おやすみクライン、また明日

きおた ゆう

第1話おはよう、クライン

 それは、とても暑い夏の日だったと思う。九時を知らせる置時計の音で僕は目を覚ました。椅子から立ち上がり、軽く伸びをする。関節が音を立ててあるべき位置へと動くのがわかる。それから首の後ろにつながるを切り離し、ふたを閉じて首をぐるりと回す。

「よし。」

 確認するようにつぶやいた。遠くを眺めてから、手元を見る。手首に『35』と書かれた数字。ぼやけたり二重に見えたりしていない。視界がどこかかけたりもしていないようだ。

「よし。」

 そうもう一度呟いて、僕は自分の部屋からでた。そろそろ彼女が起きるころだ。浴場から洗面器と洗いたてのタオル、水をいれたピッチャーを持ち僕は二階にある彼女の部屋に向かった。部屋に近づくにつれ、どんどんと廊下の温度は下がっていく。彼女の部屋からは冷気が漂っていて、扉は氷で開きにくくなっている。僕は扉を3回ノックして声をかけた。

「お嬢様、失礼します。」

 中から返事はない。いつも通りだ。ぱきぱき、と氷を割りながら扉を開ける。広い部屋にベッドが一つ。その横に椅子がぽつんと置いてあるだけの殺風景な部屋に彼女は一人、冬用の羽毛布団にくるまれながら気持ちよさそうに眠っている。椅子に洗面器を置き、僕は部屋のカーテンをあけた。窓は氷の結晶できらきらとしている。結晶の隙間から見える外は暑さでゆらゆらと揺れていて、それに合わせて蝉の声が聞こえてくる。空調もない部屋は外とは違い冷凍庫のような寒さ。しかしその寒さも先ほどよりは緩んできている。

「やっぱり。思った通りだ。」

 じわじわと結晶が消えていく。部屋が暖かくなってくる。彼女の額にじわりと汗が浮かんできた。僕はそれをタオルで丁寧にやさしくふき取った。起きてほしいけど、起こさないように。彼女の頬が少し赤くなる。眉毛と指がピクリと動いた。そして、んあぁ、という気の抜けたような声と共に彼女はむくりと起き上がった。

「おはよう、クライン。今日はとても暖かいのね。」

 こちらを見てにこりと笑う。それからはっとした顔をして布団にもぐりこんだ。

「私、今寝ぐせがひどいからあまり見ないで。」

 寝ぐせもかわいいのに。彼女の名前はレビン。この家に僕と二人きりで暮らしている。

「おはようございます、レビンお嬢様。」

 僕は布団を引っぺがす。

「ねぇ、今回は何日目?」

 布団を奪われたレビンははねた髪の毛を抑えながら不安そうな顔で僕を見つめる。

「短かったですよ。まだ夏にしかなっていません。」

 まぁ、と驚いた後、彼女は顔をしかめてこう言った。

「私、クリスマスの日に眠ったのよ。短いなんて嘘、つかないで頂戴。」

 ぷいっとそっぽを向いたレビンの頬を汗がなぞりおちた。



 レビンは『凍眠症』だ。『凍眠症』患者が眠ると3か月以上目が覚めないことがある。眠っている間は凍ったように時間がとまる。心臓も血液の循環も。そしてその周りも。周りは凍り、どんなに暑い夏だろうが、寒い冬だろうが半径10m以内のものは一定の温度に保たれ、劣化することなくどんな強い衝撃を与えられても傷がつくことはなくなる。それが『凍眠症』だ。ただし、自分以外の生物を除いて。原因はわからない。もちろん治療法も。彼ら彼女らは眠っている間歳をとらないうえに、髪の毛が青みがかった白になり、まるで天使のような姿になることから最初は『不老不死症』や、『天使の病』と言われ、うらやむ人もいた。しかしその名前はおかしいと声を上げた一人の患者によって、今の名前『凍眠症』という名前に落ち着いたのだ。



「ねぇ、クライン。私ってとても運がいいのよ。」

 レビンの背中を拭く僕に言う。少し長い凍眠のあと、レビンは必ずこういうのだ。

「私、ほかの凍眠症の人を知らないけど、こうやって起きても誰かがいるっていうのはとてもうれしいことなのよ。」

 小さな背中が少しだけ震えている。顔は見えないけど多分レビンは泣いている。僕がここに来るより前、起きたら両親の葬儀が終わっていて、この家に一人きりだったことがあったと前の前の僕が聞いた。その時のことを思い出したのだろうか。こういう時、僕はどうしたらいいかわからなくなる。僕はレビン以外の女の子を知らない。わからないから僕は腰まである長いきれいな彼女の髪をいつもより丁寧に、そして優しくとく。それから、

「僕なんかでよければずっといますよ。」

 と言ってみる。これで震えは止まり、彼女は笑顔で振り向き朝ご飯を聞いてくる。しかし、今日の彼女は振り向かなかった。

「そう、ありがとう。」

 少しだけ声が悲しそうな気もした。けど、僕はそれに深くは踏み込まない。ただ丁寧に静かにレビンの髪を結う。

「さぁ、できましたよ。」

 バレッタをぱちんとつけて声をかける。レビンはくるりと振り向き僕の右手を両手でぎゅっと持ち、満面の笑みでいった。

「本当にありがとう、クライン。」

 ずきり、と胸が痛んだ気がした。



 着替えるから、と言われた僕はレビンの部屋を出て、自室へと向かった。レビンの部屋が殺風景だといったけど、僕の部屋も負けず劣らず殺風景。部屋に椅子が置いてあるだけ。

「そういえば。」

 僕は胸のあたりをぎゅっと抑えた。レビンに嘘をついたからだろうか、それともただの不具合だろうか、さっきから痛みがおさまらない。そろそろこれも限界なのかもしれない。

「今日一日は持つだろうけど。」

 思わずため息がでた。部屋の椅子をひっくり返し、裏に手を掲げる。ぽうっという音とともに青い電子パネルが浮かぶ。

『35 活動限界? 念のため交換を要請』

 と打ち込み、元の場所に置く。とぷんという音がして、椅子が床へと沈んでいった。それから、また椅子は床からあがってきた。今度は僕と全く姿かたちが同じ眠った少年をのせて。

「クライン?どこにいるの。朝ご飯にしましょう!」

 二階でレビンが僕を呼ぶ。

「はーい!ちょっと待っててくださいね。」

 僕は、部屋を出て、扉に鍵をかけた。

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