第11話 古武術使いと肉の魔女(5)

 和馬の家には、小さいながらも道場がある。

 蔵部流は門外不出、一子相伝の技術であったから、門下生こそ居なかったものの、その看板を賭けて道場破りがやって来ることが稀にあった。

 そして、和馬が知る限り、父が負けることは一度もなかった。


「ふう、弱くて助かった」

「なんでそんな弱気なんだよ父さん。あっしょーだっただろ!」

「私が強いんじゃないよ、和馬。相手が弱かったんだ」


 禅問答のような答えに、幼き頃の和馬は納得できない、とばかりに頬を膨らませた。

 そんな和馬を見て、父は頭に手を置いて笑った。


「けれど本当に強い使い手が来たら、父さんは負けてしまうかもしれない。もしお前が一人前になる前にそうなったら、この人を頼りなさい。きっとお前の力になってくれる」


 そうして、一枚の名刺を懐から出して――――




 その名刺を片手に、和馬は町外れの雑居ビルにやってきていた。

 見るからに裏びれた空気のビルの中には、人の気配がまるで感じられない。

 二階に上がると、わざととしか思えないほどにボロボロの看板が吊るしてある扉があった。

『黒首探偵事務所』

 和馬は少し躊躇ってから、扉をノックした。


「どうぞ」


 くぐもった男の声がドア越しに聞こえてきた。

 中の声がダダ漏れの探偵事務所に不安の色をより濃くしながら、和馬は扉の中に入った。

 事務所の中は、外見と比べてはるかにまともな空間になっていた。

 もともとの部屋が狭いのか、やけに家具が密集していることを除けば、いかにも事務所、といった様子の室内である。


「なんだガキかよ。ここはガキの来るところじゃねえ。帰りな」


 入るなり出迎えた男は、ヨレヨレのジャケットを着て、シワシワのスラックスを履いた、覇気のない男だった。

 髪は生まれてこの方手入れされたことのないような乱雑に散った縮れ毛で、身体の線が細く、どこか儚げな印象すらある。

 まるで頼りになりそうもない風体の男を見て、和馬は浮かんだ疑念を振り払うように、頭を振った。


「父から、困ったことがあったらあなたを頼れと言われてきました。名刺を預かってる」


 和馬が名刺を差し出すと、男はひったくるようにしてそれを受け取り、訝しげに眺めた。


「あん? おや、マジだよ。俺の名刺だ」

「俺の家が襲われて、大切な人が攫われたんです。お願いです、力を貸してください!」


 和馬はそう言って、深々と頭を下げた。

 しかし、反応がまるでない。

 長い長い沈黙が続き、和馬が下げた頭をそっと上げてみると、男は和馬のことを色のない視線で見つめたまま、縮れ毛の頭を掻いていた。


「……あんなァ、クソガキ。依頼したいんだったらまず自己紹介の宣誓をしてくれよ。どこ所属のどちらさんだ、お前は」

「古部一中、二年三組、蔵部和馬です……」

「誰がてめえの学校聞いたんだ。所属を言えよ所属を。どこの結社だ、お前」


 男は大袈裟に呆れた素振りをしてみせる。

 しかし、その視線はますます鋭く、和馬の頭を射抜かんばかりになっていた。

 初めて向けられる殺気にも似た視線に、和馬は言葉を失った。

 そもそも、何を言っているのかわからない。所属だの結社だの、一体何のことなのだろうか。


「結社って、なんだよ、それ」

「おいおい、仮にも魔法屋が結社のことも知らねえわけねえだろ。どこの所属だ、お前。所属なしか? まさか蟻塚のクソ蟻じゃねえだろうな? あん? どこの魔法屋なんだよ?」


 魔法。

 和馬はそんなファンタジーめいた単語が急に出てきたことに驚いた。

 人を殺しそうな視線を投げかけておいて、何をふざけているのか。

 和馬は腹立ちを自覚し、それを抑えることもやめた。

 丁寧な言葉使いを崩して、男を笑う。


「ハッ。いい大人が真面目な顔して魔法とか結社とか言って恥ずかしくないのか? なんだよ魔法って。そんなもんあるわけないだろ」

「今、お前何つった?」


 男は、まるで信じられないものを見るような目で和馬を見ていた。


「魔法なんか使えるわけないだろっつったんだよ!」

「……んだよ、どこぞの刺客かと思ったらマジもんの素人かよ。あー焦った……」


 それまでの殺気はどこへやら、男は力なくソファに座り込んだ。

 その態度の変わりように、和馬は更に苛立ちを募らせた。


「人の話はマジメに聞けよ!」

「聞かねえよ、うるっせえなあ。デカイ声出すな。お前んち、魔法屋じゃねえんだろ?」

「そうだよ! 由緒正しい古武術の道場だ!」

「古武術ゥ? ああ、あーあーあーあー、蔵部ってアレか。操身魔法使って古武術だとかなんとか謳ってる、フリーの魔法屋か。いたいた、そんなの。あー、そうかそうか、調子乗った中学生ってのは、お前か。はは」


 男は、何かに納得するように、しきりに頷いている。

 その態度の一々が、和馬の神経を逆撫でする。


「お前らさあ、一般人相手に魔法使ってドヤ顔すんのってどうなんだ? 恥ずかしくねえの?」


 へらへらと笑っている男を、和馬は強く睨みつける。

 蔵部流を馬鹿にする奴は、許して置けない。


「だから、魔法じゃない! 蔵部流の技は、積み重ねた鍛錬と技術の結晶だ!」

「武術極めたってな、おめーみてえなロクにトレーニングもしてねークソガキが、50m5秒で走ったりなんざ出来ねえんだよ。アスリートの人に謝れ」

「なん……!」


 反射的に言い返そうとして、投げかけられた言葉に含まれる意味に気づいて、和馬はしばらく言葉を失った。


「……なんでそれを知ってるんだ」


 木下を凹ませるために走ったのは、今日の午前、体育の授業でのことだ。

 それを、この男は、どうして。


「馬鹿な中学生が今日学校で魔法使って調子に乗ってた、なんてことは、調べる気がある奴なら誰でも知ってるぜ?」

「調子に、乗ってなんかない」

「ま、そうでなくてもこの街で起きた魔法事件のことなら、大抵のことは耳に入るようになってる。だから俺はこういう商売してんだよ。わかるか?」


 そう言って男は厭らしい笑みを和馬に向ける。


「だったら! ウチが襲われたのも知ってるんだろ!」

「あー? 知るかよそんなの。俺は魔法事件専門なの。まずは警察に相談しろよ」

「警察に電話通じなかったからここに来てんだろ!」

「通じなかった? 警察に、か?」

「電話したのに、全然関係ない奴が出て、余計なことはするな、指示に従えって言われて……」

「なんだそりゃ……広域通信妨害、いや、通信収奪の魔法か? こんなド素人相手に? 情報は来てないが、いや……」


 和馬の言葉の途中で、男は一人、何かを確かめるようにブツブツと呟き出す。

 何やら単語の端々が聞こえてくるも、その意味はさっぱりわからない。

 男のにやにや笑いはいつの間にか消えていた。


 切れかけた天井の蛍光灯が点滅する。

 男の影が蠢くようにして、濃淡を揺らがせた。

 不可視の圧力が、空間を僅かに歪ませたようにすら感じた。


「古武術、蔵部流、道場。お前の家は、古部町枝垂坂、3-1-27だな?」


 突然告げられた住所に、和馬は心臓が跳ねるのを自覚した。


「なんでわかるんだよ」

「答えろ。この・・家が、お前の家だな? 襲撃を受けたっていうのは、玄関に死体が転がってて、中は泥と血でめっちゃくちゃに荒らされてる、この・・家だな?」


 それはまるで今、その光景を目の当たりにしているかのような物言いだった。

 それでも、有無を言わさぬ迫力に、和馬は頷いてしまう。


「そうだけど……」

「なるほど、なるほど」


 男は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、指で机をせわしなく叩いた。


「俺の『網』を抜けて、まァ随分と派手にやらかしてくれたもんだ……確かにこいつは魔法屋の仕業だ。しかも、クソッ! このレベルの隠蔽が入ってるってことは、かなりヤバい案件だぞ、こりゃあ……」

「なんで、何も見てもないのにわかるんだよ」

「黙ってろ。おい、電話の相手は指示に従え、と言ったんだな?」


 男に、もはや出会った時の軽薄な態度はどこにもなかった。

 だらしない身振りや、頼りなく見えた細い身体からは、歳経た老木のような圧力が噴き出していた。

 和馬は完全に、気圧されてしまう。


「あ、ああ」

「その声は、抑揚のない、ロボットみたいな声だったか?」


 そのとおりだった。


「そうだ、けど。なんでなんでもわかるんだよ……」

「最悪の想像をしてんだよ。そして今のところ全ヒットだ……そんで、お前は、その指示とやらを、受け取ったのか?」

「たぶんコレだけど、開かないんだよ」


 和馬は胸ポケットから封筒を取り出した。

 木下の死体が捧げるようにして持っていた、白い封筒。

 何の変哲もないそれは、触れてみれば確かに紙の質感であるのに、どうしても、破ることも、切ることもできなかった。

 光にかざして透かしてみようとしても、文字が見える様子もない。


「あんた、魔法使いなんだろ、開けてくれよ」


 和馬が封筒をひょいと投げると、男は瞬間、椅子をなぎ倒し、まるで虫を投げつけられた女子さながらに飛び退った。


「うおおおおおおおおおい、ふざけんな!」


 椅子が派手にひっくり返り、後ろに置いてあった観葉植物の鉢が倒れる。


「何のつもりだ……! 変な呪いかかったもん投げるんじゃねえよ! 殺す気か!」


 あまりの反応の大きさに、和馬はつい謝ってしまう。


「す、すいません」

「あー、マジ勘弁してくれよ、寿命縮まった……」


 さっきまであんなに圧力を高めていた男が半泣きになっているのが少し滑稽に思えて、和馬は少し笑ってしまった。


「……魔法事件専門の探偵なんて言って、随分と肝っ玉が小さいんだな」

「無知が故の蛮勇なんてのにゃァな、何の意味もねえんだよクソガキ。相手は海千山千の魔法使いだぞ。呪いの『の』の字も知らないお前が、知ったようなこと言うんじゃねえよ」


 和馬の軽口に、忌々しそうに答える男に溜飲が下がる。


「んで、開けられるか?」

「開けられるかじゃねえよ。やりゃあ開くからお前がやれ」

「だから、あかないんだって」

「こういうのは、関係ない人間が下手に触ると、どんな呪いをもらうかわかんねえんだよ。魔法を使うように……そうだな、お前のその『古武術』の型だと思って開けてみろ」


 まだ封筒を避けるようにしている男を横目に、和馬は封筒を手に取った。

 言われたとおり、調息し、蔵部流の技を使うつもりで、ひと息に封筒の口に力をかける。

 封筒周りの空間が歪み、ごく普通に紙が裂ける感触を残して、封筒はその口を開けた。


「なんだ、今の」

「エヴェレット干渉だよ。魔法によって捻じ曲げられてたこの世の理を、世界そのものが修復する歪みだ。お前そんな原理のとこから知らないのかよ」


 知るか。

 そんなものは聞いたこともなかった。

 中には便箋が一枚入っていた。

 表面にはシンプルな書き文字でただ一文。



  時計塔でお待ちしております



 と書かれていた。


「時計塔……古部駅前の、時計塔か!」


 和馬は駆け出そうとして顔を上げる。


「最悪だな。考えうる最悪のケースだ。最悪。最悪だぞチクショウ」


 和馬の目の前で、深刻そのものといった表情をした男の額にはびっしりと油汗が浮かんでいた。


「こりゃ間違いねえ。『蟻塚の主』『時計塔の首魁』……『肉の魔女』直々の召喚命令だよ」

「『肉の魔女』? 何だそれ。変な名前」

「あいつの『名前』なんざ口にしたらどんな呪いがついでに降りかかるかわかりゃしねえ。二つ名持ちってのはそういうことだ。アレは絶対に関わり合っちゃいけねえ魔法使いだ」


 和馬は家の惨状を思い出す。

 確かに、あれは正気の人間のやることではない。


「そんなに強いのか」


 男は大きなため息を吐くと、物言いたげな視線で和馬を見つめた。


「お前の思ってる『強さ』なんかに意味はない。魔法使いの戦いは、強さを競うわけじゃねえんだ」

「どういうことだよ」

「戦うってことは、存在を賭けてやりとりするってことだ。負ければ全てを失う。死ぬほうがマシだよ」

「だけど俺には諦められない理由がある!」


 そう。

 和馬にとって、羽原アイリは全てだった。

 失うくらいなら、それこそ死んだほうがマシというくらいに。


「ああ、攫われたとか言ってたな。家族か?」

「父さんも捕まってるだろうけど、幼馴染が捕まってる。あいつ、家で料理を作ってたはずなんだけど、いなくなってて」

「こんなことは言いたくねえけどな、まず、諦めろ」


 和馬の言葉を遮るようにした男の声は、今まで聞いた中でも一番に、冷たい響きだった。

 その言い様に、和馬は声を荒げてしまう。


「アイリと父さんを、見捨てろっていうのか!」

「お前の家族と幼馴染は既に人間とは言えないモノにされちまってる。それがなんであれ、ロクでもない何かにな」

「そんなこと……無事かもしれないだろ!」

「あり得ん。相手は、『肉の魔女』だ」


 どこまでも温度の低い男に、和馬は更に感情が昂ぶるのを感じる。

 しかし、男の口調には、有無をいわさぬ響きが合った。


「奴は人間使いのスペシャリストだ。奴は人間を、自分の端末に変えちまう。端末になった人間は、人間の皮を被った働きアリみたいなもんだ。奴の命令一つで、人攫いもすれば・・・・・・・誰かの家をさん・・・・・・・ざっぱら荒らし・・・・・・・たりもするし・・・・・・自分で自分の首・・・・・・・を抉り取るよう・・・・・・・な自殺だってして・・・・・・・・みせるだろうさ・・・・・・・


 和馬は家で濁った笑みを浮かべながら死んでいた木下を思い出した。

 あれを、木下が自分でやったとしたら。

 その上で、あんな緩んだ笑顔のまま、死んでいくなんて。

 そんなものはもう、人間ではない。

 背筋が震える。と、同時に、想像してしまう。

 もしアイリが、そんな事になったら、俺は。


「何のために……そんなことしたんだ。俺に用があるなら、直接俺を攫えばいいだろ」

「何のためにって、その手紙に書いてあるだろう。お前に会うためだ。後はそうだな、暇つぶしみたいなもんだ」

「おまけって、なんだよそれ。暇つぶしでアイリと父さんをさらったって言うのか」

「そうだな、後は、無駄にしないためかな? 奴にとって、人間は資源だ」

「ふざけてる……!」


 思わず漏れた言葉を、男は肯定する。


「そう。ふざけてるんだよ。奴にとってその程度のことは、お遊びでしかない。奴が興味を持ってるのは、お前が使うような身体操作魔法と、未来視魔法だけだ。お前に何の用があるかは知らんが、まあ十中八九その『古武術』とやらに興味があるんだろうな。ガキが調子に乗って簡単に魔法なんか使うからそういうことになるんだよ」


 なんだって。


「なんだよそれ」


 和馬は昼に言われた、アイリの言葉を思い返す。


『ダメだよ、簡単に魔法を人前で使っちゃ!』


 それじゃあ。


『見る人が見ればわかるんだからね!』


「二人が攫われたの、俺の、せいってことかよ……!」

「……ま、相手が相手だ。遅かれ早かれの問題でしかない」


 男は肩を竦めてそう言ってみせた。

 それはしかし、誰も慰めることのない言葉でしかなかった。

 沈黙を無理やり破るようにして、男は手を叩いた。


「とにかく、帰る家もねえんだろ。今日はここに泊まっとけ」

「助けに、いかなきゃ」

「無理だっつってんだろ。布団出すから待っとけよ」


 そう言って、男が背を向ける。

 和馬は黙って机の上の便箋を掴むと、足音を消して事務所を出た。

 走る。誰よりも速く。

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