別作品番外編

これは我々の最初で最後の夢になるでしょう。

 思えば今まで我々は夢を見ませんでしたね。


 我々が体験した全てのことは、我々の脳が休息を是とするのにはあまりに過激でした。あるいは我々も彼らのように眠れたら良かったかもしれません。しかしながら我々の運は最悪でした。もはや立ち上がることができるのは我々だけでした。あのとき貴方はあまりのショックに茫然としていましたね。そんな矮小な貴方を奮い立たせた私を褒めていいですよ。ありがとうございます。

 ともかく、我々は瓦礫の中から立ち上がり、そして歩き始めました。幸い先のハウザー時空間断裂、モンテス概念崩壊そしてトヨタマ第二存在乖離によって我々には膨大な時間が用意されていました。眼前に横たわる悠久の時間は貴方をさらに絶望させていたようですが、あれは本当に奇跡だったのですよ? ご理解いただけて何よりです。

 え、あのとき私はどう思ってたのか、ですって? ハハ。不安定だった貴方が自殺しやしないかとひやひやしていたのは今でも覚えています。私はむしろ生きていたかったですが、孤独ではありたくありませんでした。世界に我々しかいないのですから、貴方に死なれては私が独りになってしまいます。なので貴方の手を離してあげませんでした。いえ、だから、怖かったのではありませんよ。

 我々がまず始めたのはヴェンデルのアンカーの設定でしたね。最も初歩で基本的なことが一番難しいのは世の常々ですが、あれには流石の私もほとほと呆れました。概念改変者が縁のものを媒介として、現実にアンカーを下ろすあの操作は本来、改変した概念に自身の存在が引っ張られ過ぎて、現実における自身の存在が消滅する現象への対策、いわば現実に自身を縛り付ける安全装置セーフティですが、あの頃の我々には命綱こそあれ、それを縛り付ける安定した足場が見受けられませんでしたから! 我々はまず『手繰り寄せ』手法を試しましたが、上手く行きませんでした。それもそうでしょう。時間、空間、概念、それら全てが一挙に截断されバラバラに組み上げられていたのです。元のパーツを辿り再構成するにも限度があります。次に試したのは何でしたっけ。ああそうだ、『クエント平衡観測』でしたね。残念ながら安全な平行世界どころかそもそも平行世界の観測そのものが不可能でした。躍起になって観測を続ける貴方は滑稽でした。未来や平行世界はよく樹のモデルで例えられますが、その理由がよくお分かりになったでしょう。枝は様々な方向に伸びていますが、その全ては幹に繋がっています。腐ったのが枝の部分であればよかったのですが、残念なことに今回腐り落ちていたのは幹のほうでした。

 しかしこの確認は無駄ではありませんでしたね。解決策は絞り込めましたから。木そのものが腐っているのですから、別の木に移住する──クエント平衡理論の超越を行うか、あるいは新たに木を植える──新たな平行世界を創るしかありません。

 しかし何と言ってもまずはアンカーです。アンカーがなくては出来ることも出来ません。

 試行錯誤をいくつか繰り返し、最終的に我々は、『リーベルンの最終命題』を用いました。『認識互換』です。アンカーの発想元でもありますが、我々の意識が概念を物に定着させたことは当時も明らかでした。『リーベルンの最終命題』は簡潔には、概念と物は意識によって繋がれる、いわば意識が錨であるのだから、意識/錨を変えれば繋がれる概念も変容すると言うものです。もっともこれは机上の空論でした。証明は一見正しいようですが実証はまず出来ませんでした。世界全ての認識を変更することなど不可能です。しかし、幸い世界には我々二人きりでした。一人が意識を変えれば世界の半数の認識が変わることになります。

 我々は相互に暗示を行い、お互いを認識の鎖でがんじがらめにしました。モンテスが述べたように、本来生物は概念値のブレが大きいので錨にするには向きませんが、あの子供が癇癪を起こしたおもちゃ部屋のような有り様だった世界では最も信用に足る概念でした。

 いささか不安ながらも錨の設定を終えた我々は、先の発見で考察した二つの案について、更なる考証を加えました。

 クエント平衡理論の超越。この難易度は非常に鬼畜を極めました。クエント平衡理論に例外は今までありませんでした。皆目検討もつきません。我々には手繰るものが何もなかったのです。例えるなら、前を向いたまま後ろに手を伸ばして複雑な鍵をこじ開けようとするものです;おまけにその鍵には感触すらありません。

 ならば新しい世界の創造はどうか。この難易度もやはり天文学的なものでしたが、しかし先の案よりは可能性がありました。前例はあるのです。すなわち今は崩壊してしまった愛しき我々の世界、その創造は間違いなく何者かの手によって行われました。恐らくは神術によって。ただどうやったのかはもちろん不明です。最初からこの世界があった、とは考えられませんが、まったくの無から一を作り出すこともまた不可能です。神による神術、無から一を作り出す魔法と銘打たれるそれでさえ『感情』が必要になります。そしてそもそも『神』が発生するには多数の人間の感情による存在証明が不可欠ですが、勿論大量の人間が世界の始まりの前に現れるわけがありません。

 ここからは個人的な所見になりますが、カテドラル・ゼロという名は聞いたことがありますよね? そう、かの救世神です。いえ救神と言ったほうがいいでしょうか。結果的にではありますが、彼女によって世界は滅ぼされたのですから。我々はここで小さな残滓となって、崩壊した世界の名残に揺蕩うことになりましたが、このパッチワークのような五次元座標を見るに、一見消滅した我々意外の生物は、時間的、空間的あるいは概念的にズレた何処かに、散り散りに吹き飛ばされたのではないでしょうか。

 そこで、もし、もしも──カテドラル・ゼロが、かの神が、この世界が始まるより以前に跳ばされたとしたらどうでしょう?

 すなわち彼女こそが創世神。

 彼女の神術があまりに広く、というか我々の世界全てを包み込むに足れたのはそうしたがあったから、ではないでしょうか? 突飛な仮説ですね。しかし私はこれを提唱します。おや、驚いたことに今この説の認知度は100%になりました。ハハ。捨てたものではないですね。

 話が脱線しました。あのときは私の考えをひけらかしている余裕はありませんでしたので、つい饒舌になってしまいました。

 ともかく、我々の世界はいつかどこかで作られた、という事実がある以上、新たに世界を創るのは全く不可能というわけでもない、という話でしたね。

 我々は神術の再現、特に創世術の再現について長く研究を続けました。

 そして実を結ぶことはありませんでした。

 当然ではあります。人が神になるなど有り得ません。当時を思い出すと貴方を馬鹿に出来なくなります。私が気丈に振る舞えたのはある程度眼前にプランがあったからでした。その全ては塵くずに過ぎなかったと知った私は、最初の貴方以上にヒステリックだったでしょう。というのも私覚えていないのです。ハハ。貴方を困らせましたか? それはよかった。貸し借りゼロです。後腐れなし。

 そこで貴方が私を抱き締めて頭を撫でながら思い付いたのは最高のファンタジーでした。

 無から一を作り出すことは、所詮ただの人間である我々には不可能でしたが、我々は人間である故に感情/想像力そしてそれに追従する魔法という最大の武器を常に握り締めていました。

 きっと彼が聞いたらとても喜びます。いつか会いたいものですね。話したいことは山ほどあります。彼は言うでしょう。「すごいや、さすが僕の友達だ! そのツバサこそ、僕のちゃちな翼じゃ行けないところに僕を連れていってくれるんだ」とね。

 貴方の考えに私は眼を見開きました。真っ暗な部屋で照明を点けられたような眩しさを感じながら、それでも瞼を閉じませんでした。

 あくまでを使って、を作り出す。

 それは我々がいつだってやってきたことでした。


 言葉にするとあっけないものです。我々の救世はその程度のちょっとしたもので、そして誰の意識にも止まることはありません。またこの救世は復元ではなく、我々の友人知人その他諸々を救うことはありませんが、これはドッペルの発生を防ぐために致し方ありません。それに万一私のあの仮説が正しかったとき、あるいはかすった程度のものだったとしても、タイムトラベルによって無に一が与えられていたなら、カテドラル・ゼロあるいは他のタイムトラベラーの存在が消滅してしまえばこの世界……と言うと少し違いますね。全ての世界、と言いましょうか。がそもそも創世されなくなってしまいます。

 流石に怖いですね。……全てが終わるまで、手を繋いでいてくれませんか? ありがとうございます。

 ……ええ。怖いですが、この選択に悔いは残しません。まあ我々の存在は消えるわけですから、勿論悔いだって残らないのですが。

 これは我々の最初で最後の夢になるでしょう。ようやくぐっすり眠れますね。ここまで千年くらいですか、我々が夢を見なかったのは。時間感覚はあやふやですが、多分そのくらいですよね。試行錯誤が過ぎたような気もします。

 さようなら。しかし我々は同じ夢を見ます。その中でまた会えます。世界は今から再編されます。一緒にそれを眺めましょう。

 心の準備はいいですか。


 それでは。


 ここには五次元パッチワークの世界があり、そして我々がいますね。

 我々は再び今から暗示により認識互換を行います;ここにはごちゃごちゃの世界があり、そこには本来あるべきもののうち、我々以外の全てがありません。

 未だ働いている創世術『かくあるべし』の恩恵も受けることができます。無いよりマシでしょう。恐らくですが。

 そしてもう一度我々は暗示を行います;我々は過去全てに認識した『名前』全てを放棄します。

 これは大事です。あれがあるだけで……ええと、赤くて美味しいあれを、的確にそれと伝えることができました。いわばひとつの……繋ぎ止める……あれです。伝わりましたか?

 さあ、では始めましょう。


 全て、反転させます。

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