
何かを言いたげに半ば開けられた口を自ら抑える。
『余計な言葉は一切発しないよう留意されたし』
先の便箋に書かれていた警告を思い出し、黒首は小さく頭を振って、まっすぐ伸びた横穴を歩きだした。
横穴は緩やかに下ってゆく。
通路の中はどこから照らしているのか仄かな明かりに満ちており、歩くのに不便はなかった。
どれだけ歩いたろうか、なだらかな通路の行き止まりに、小さな矢印の描かれたボタンの付いた壁があった。
矢印は下を向いている。
黒首はボタンをつまむと、回して上向きに変える。カチリと音が鳴ったそれを押すと、目の前の壁が横にスライドする。
中は、ごくごく普通のエレベーターだった。黒首が乗り込んで、七階のボタンを押すと、ドアはひとりでに閉まり、エレベーターが上昇しはじめた。
「はあ。趣味悪ィ仕掛けだこと……お偉いさんの考えることはわからんぜ」
どこか気を張ったような表情を浮かべ、口を噤んでいた黒首は、内の緊張を吐き出すように深い深いため息をついた。
式神の門番に、幻術の罠が仕掛けられた穴。
最後のボタンに至っては、子供の考えた悪ふざけにしか思えない。
とはいえ、その機能は本物であろう。
何も知らぬ人間では、決してこのエレベーターまで辿り着くことはできないはずだ。
何も知らされていなければ、何らかの魔法罠にかかって、地獄に落ちたほうがマシなほどの呪いを受けることになっていただろう。
ここまで厳重に守らねばならないもの、それに思いが至り、黒首は更に一度、ため息をつく。
市庁舎七階への道筋の書かれた封筒が黒首の下へ届いたのは、今朝方のことだった。
天仙道の賢人会議への召喚状。
先の時計塔での事件について表彰し、ついては話を二三お聞かせ願いたい、と文面には書いてあった。
表彰。それはいい。
しかし、天仙道と言えば、この近辺、古部の大霊脈地域では最大の魔法結社だ。
その賢人会議というのは、結社の重鎮が集まって行われると言われている、最高意思決定機関に他ならない。
派閥のしがらみなどから距離を置いた、フリーの魔法屋である黒首ですらその存在を知っている、魔法使い達の頂点。
『未来視』の卜部。
『結界』の曲輪木。
『言霊』の朽網。
『解呪』の羽原。
『邪視』の射手矢。
『呪詛』の奉野。
どれもこれもが、国家レベルで世界を揺るがしかねないような、魔法使いの名家である。
「マジでそんな大物が、集まって会議なんかしてんのか? つーか、そんな奴らが俺の表彰って、冗談キツいぜ……はあ」
都合何度めかのため息と共に間抜けな電子音が鳴り、エレベーターの扉が開いた。七階。廊下の窓を見やればそこは、紛れもなく古部市庁舎の中であった。
廊下の先には重厚な造りの扉が一つだけ備え付けられていた。扉の横には給仕の格好をした女性が、目を閉じて立っている。
「お待ちしておりました、黒首様。どうぞ、中へ」
そう言うと、目を閉じたまま給仕は扉を引いて開けた。
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