第3話 しがみつく男
これは21歳か22歳の夏の話です。
当時つき合っていた彼女と、その友人と、西宮スタジアムで行われたTUBEのライブに出かけた帰り道。
彼女と彼女の友人の家が、兵庫県の北のほうだったので、ライブ終わってごはんして、西宮から2時間ほどかけてのんびりと送って行ってる時でした。
俺の当時の車は、TOYOTAのマスターエースサーフ。
室内もかなりゆとりのある車で、長期間の旅にもへこたれないいい車でした。
兵庫県北部の丹波市というところにある、遠坂峠に差し掛かった時、突然軽い衝撃と共に、車から異音がしました。
ゴゴゴゴ ガガガガ
なんだか乾いた異音。車が軽く揺さぶられるような衝撃。
でも、朝からエンジンは抜群に調子がよく、遠坂峠くらいの勾配じゃぁ問題もなくスイスイ走る車でした。
なんだろう?
一応スピードを緩め、路肩に停めて足回りやらエンジンルームやらをチェックしてみましたが、何ら異常無し。
彼女たちも楽しそうにライブの話で盛り上がっていたので、水を差さないように黙ってまた走り出しました。
少し走ると、遠坂峠の登り口に位置する、「熊野神社」の看板を越えた辺りで、また衝撃と異音がしました。
今度は明らかに大きな揺れ。
横に大きく揺さぶられたので、彼女たちも短く悲鳴をあげました。
「何?今の?どうしたん?」
彼女が助手席から不安そうに俺の顔を見たので、俺も大丈夫って言おうと、彼女のほうをちらっと向いた時でした。
助手席側のサイドミラーに何かが見えました。
何か動くものが写ってる。
途端に背筋に鳥肌。
全身の毛が逆立った。
「はぁ?!」
俺は何だか判らないまま、身体に来てるいつもの兆候に確信して、左手の数珠を手解きました。
停まってはいけない。
絶対に停まってはダメだ!!
身体中がそう言ってました。
必死に峠をずっと走りながら、俺の様子に不安そうな彼女と友人に、少し笑いながら声だけかけました。
「今からちょっとわけわからんこと唱えるけど、お前ら目を瞑って絶対に開けるな。揺さぶられても絶対に外だけは見たらいけんで?? 分かった??」
彼女たちは泣きそうな声で返事をしてから、うつ向いてぎゅぅっと目を閉じた。
それを確認してから、もう一度ミラーに目をやると、
身体?が千切れまくってグシャグシャでよくわからないけど、確かに男のひとであろう物体が、車の横に貼り付いていました。
鮮やかな真っ赤。血まみれなのはよく分かりました。
後ろに乗ってる彼女の友人のすぐ真横に、両腕らしきものを拡げて貼り付いて、中を覗いている。
入れないんだろう。そのまま腕らしきものを動かして、
彼女の居る助手席の窓のほうまで、モコモコっ モコモコっと移動してる。
俺はすぐに、陀羅尼経と呼ばれる退魔のお経を唱え始め、運転を続けながら左手に持った数珠で、外の血まみれの塊に向けて一生懸命、九字と言われる退魔の飛び道具の経言を、切り続けました。
車が倒れるかと思うくらい揺さぶられ、助手席の窓まで移動してきた男は、うつ向く彼女のほうを怨めしげに、1つしかない目で見下ろし、やがて九字と陀羅尼経の勢いに負けたのか、頂上付近で綺麗に消えました。
そのまま、和田山町まで走って行き、ローソン駐車場に車を停めて、
彼女たちに簡単に経緯を説明して、車をチェックして、帰路につきました。
それから何年もその遠坂峠を避けていたのですが、墓石の仕事で立ち寄った時に、その近所でお世話になってる住職に事情を話してみると、どうやらあの峠で無理心中をした不倫カップルがいたのだと。
男のほうは谷底で、獣にグシャグシャに食い荒らされた酷い姿で発見され、女のほうは奇跡的に助かり、今も健在だそう。
俺にしたらすっごい迷惑な話だったけど、今思えば、少しでも救いが欲しくて、俺のとこに出て来たんかなって思います。
申し訳ないけど、俺はそんなにやさしくないんです。
ごめんなさい。
でも、今では通る度に、ひと巻のお経は供えるようにしています。
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