悪王
王は、ベッドの上でうずくまっていた。それ以外に出来ることなどなかったからだ。部屋を出入りする扉にはその内外に見張りの兵が立てられているし、そんな監視への緊張と慣れないベッドの硬さは、睡魔を避けるに足る理由だった。それだけでも十分であろうに、扉の反対側に存在していたはずの扉は執拗なまでに木の板で塞がれており、ほんの僅かに陽光が漏れてくるのみだ。
「ああ!」王自身すら意識しない、けれど独り言にはあまりにも大きな声が、閉ざされた部屋の中に響き渡る。最初のうちこそすわ何事かと身構えてみせた兵士も、いまではすっかり慣れ切っており、いちいち王に視線を向けたりはしない。
「なぜ、このようなことになってしまったのか」
何度目かもわからぬ問いは、当然のように答えを持たない。
よろよろと塞がれた戸に近づき、その冷たい木洩れ日に手を伸ばす。小さくとも無遠慮な陽光が、落ち窪んだ顔つきと、頭部をぐるり一周するように不自然に跡のついたドロドロの髪を暴き立てる。
「なぜ……」
実のところ、王はもはや王では在りえなかった。かつてその頭の空白を飾っていた王冠は、幽閉の身にある王には知りえない誰かの頭上にある。
「なぜ、このようなことになってしまったのか」
答えはなかった。
あるいは王には気づけなかった。
ずっとその手の中にあったにも関わらず。
* * *
アシア王領は、ヤンパニア帝国を構成する領土の中でも、比較的小さな自治領である。古くはひとつの固有の国家であったが、帝国に下って久しく、王の代替わりも何度も経験してきている。アシア・ヤンパニア・ミスアは、第十二代アシア王であった。
どうにもそのような星の巡りであったのか、即位直後から領下は荒れ始め、ミスアの尽力もむなしく悪化の一途をたどった。
最初は、そう……騎士団だった。
帝国騎士と衝突があったのだ。互いに若い騎士の起こした事件であったが、怪我人も出てしまった以上、若き過ちとも流せない。聞けば、衝突の原因は、互いの騎士団の管轄する地域にやや重複する部分があったためらしい。
「なんと、そんなことであったか。ではアシア騎士の警ら範囲を狭めればよいではないか。騎士たちの労力の削減にもなる」
というか、そもそもなぜ管轄圏に重なりがあったのだ? 不合理極まる。これまでの王はいったい何をしていたのか。
「陛下、お待ちくだされ。そもそも我が寮の騎士たちは」
「うむ、うむ。私は真に騎士と民を尊ぶ良き君主となろう。早く取り掛かれ」
「しかし……」
「さて、次は……なんだ、まだいたのか。いいか、私が帝都で学んだことといえばだな」
まったく、宰相の旧態依然ぶりにも困ったものだ。各騎士団への通達はつつがなく行われ、アシア王領の一部は、帝国騎士が納めることとなった。その多くは国境外縁部であり、アシア騎士の派遣に係る費用は予想以上に浮くこととなった。もちろん、そのほとんどは国民のため道路の整備費へと充てた。真の王はせせこましい横領などしない。ただ、ワインの一杯くらいだ。
しかし、なぜかそれから領土が荒れ始めた。帝国騎士の管轄となった地域のそれはまだわかる。大方新兵でもよこしたのだろう。しかし、研修地扱いとは無礼な、などと怒ってもいられない。なぜなら治安の悪化は領土の内側でも起こっていたからだ。単純に取り締まり事案が増えただけではなく、取り締まりのミスも目立っていた。すなわち騎士団の失態だ。折角休みを増やしてやったというのに、それにかまけて日々の職務すら怠慢となるとは、なんと愚かな。
「ああ! なぜこのようなことになってしまったのか」
「……王よ。失礼ながら、よろしいでしょうか」
「もちろん、構わぬぞ」
「では、私めからひとつ……」
「騎士団を通じ、各騎士に命じよ。三か月のうちに一定の手柄……うむ、そうさな。十人といったところか?」
「は……?」
「三か月に十人。嘆かわしいがいまの事件の数であれば致し方なかろう。おお、住人と十人が掛かって気持ちが良いな。さて、三か月に住人の拘束を行わないものは、職務怠慢として減給。それでも続くようであれば、罪人としてひっ捕らえよ」
「お、王よ。それはあまりにも。そうではなく、むしろ……」
「うむ、うむ。愛する家臣の意見は大切にしよう。しかしそれはそれとして、王としてやるべきことはやらねばなるまい。違うか?」
「……然様でございますか」
宰相は背筋をピンと正して玉座を去っていった。気合いが入ったようで何よりだ。
施策のほうも、効果は劇的だった。騎士たちは我先にと手柄を求めるようになり、検挙者の数もうなぎのぼり。これで領土の平穏は守られた。それでは、平和に乾杯。
しかしそれでも国民の乱心は収まるところを知らず、ついには暴動にまで発展しはじめる。平和から遠ざかり、道路は割り砕かれ、不遜にも王の肖像を焼くものすら現れた。明らかに度が過ぎている。これは騎士団程度では手に負えないに違いない。
「おお、なぜこのようなことに……宰相! 宰相は何をしておるか!」
「……お呼びでしょうか、王よ」
「貴様いままで何をしていた!?」
「王よ、これはおそらく最後の機会かと。民たちの……」
「そうとも! 民たちが一線を越えてしまってからでは遅い! 民たちもこのようなこと、本意ではないはずなのだ。それが一時の感情で罪を犯し、生涯を罰されていくなど、心が痛む。騎士団、騎士団と……それに帝国騎士だ! 帝国騎士にも応援を要請しろ!」
「私の話を」
「そのような場合ではなかろうが! 早くせい!」
「……承知いたしました。では、そのように取り計らいましょう」
「どいつもこいつも話にならん……誰か、私の心を理解してくれる人間はいないものか……」
「…………」
背を向け退室する間際であった宰相が、ぴくりと足を止め、静かに王に振り返る。
「いるわけがなかろう、そんなもの」
そして、あろうことかそんな暴言を言い放った。
「な、き、貴様……! 王に向かってなんだその態度は! ──そうか。思えば貴様は最初から私の話を素直に聞き入れもせず、話し合いの場すら持つことがなく……さてはすべて、すべてお前の仕業だな! 我が愛すべき領国に入り込み、其を崩壊させんとする患賊め! 騎士よ、誰ぞあるか! 至急参じ、この悪逆非道を拘束せよ!」
幸いにして、四方から扉を開け放って騎士たちが駆け寄ってくる。
「よく来た、お前たち。宰相だ、宰相こそが諸悪の根源であった! とく!」
しかし宰相は四人の騎士を前にしても眉ひとつ動かさず、そればかりか氷のように冷ややかな視線をたたえて、呟くようにその場に言葉を落とした。
「……ゴズウィン。ニアール。ベルカ。オルフェ。王を捕らえよ」
「な──!」
それは王にとって、文字通りに天地が逆さまになるかのような一言であったが、さらなる驚愕を招いたのは、四人の騎士が王ではなく宰相の命に従ったことだった。すなわち、王はその両腕を固められ、床へと押し倒される。
「仮にも王だ。丁重にしろ」
「申し訳ありません、ホクマー閣下。これはどちらに連行すればよいでしょう」
「西の塔の最上階に古い客間があるだろう。そこがいい。窓は塞げ。室内のものは必要以外すべて排除しろ。意味は分かるな?」
「はっ」
その敬礼の下で割れんばかりに輝いていた笑顔の意味を、王はついぞ解すことのないまま、西棟の天高くへと封じられるに至ったのだった。
* * *
「……この話の教訓は?」
話の終わりを告げるかわりに、そうつぶやく。
ぐごうぐごう、ぱちぱちん。暖炉の爆ぜる音がいやに耳に響くくらいに、四人の子供たちは私の話に聞き入っていた。少し臨場感がありすぎたかもしれない。もう少し簡潔明瞭に出来ただろうに、私も老いたな。
ぽつぽつと物語の世界から意識を引き戻してきた子供たちは、うーんと顎に手を当てて思索にふけっていたが、やがてフロデアが顔を上げる。
「人の話を聞くこと!」
「うむ。まあ、おおむね正解といえよう。お前は賢い子だ、フロデア。母君によく似ている」
頭を撫でてやる。老骨にはどうにも力の加減がわからぬのだが、フロデアの表情を見る限り、間違ってはいないはずだ。
「ひとつ付け加えるなら、人に自分の話だけを押し付けないことでもある。話を聞かないのと、話させないのは、結果としては近いが、原因は別の話だ」
「ねえ。神父さま、ほんとに、ぼくたちの国には、そんなひどい王様がいたの?」
その傍らで、ロズウェルが不安げな顔をこちらに向ける。
「……そうさな。話の本筋には外れるが、あながちひどい王でもなかったよ。王は行動力にあふれ、人を思う心に満ちていた。それは当たり前に尊ばれるべき特質だ。特に、私はあまりそういったことが得意ではないから、個人的に、そこはいまでも尊敬しているのだよ」
「でも、王様がやったことって……領土を本当に帝国のものにしちゃうためにやってきた帝国騎士を歓迎して、アシア騎士の……さいはい?と暴走を招いて、国民のみんなを不幸にしちゃったんでしょ?」
「…………退廃かな? お前も勉強しているようだな。感心だ」
私は子供たちから視線を外し、窓の外を振る雪を眺める。王が正式に罪人として更迭されたのも、こんな風に雪の降る日のことだった。
「先ほども言ったが、王には良いところがあり、そして悪いところがあった。誰しもそうだ。例えば、宰相は早くから王の過ちに気づいていながら、それを正すことができなかった。洞察力に優れながら……行動力に、欠けていたのだな。宰相が真に王の側近となれていれば。あるいはいまでも、王は真の名君として、この国を治めていたかもしれぬ」
「そうかなあ。なら、おれも、ばかだけど、いい王様になれるかなあ」
「アヴィリオは無理だろ! だってほんとにばかだもん!」
「これ、真に愚かなのはお前だ、ソカリス。聞いたことはないか? 無知の知というだろう。自らが無知であると自覚すること、それこそがすべての知の出発なのだよ」
「はあい……ごめんな」
「ううん。それじゃ……もしおれが王様になったら、神父さまに宰相になってもらう! だって物知りだし!」
唐突なその言葉に、私はうっかり言葉を失ってしまった。迂闊にも顔色にまで表したのか、子供たちは心配そうに私を見上げてくる。
「えっと。神父さま?」
「いや。すまない、驚いてな。そうか、私が宰相か。それは、それは。アヴィリオが良き王となるまで、まだまだ長生きせねばならんな」
「うん!」
「だがいつまでもは待てぬぞ。アヴィリオ、それにフロデア、ロズウェル、ソカリスも。お前たちには一日でも早く立派な青年に育ってもらわねば。さて、意味は分かるな?」
フロデアがぱっと燭台を手にして頭を下げ、三人もそのあとに続く。
おやすみなさい、神父さま。
その言葉を残して、四人はリビングを駆け抜け、階段をのぼる足音となって遠ざかっていく。
「……ふむ」
暖炉の薪を崩し、私は蝋燭の明かりを消した。願わくば。彼らの生きる時代が、良きものであらんことを。
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