第4話 遠い約束


「最近のー。寝れんのんよ。」


「ほぅ。なんで?」


高校卒業して、東大阪市の小さな貿易パーツ工場に就職した兄貴が、初めての夏期帰省で、久々に再会した第一声がそれだった。


見ると確かにやつれている。

ってか、痩せていた。


元々兄貴はかなり小柄で、俺の半分くらい。笑

身長は150センチ。体重は45キロくらい。ガリガリではなかったが、卒業時はおそらくそれくらいをキープしていたはず。

それがたぶん30キロ台後半くらいになっていた。


「なんか身体悪いん?」


「いーや。ビールも美味いで?」


兄貴は心底しんどそうな顔をしながらも、ビアカップを勢いよくあおった。


今夜は二人で向かい合って、久々の再会を祝って、こじんまりと酒宴をしていた。


兄貴とは3歳違い。

兄貴が卒業して、入れ代わりに俺が入学って感じだった。

高校は同じとこ。

考えたら、いつも兄貴の背中ばっかりを追いかけてたな。


兄貴は俺と違い、話術も巧く、交遊関係も広く深く、いつでもみんなの笑いの中心に住んでいた。


人嫌いで、犬としか心を開かなかった俺とは、遥かに人間としてのステージが違った。

いつも俺の憧れで、目標。


そんな兄貴の弟である俺は、兄貴の同級生たちから、実の弟のように可愛がられて育った。


「なんかのー。寝ようとしたら、足がムズムズし出して寝れんのんよ。毎日ぞ?ぶち眠たいのに、目をつぶったら途端にムズムズし出すんじゃ。水虫とか痛風ちゃうで?まぁ病院も行ってはみたけどの。痛くも痒くもないんよ。なんちゅーか…こちょばしいんよ。」


「こそばゆい?笑うくらいか?」


「おー。こそばいいんよ。笑うくらい。」


「……ほぅ。」


その後、

帰省中はまったく何もなく無事に寝れたらしい。

大阪に戻ったらまた始まったらしく、あんまり酷いって言うんで、俺が兄貴のアパートを見に行くことになった。


地下鉄深江橋駅徒歩5分。

阪神高速高井田インター徒歩5秒。笑

風呂なしトイレ共同の四畳半。

家賃は破格の9,000円。


「いや、なんかあるやろこれっ?!」


着いて俺の第一声がそれだった。笑

部屋の入り口はフスマだけで、鍵は引っかけるだけのヤツ。

向かいのおっさんは精神病。

横のじいさんは痴呆で、放火歴2回。


「お前なんか修行中か?‼」


「いやー。慣れるもんやで?」


結局、着いてすぐに出たくなったので、二人で王将で餃子食って、銭湯に行って、大阪見物をして、部屋には夜中2時くらいに戻った。


「明日仕事じゃけぇ寝るけど、何も居らん? この部屋大丈夫?」


「…ほぅじゃね。精神と時の部屋くらいの不快さ満点じゃけど、霊的にはまったくクリアなもんやわ。」


「ほうか。ならえぇんや。これで安心して寝れるわ。さんきゅな。」


「おう。」


そして、二人で寝た。



一時間くらい寝た頃だろうか?


不意に全身の毛が逆立った。

鳥肌も。


兄貴を見ると苦しそう。

こりゃヤバい系かも。

と、数珠を握りしめて起き上がると


兄貴の足元に白い塊が見えた。


あぁ。間違いなくこの世のものではないなぁ。


そう確信して、数珠を構えて早九字を切った。瞬間。


か細い声が頭に響いた。


「…ふぇんちゃん?」


確かに俺の名前呼んだ?!

そして、

なんか俺がよく知ってる声。


「えっ?誰?」


思わず聞き返してた。

なんか

全身逆立ってるけど、ぜんぜん危機感感じてなかった。


「…ふふ。ヤスオミだよ?ふぇんちゃん久しぶりじゃね?」


「えっ えっ?! やすっ……やすくん?! なんで?!」


「……うーんとねー。ケンちゃんとの約束を果たしに来よったんよ。」


この優しくやわらかな感じ。

間違いなくヤスオミくんだ。


小学3年の頃に小児性筋ジストロフィーという難病を発症し、長い長い長い闘病生活の末、一昨年、兄貴たちが高2の夏に亡くなったヤスオミくん。


どんどん身体の筋肉がなくなっていく恐ろしい不治の病に、いつも笑って真っ正面から立ち向かってた。

幼い頃からの兄貴の大親友で、兄貴たち同級生は、発症してから盆正月関係なく、毎日欠かさずに、やすくんちに行っては励ましてた。


俺もヤスくんにはいつもいつも可愛がってもらって、自慢の兄貴のひとりだ。


「ケンと?約束?」


「…うん。約束したんだ。ケンちゃん気づいてくれてたかなぁ?」


「何を気づくの?……って、俺がおるけぇ、たぶんケンとも直接話せるよ? ちょっとケン起こそうわ。こらケン起きんさい!! ヤスくん来とるで?!」


「……え………はぁ?何を言いよるんなら?…え…や…えっ? 幽霊?!」


後ろに飛びずさる兄貴。

俺は笑いながら兄貴の肩を掴んで

ヤスくんに向ける。


「ヤスオミくんやったんよ。ムズムズの正体。俺が肩持っとってやるけん喋ってみ。なんか約束しとったらしいで?」


おそるおそる白い塊に向かって話す兄貴。

俺が持っとるから、見えるし聞こえるはず。


「……ヤス…か?」


「ふふふ。そがいに恐がらんでえぇやんケンちゃん。」


「…幽霊なんか初めてじゃけ、ほりゃぁ恐いわ‼」


「約束守りに来よったんよ?気づいてくれた?」


「……約束?……したっけ?」


「ひどいなぁ。僕はちゃんと覚えとったのにー‼」


「す すまんっ‼ 」


「…いいよ。ケンちゃんとまた話せて嬉しかった。ふぇんちゃんにも逢えた。約束も守った。想い残したことは無くなった。僕はもう行かないけんから行くよ? ケンちゃん。もしまた逢えたら、また友達になってね? 楽しかったよ‼ありがとう。幸せだった。」


「ヤス‼ ありがとな! またな!」


それを聞いてから

白い塊はふんわりと天井に浮かんで、蒼白く光って、消えた。


それから兄貴とふたりで、笑いながら朝まで泣いた。


ビールグラスを3つ出して、朝までずっと。



翌日俺はフェリーで広島に帰った。


帰りしな、弁天埠頭まで送ってくれた兄貴から、ヤスくんちへ渡してくれと線香代を受け取った。


俺は確かにと、受け取ってフェリーに乗り込んだ。


デッキに上がり、下で見送る兄貴に聞いてみた。


「約束。結局なんやったん?」


兄貴は本当におかしそうに笑って言った。


「死後の世界や幽霊なんて信じないってヤスがずっと言うから、じゃぁ、どっちか先に死んだほうが、化けて安眠妨害しようや。ってな?ははは。俺の勝ちー!」


俺もお腹から笑って、兄貴に手を振って別れた。



この件は、俺としては、すごく考えさせられた貴重な一件になった。


あんなにはっきりと話せると知ったのは初めてだったし、何よりも、ヤスくんが言ってた、


「また逢えたら、また友達になってね。」


これが本当なら、

報われる魂がもっとたくさんあるかもしれない。



今でも、ずっと、

この自慢の兄貴たちの再会を心から祈っている。



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